忘れていた雑誌の醍醐味
雑誌が好きだった
本も好きだけど、本よりももっと身近で今がわかるライブ感
小さなスペースに小さな文字でごちゃごちゃ書かれた限られた情報からときめきを見つけるあの感じ
やっぱり雑誌の良さは雑誌にしかない
だけどもう雑誌は読めない
去年、隣町の視覚障害者団体に入れてもらい、音訳ボランティアの会の方 とつながりができて
読んでみたい雑誌が出てきたので音訳を依頼してみることにした
それはある会合で「音訳ボランティアの方とお話しする機会があったときに「いつでも依頼してくださいね」と直接声をかけてもらったことが大きい
それがなければ、自分の中に生まれたこの「雑誌、読んでみたいな」という小さな願望の芽は、いつも通りすぐに自分で積み取っていただろう
やはり、たとえ一言でも、人と人が直接面と向かって言葉を交わすことには絶大な効果がある
そうして、ボランティアさんが1ヵ月近くかけて朗読、校正してくださったCDが手元に届いた
早速、ワクワクしながら繰り返し繰り返し聞いてみる
そしたら全国誌なのに思いがけず、なじみの地名が出てきたり、
すぐ近くで何か面白そうなことを始めようとしている人がそのことを連載に綴っていたり、
そこに出てきた人や施設をインターネットで検索したら、さらに面白そうなことしてる人や、果ては美味しそうなパン屋さんにまでつながったり、
巻末の取り扱い書店一覧に、地元の聞き慣れない店名が載っていたので検索してみたら、こんなところにこんな施設があったのね、と新しく知れたり、
そのうえ、やりとりしてた音訳の会代表の方が、てっきり隣町の方だと思い込んでいたら、実はすぐ近所の方だったと判明して、
「地元の話が連載されていましたね」!と妙な連帯感で小さく盛り上がって、朗読を楽しみながらやってくれているのが感じられたり、
こんな田舎の自分の周りにも面白そうな人や志を持った人がたくさんいるんだなとわかって、
目が見えにくくなるにつれ、いつの間にか、こんな田舎、何もない誰もいない、と思ってしまっていたのに
たった1冊の雑誌からいくつも世界が広がって見えなかったものが見えてきてなんだか安心できた
これぞ雑誌の醍醐味、と久々に思い出す
音訳を頼んでみて本当に良かったなぁと思うし、ボランティアでこのような活動をしてくれる人たちがいる事は本当に本当にありがたく思う
季刊誌なので定期購読して引き続き音訳をお願いすることになった
連載にあった、すぐ近くで何か面白いことを始めようとしている人のその後をこの先もこっそりと見守って、それが完成した後には何食わぬ顔で覗きに行ってみたい、
などと、3ヶ月おきの小さな連載記事からはまだ招待もつかめていないのに、気づくと勝手に楽しみにしている