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(ネタバレ)誰よりもつよく抱きしめて 感想完全版 Vol2
初めに
どうも、あてしです。「誰よりもつよく抱きしめて」ネタバレnote Vol.2です。
結局「誰よりもつよく抱きしめて」は5回観て、内田監督と原作の新堂先生のトークも聞いてきました。というのもあって一旦この映画に対しての区切りのnoteです。
Vol.1もよかったら読んでね。
(ネタバレあり)誰よりもつよく抱きしめて 感想完全版 Vol.1|ateshi
少しストーリーに寄り添ってこの物語を冷静に振り返ってみたい。という内容です。
Vol.1でも書いたように「映画は感じろ!」の思考なので
こんなの書くつもりはなかったのですが
自分の記憶の整理と、世に蔓延る違和感を自分の解釈でねじ伏せるnoteです。
Vol.1よりもより考察に近い内容です。気分はドロピザ~。
ただ映画については素人で、書いているうちに意味あるかなこれ?って思ってきましたが、まあ許して。
あとはいつも以上に殴り書き感がある(正直雑)のと、私の思考は月ちゃん思考ですのでそっちに寄っているかもしれないです。
では長文にはなりますがよろしくどうぞ。
前提
この映画の本質とこのnoteの軸についてです。
「触れられないが故の苦しみと心の距離」
「3人の成長と心情の変化」
「人間の生々しさ」
「ヒューマンストーリー」
が軸の物語と私は解釈しています。
関係者のインタビューを読む限りも解釈の方向性は概ね間違っていないと思います。まあまあ自信はあります。
それと演技の話はそんなにしないです。
でも演技だけでも1本書けるくらいみんなよかったよ~
こんな方針で書いていきますね
考察パート
私がこのnoteで話したいことは以下です。
強迫性障害の描写はこれでいいの?
こいつらさすがにすれ違いすぎる、なんでこうなるんだ
よしくんカスすぎる、薬捨てるしノンデリがすぎる
月ちゃん性格悪くない?何を望んでいたの?
ジェホンの突発感
三人の関係がちょっと気持ち悪くない?
え、月ちゃんの最後の選択はそれなの?うそだろ
本当にこれはモジャの絵本通りなの?
1つずつ書いていきますね。大ボリュームになりそうだ。
強迫性障害の描写はこれでいいの?
レビューを見ていて多かったです。
病気の描写が軽薄、違和感、、みたいなやつ。
そもそも今作は「強迫性障害の真相を描く」作品ではないです。
ので、無粋 of 無粋で、これは正直書きたくないです。
が、レビューサイトでマイナス評価の理由になっている理由として多い意見だったので、素人ながらの見解は書いていこうかと思います。
これで評価下がっているのは映画ファンとしてあまりにも辛かった。。
※ここからの文章は病気を軽視しているわけではなくて、症状が辛い方がいるのも理解はしていますが、今回の映画の演出としてどうか?という視点で話をさせていただきます
※飛ばしていただいてもこのnoteとしては問題ありません
※この章以降は病気の話題はほぼありません
強迫性障害について文字でいうと症状としては合っています。また、人によって症状が違うそうです。
強迫性障害 (きょうはくせいしょうがい)とは | 済生会
(映画を見た後に調べているのですが、レビューがあれだけ言っているから症状は実は違うのかな?と思ったら普通に合ってそう。)
そして映画の描写としてあっているか?については間違いなく合っています。というか正解がないです。
上述したように、「人によって症状が違う」のだと思います。
「たまたま」よしくんと千春さんはこの症状で同じ症状だったのだと思います。なので描写はあっています。
それでも違うっていう人がいるのであれば、
完成披露試写会で穂志さんが「人によって症状が違うので、あまり強迫性障害と言ったらこうという風にはしない方がいい」と内田監督と話したとおっしゃっているので「演出」ということで飲み込んだ方が素直です。
【トーク部分ノーカット】三山凌輝、久保史緒里、ファン・チャンソン、BE:FIRSTが登壇!映画『誰よりもつよく抱きしめて』完成披露試写会
18:00くらいから
