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#4 伯父の本棚のイチロー本

イチロー選手のニューヨーク移籍について書く前に、これを整理しなければいけない。イチロー選手の移籍に驚き、すぐにニューヨークへ行くという行動を取ったことに影響を及ぼした出来事だから

2010年、岩手に遅い春が来た頃、伯父が突然亡くなった。つい3日前に電話で話し、じゃあお盆にね、と言ったばかりだった

母の兄であり父の友人であるこの伯父は、私が子どもの頃は近所のアパートに住んでいて、私たち3兄妹をとても可愛がってくれた。美味しいものはたいてい伯父が食べさせてくれることで経験した

私はとにかくこの人が好きだった

妹が生まれた頃に兄が入院して、両親が2人にかかりっきりだった時、5歳の私の面倒を見てくれてたことは、今でも鮮やかに(少し誇張して)覚えている。夕暮れ時に一人で留守番をしていて、寂しさと恐怖を感じた瞬間にお土産をたくさん持って現れたこととか、公園の砂場でケーキを作って「おじさんもどうぞ」と言いながら、私が本当に食べたこととか(焦った伯父を見て、伯父が母に怒られるとその瞬間に思ったこととか)

成長してからは、夏休みに岩手の祖父母宅に集まり、伯父と野球中継を観るのが楽しかった。成人してからはビール付き。基本的には静かに観るのが好きで、時々キツイ野次を交わすというところも似ていた

日本プロ野球としては、近鉄バファローズファンの伯父と、オリックス・ブルーウェーブファンの私は、本当はパ・リーグの試合が観たいのだけれど、テレビでは巨人戦しかやっていないので、団結して巨人の対戦相手を応援していた。我が家で巨人を応援する者は誰もいない(いてはいけない)

そして2004年の球界再編で気まずい思いをした

選手やファンへの想い、野球界の将来に関するビジョンもなく進められる再編の”当事者”となった恥ずかしさに加え、オリックスが主力選手を臆面もなくプロテクトしまくったことによって、私は近鉄ファンの伯父に合わせる顔がなかった。私が思うことでもないのだが、とにかく申し訳なかった

だから、岩隈久志投手が強固な姿勢でプロテクトを拒否したことは、私にはとても救いで、新球団での活躍を心から願った。ちなみに、そういうポイントを差し置いても、私的最優秀投手はWBCの岩隈投手で、イチロー選手がいるシアトルに移籍した時は嬉しかった

こうして私たちのルーツがある東北に、近鉄バファローズの流れを汲む楽天イーグルスが誕生。伯父は当然イーグルスファンとなり、私はブルーウェーブではないオリックスを応援することが恥ずかしくなりつつも、この窮地に仰木監督が再就任されたので、仰木監督のためにオリックスファンを続けた(お亡くなりになってオリックスファンをやめた)

私たちのパ・リーグ主義は変わらなかったので、そのうち自然に雪解けをして、仙台にイーグルスの試合を観に行って牛タンを食べようという、約束とも夢とも希望とも言うほどではない「やりたいことリスト」について話した

しかし、私は会社員になって、新しい経験や人間関係に軸足が移るようになっていた。毎日終電で帰るような生活だったこともあって、一人暮らしを始め、日々の生活に追われるようにもなっていた。今思えばただの言い訳なのだが、岩手への帰省も頻度が下がっていた

そうしているうちに、突然伯父が死んでしまった
イーグルスの試合には行けないままだった

本当に大したことではなく、1日あればできることだったのに、目先のことに追われて後回しにしてしまったわけだけれど、後回しにしているつもりもなかった。伯父がこんなに早く死んでしまうと思ってもいなくて、いつでもできることだと思っていて、やろうとしなかったというのが正確な説明だと思う

伯父はイーグルスのキャップを持っていた
共に納棺したが、それは本当はスタジアムでかぶらせてあげるべきだった

そして、伯父の遺品を整理した。伯父の本棚には、驚くほどに私の本棚と同じイチロー選手に関する本が並んでいた。田舎ゆえ、新聞の書評や広告で知り、町に出て本屋に注文して1ヶ月後に届く、というような手配までをして読んでいたことになる

MLBで大活躍をするイチロー選手について、熱弁をふるう機会はほとんどなかった。前回書いた通り、私が「イチロー選手を応援している気持ちを誰かに理解してもらう必要はない」と頑なになっていたことが原因だと思うが、こんなに「分かってくれる人」が近くにいたならば、話しておきたかった。とても楽しかったに違いないのに

悲しかったし、一層寂しかった

母(つまり伯父の妹)が、この本はお前が持って帰ってほしい、喜ぶから、と言った。快諾して、私の本棚に2冊同じ本を並べることにした。今は2つの部屋に1冊ずつ並べている

伯父との思い出と別れを通して、やればできたことを後悔として残すようなことは、今後出来るだけないようにしたいと思った。永遠はないと悟った。やりたいことは、できる限り、今すぐやらなければいけないと思った

今もスタジアムで野球を観るたびに、伯父を連れてきたかったと思うし、連れてきているような気持ちになる

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