文通とゆうれい
思ってもみなかったことだけれど
ひょんな流れで大ベテランの盲導犬ユーザさんと手紙の交換をすることになった
もちろん、点字で。
点字の読み書きにまだまだ慣れない私に、その方が思いがけず、さらりとおっしゃったのだ
じゃぁ、私と手紙の交換してみる?
うすうす感じていたことだけど、見えない見えにくい人たちは、自分だけじゃなく誰かのために動くことが大げさじゃなく自然だ
持っているものを惜しまない
文通と言うより添削指導と言ったほうがぴったりくるかもしれないが
生まれて初めて、練習問題じゃない自分の言葉を点字に載せるのはなんと新鮮なことよ
そして、本や例題文でなく、自分に向けて書かれた点字の文章を解読するのはなんとワクワクすることよ
これぞ、生きた点字
今時墨字の世界でも手紙のやりとりなんてしないし、作家の往復書簡だって書簡と言いつつ電子メールで瞬時のやりとりだ
そんな時代に自分だけの特別なツールで公然と暗号を送り合うのはなんだか楽しい
点字の郵便物は所定のルールを守れば日本郵便が無料で運んでくれる
後で読み返しても間違いだらけなのは自分でもわかるけど、大先輩の胸を借りて勉強させてもらうつもりで、恥を忍んで会えてそのままガンガン送っている
そもそも先輩の意図はそこなのだから
ところで、この大先輩、現在80歳、盲導犬7頭目の現役ユーザさんである
私が彼女の御歳をはっきり知ったのは出会って3回目、文通の約束をした時だった
家にくい私には外見からの情報を一瞬で得ることが難しいので、特にここ最近新しく出会った人の外見イメージはなく、みな年齢不詳だ
話す前から見た目で人をカテゴライズすることができない
知り合う時はぶっつけ本番、という感じだ
80歳と言えば、私の両親と同世代だが、そんなふうには今さら思えない
私の中には、既に彼女は彼女という人として存在している
年齢を聞いても、「彼女= 80歳のおばあさん」に上書きされる事はなかった
その人はその人
そういうふうに受け取れるのは、視覚に頼らない世界に来て良かったと思えることのひとつ
いつの頃からか、私の認識では、人は肉体を持った塊としてより、器のない自由な魂としての存在に思えて、ちょっとゆうれいみたいだな、と不思議な気分になっている