「よしくん、ここの汚れは気にしないのかよ」「手袋外す順番w」とかそんな話をしている人もいますが、本当に汚いかどうか?はなくて本人のメンタルの崩れ方の話と解釈しています。
映画内でもしっかりと医者から言及されていますが、パニックや精神の乱れで発症する病気なので。
メンタルの崩れを映画の中の描写で確認したいのであれば、
オーナーと口論になったシーンの後の水すら触れなくなったシーンや、
ジェホンさんと会った話をした後にネギを洗いなおしたシーン(明らかに動揺していた)
から読み取れます。そのくらい読み取って下さい()
そもそも人間関係でこの病気になったんだから、人間関係の乱れでパニックになる、というのは自然です。
few years laterで治ったの?については
よしくんの努力を称賛しましょう。
(一応fewは病院の問診票が令和6年、モジャの冒険の出版が2027年とのことで約3~4年くらいらしいです。)
「治る伏線」みたいな話がしたいのであれば、
医者から伝えられた、「逃げていては治りませんよ」と「雨のシーンのよしくんの逃げないという覚悟」から考えてください。治ってもいいでしょ。
じゃあどうやって治ったの?は馬鹿でしょ、そこも書かなきゃわからない?映画に何求めてるの。
あとはこれもレビューをみていて、
「本当に病気の人が見てどう思うか?」は正直答えがないです。
病気を題材にする(病気が主題ではないのですが)上では付きまとってしまう問題で、これはどうすればいいんだろうな。。
私としては主題では無い、こういう症状の人もいるでしょ?でいいとは思っていますが、ちょっとセンシティブで難しい。
ただそれで映画の評価を下げるのはやめてほしいよ、、
以上です。どちらにせよ「病気が映画の本質ではなく、触れないことが本質」ということだけこの後の文章で理解いただけたら嬉しいです。
こいつらさすがにすれ違いすぎる、なんでこうなるんだ
気を取り直してストーリーに入っていきます。
学生時代から付き合っていて、数年同棲していたなら今更なんで?です。
確かに触れられない生活も慣れてくるんじゃないのと思いつつ、
感覚的にはわかるのですが、少し言語化しましょう。
もしかして過去から同棲が上手くいってない?それはそんなことないか。
・よしくんと月ちゃんの過去描写
・最初の帰宅のシーン
で補完されているかと思います。
それでも足りないというなら
学生時代の出会いと付き合い始めたシーンと、最後のジェホンさんのシーンしかないから、「2人の関係性に感情移入できなかった」になるのでしょうか?
それか起承転結の[起]で付き合ってイチャイチャするシーンがないともとから仲が良かったのが伝わらなかったのあったりする?
原作では重点的に描写があったのかもですが、2時間映画ならまあ仲が良かったのが大体伝わるでしょうといったところです。
一旦ここまでで何が言いたいかというと、「仲が悪かったわけではない」です。これが崩れるとこの後の話が色々破綻するのでw
現状仲が良いなら、「すれ違いの原因」を辿っていきます。
結論、触れないからすれ違っている、「物理的な距離」と「心の距離」のすれ違いの蓄積と理解しました。
「嬉しいときに触れない」の物理的な距離から始まって、
「病気の相手のことを理解できない」「理解できる人がそばにいた方がいいのでは?」の心の距離のすれ違いの蓄積です。千春に嫉妬で「早々」にブチギレしてたのは、理解できないことへのイライラの蓄積が過去からあったことの描写ですね。あとはなんとなく最初から2人の演技で理解の不一致感はあったよね。
あまり書くと長くなっちゃうので、一つ一つは書かないのですが、
途中から凄く気になったのが、
月ちゃんが「心の距離(そばにいればいい)」の話をしているのに対して、
よしくんが「物理的な距離(触れないから守れない)」の話をしていること
です。意識して話を聞いていると中盤から後半はずっっとこれ。
お互い重要に思っている”距離”が違うんだよね。そりゃ話にならんしすれ違うよって感じです。
結構印象的だったのですが、あの雨の中ヒールを拾うシーン、どう思いました?
映像の迫力とかはもちろんあってマジで名シーンですが、冷静に聞くと話食い違ってない?
「ね?できるでしょ?」が月ちゃんの求めていることなのか?
月ちゃんは守ってほしい、じゃなくて。理解をしたい。なんだよなあ。
月ちゃんの涙は「心の距離が空いてしまったことへの悲しみ」
よしくんの涙は「守れなかったことへの悲しみ」
なんか嚙み合わないない感じがしています。
でも人間関係ってこういうことあるよね。
で、間に入ってくる
月ちゃんと「物理的な距離」の近い ジェホン
よしくんと「心の距離」の近い 千春
がかき乱してくる。大変わかりやすくすれ違う。
それで大変わかりやすい恋愛に誘導してくるさちこ。
さちこが悪女ってのもちらほら見たけど、さちこが一番正常な感覚を持っている説はある。
よしくんカスすぎる、薬捨てるしノンデリがすぎる
何回見てもまじかも。否定できんw
病気のことを考慮に入れないとダメなのかなと思いつつ、
(病気だからノンデリになった)わけではないと思います。
過去描写から見ても性格はあまり変わってなさそうなんだよなー。
ただ、過去は自信に満ちていた、というのは間違いないでしょう。
現代のよしくんの性格については
「頭おかしくないから」と医者の「逃げていては何も変わりませんよ」にすべてが詰まっていて、すべてが後ろ向きになっているんですよね。
前に進む意思が雨のシーンまで全く無い。
病院に行くモチベも千春に会うためだからね。
最初の集団カウンセリングも月ちゃんが迎えに行くって言わなかったら行かなかっただろ。
オーナーとの喧嘩のシーンも病気を盾にするしかなくて苦しかった。
性格面では「空を知らないモジャ」のストーリーがかなり悪さをしている。
自分はモジャ、じゃないんだよな、誰が羽がないって決めたんだよ。
(私がモジャの絵本を買うのを渋っている理由です。)
気持ちが分かり合える人(=飛べない鳥=千春)と一緒にいるために
勝手に雀のひな(=自由がある鳥=月菜)の背中を押す「いい人」
に勝手になろうとしてしまっていた。
そんな逃げ方までずるい人に見えました。
でもあまり逃げたことには気づいてなくて、
ジェホンに「あなたは月菜さんから逃げた」って言われて良城が逃げたことに気づいたんだと思っています。正論マシーンのジェホン。
全部ジェホンに気づかされる映画。
あのあたりの驚き方と強がって笑いながら話す演技がとても良かった・・・
few years laterで、性格まで変わったかは疑問です、が
触れられるようになった=前向きになった
というのと、過去の告白をした時のような晴れやかな表情をしていたということは昔の性格に戻ったということなのでしょう。
若干笑い方がサイコに見えた気もするが、、
と、よしくんを酷評をしましたが、映画のマイナス評価ではないです。
これが「人間」だなって。こういう行動しちゃうもんね。これを楽しみましょう。
三山さんについては本当によしくんが乗っかってたなと。
本人もこの性格なの?って思ってしまいました。
普段は全然陽キャじゃん。
月ちゃん性格悪くない?
性格が悪い話は、そうです。
というか性格は悪くないんだけど、追い込まれて悪いところが出てしまっている。が表現されていると思っています。
よしくんのところでも書こうかと思いましたが、
内田監督は「この作品にいい奴はいない」とインタビューでも答えていますので、冷静に映画の言動を振り返ってみると性格が悪く見えるのはわざとです。
なので若干悪い女/ずるい女として進行していく感想は正しいと思ってます。そこも楽しんでいきましょう。
ジェホンさんと会うときにルージュ(あえて原作の新堂さんが言ってた言い回し)塗ったり、半朝帰り、もう無理だろみたいな表情までしていて、それでもよしくん相手には心を寄り添おうとしている中途半端さ。
結局よしくんと本音でぶつかり合うのを避けて逃げてきたのは自分で、
ジェホンさんに「気づかされる」までいずれぶつかるであろう問題から目をそらしてきたのは「自分たち」なのに。
海と向き合った結果、「全部ジェホンさんのせいだよ」「なにもなかったことにしたい」が答えだもんね。
朝まで海で倒れるなんてもってのほかだろ。だれか救ってくれよの思考。
あと過去の回想のシーンって、全部月菜視点なんだよね。
月菜の感情が揺さぶられたときに流れてくる。あの頃に戻りたいのはいつも月菜。
過去の回想は「握手=物理的な距離」に注目しがちだし、そうなんだけど、
「絵本で泣いた=作者の良城との心の距離の近さ」にもつながっている描写。
重めで相手に尽くしてあげているつもりだけどリターンがないとすぐ凹む、限界迎えるまであんまり気持ちを出さないくせに相手には察してほしい人。
物理的な距離に加えて、心のつながり(=察してくれ)を求めるタイプかなって。面倒女、他責、人間臭くていい。
ただ、久保さんは「月菜が人としてすごく黒く見えるのではないかって不安でした」とインタビューで語っていますので、本人は「自分はいい人」だろうという感情で演技したのかなと思っています。
それが本当に役にハマりすぎている。
普通の人って他人からよく見えるように猫かぶってるじゃん?
そんな「人間臭さ」が私には本当に美しく見えた。一番好きなキャラだ。
ジェホンの突発感
これもずっと映画を繰り返し見る中で考えていました。
しっかり振り返るとそうでもないのですが、描写が散らばっているせいでそのように感じた人もいるかも。
なのでしっかり振り返るのにジェホンがどんな人で描かれているか考えてみました。
良城(≒月菜)と性格が対照的に書かれているのは分かりやすい。
加えてジェホン周りの言葉を並べてみる
「本当に好き同士のカップルなんて数万人に何組か」
「ジェホンさん悪い人じゃなさそうだし」
「正直に話していたら角が立たないですか?」「そんな考えもあるんですね、面白いです。」
「僕、何も感じないんです」
「いつも突然なんですね」
「ゼロから始めるのが怖くないんですか?」
「あなたは月菜さんから逃げた」
「人生の終わり?」「この本に救われました」
ここから読み取れる性格は
・基本的にポジティブで前向き
・いい人に見える
・行動力がある
・絵本で本当に人生変えるくらい素直
・恋愛観だけ何故か捻くれている
マヤとの話から現代までの時系列をまとめます。
時系列
3年前に料理の仕事で来日
2年前に父親に反対されて絶望、夢の扉で月菜に会って「心が動く」
「まいにちがプレゼント」を読んで前向きになる
日本での仕事が軌道に乗りフランスの知り合いのところで働けることが決まる。同じくらいの時期にマヤと別れ話
フランス行きが決まった時に思い浮かんだ月菜に会うために夢の扉に
最後だから思い切って月菜を口説く
捻くれている行動力のある人にとっては2年前の思い出に対して突発で行動するのは普通の行動には見えるので、突然ナンパしたことに対する違和感は捨てていきたい。
(FFさんでマヤもでっちあげなんじゃないか?みたいなツイート見たけどマジであるかもしれない。。)
あとは一目惚れしただけで「心が動いたのが初めて」の表現が浅いや分からない、みたいなレビューは見たけど、個人的には絵本で勇気づけられるくらい素直だけど恋愛観が捻くれてるやつの恋愛なんてそういうこともあるだろで片づくかなといったところ。
結論、突発で行動したのはジェホンの描き方としては、本人の正義(欲)に従った普通の行動。でいいかと思います。
「ジェホンさんの生き方に励まされていた」
これは結構この映画の真理だったね。ジェホンさんがこの映画に必要だった理由の一つ。ただのかき回しキャラではないです。
この人はしっかりと過去と戦ったうえで前を向いて歩いている。2人とは違う人種。
ただ何回も繰り返しますが、「この作品にいい奴はいない」です。
口説き方はちょっと下手だったよね。月ちゃんの地雷を踏む天才。
三人の関係がちょっと気持ち悪くない?
最初に観たときに少し思った感想です。
急にキレすぎだろ、よしくんがいればとかいってほかの男の方に行くな、千春を家に上げるのはなんなんだ、心ってそんな簡単に動く?、とか。少し映画の演出過ぎないかなみたいな。
ただこれは「人間らしさ」の観点で映画を観直してみると、「気持ち悪いけど、違和感は全くない」になりました。
第三者視点から見ると「こんな行動しないだろ」って思うんですが、
前述した3つの章で話したキャラクターを踏まえてそれぞれの視点に立ってみる。
よしくんの立場に立ってみたら自分はモジャだとか言い出すのも理解できるし、月ちゃんの寄り添いたいけど他の男に揺らぐのもわかる、ジェホンのいつも通り正直に話しすぎて地雷踏むのもわかる。
3人がそれぞれの場面で依存してしまうのも、そうしたいときもあるよなーって。
逆にその行動やお互いの依存関係の気持ち悪さが、人間が限界を迎えた時の心理を凄く綺麗に映し出していていいなって思いました。
これがこの映画の本質と思ってます。いろんな目線でいろんな感情になれる。病気の有無にかかわらず、どこか自分の感情に刺さる映画。
何回も観てほしいって関係者が何度も言っていたのはこういうことなのかな。(映画が売れてほしいの意図の方が大きいだろ)
以上です。3人の関係性の捉え方は一番人それぞれになるかも。
もし気持ち悪いってなったらそれがあなたの感情の動きです。それを楽しみましょう。
え、月ちゃんの最後の選択はそれなの?
ジェホンの話を断って、新しく挑戦する。
は結構清々しい表情をしていたのでかなり納得したのですが、
よしくんと夢の扉で再会するシーンのことです。
『しおり、なんで笑わないんだ。』
みんな思ったよね?
私がこの映画に沼らされている理由の一つです。
よしくんは病気が治って「また一緒に空を飛んでくれませんか?」
月ちゃんはそれに対して小さくうなずいて手を握る。
月ちゃんから抱かれに行く。
抱きついたよしくんは満足。
月ちゃんは表情を変えず→???
エンディング
文字で書いてても最後だけわからん。どう捉えればいいんだろ。。。ってので悩まされました。
これは次の章とつながるので、その中で私の解釈を話しますね。
本当にこれはモジャの絵本通りなの?
映画としてはモジャの絵本通りに進行して、
よしくんの覚悟=モジャの冒険
になるという話でしたね。
こう書くと「絵本の通り」なんだけど、絵本の本質と現実は同じだったんでしょうか?と提唱していきたい。
「一番大事なのはここじゃ、フクロウは羽を胸に当てて言いました」
「心がつながっていれば一緒に空も飛べる」
大事なのは心、繋がるべきは心が絵本の本質なのに、最終的によしくんは体現できていたのでしょうか?
映画のテーマの一つは確実に
「触れられないが故の苦しみと心の距離」です。心の距離です。
触れられない、はよしくんのfew yearsの努力で解決しましたね。
ただ、それが「羽がない」ことへの解決か?
別の章でも書きましたが、
”月ちゃんが「心の距離(そばにいればいい)」の話をしているのに対して、
よしくんが「物理的な距離(触れないから守れない)」の話をしている"
ってのは解決してなくね?
「また空を飛んでくれますか?」で月ちゃんがうなずいたから、まだお互い心はつながっている、出会いの場でもある夢の扉で待っていてくれた、抱きつけて満足、心のつながりもあります、昔のような関係に戻りました!って話かもしれないのですが、
『月ちゃんが最後に表情を変えなかった』
がすべてを壊す。あれ、、なんか変、、月ちゃんはまだよしくんを信用していないよね、、?
月ちゃん的にはしっくりくるエンドではないのか?本当に私のこと理解してますか?っていう疑いの表情なの??
が私の解釈です。笑
純粋なハッピーエンドで純愛映画、にしたかったし、これが「真実の愛」か?とか考えたけど覆せなかった。笑
もちろん選択が間違っているということを言いたいわけではなく、
「ジェホンさんの生き方に励まされた」≒「自分のやりたいことに正直になってみて」から、few yearsで昔の夢だったボランティアも経験して、強くなって戻ってきて、
その後に「常に正論を言っているさちこ」の意見ではなく、自分の意志でよしくんとまた一緒になる選択をできた。
これが月ちゃんの「成長」を描くうえでは綺麗な終わり方でよかったと思います。
ただ月ちゃん視点で恋愛の面では本当はまだ信用できていないんだろうなって。心がつながっていたらあの表情するか?
この映画の捉え方としてこれでいいのかわからないのですが、
月ちゃんとの表情の対比から、
よしくんが思うよりも人の心は絵本通りにはいかないんだよな、、、って結論にしてしまった。
私が繰り返し「人間の生々しさ」が主題だなって感じたのがこれが大きな理由です。
まとめ
やはり私はこの映画を「純愛」としてはすっきりしなくて、
「ヒューマンストーリー」として解釈したい。
各々の選択する場面があって、それが必ずしも正しかったとは言えない。
でも時は進むし、いつかは向き合わなければならない場面がある。
周りの生き方に背中を押されながらでも歩みを進なければならない。
そんなメッセージを受け取りました。
あと書きたかったのはサチコが道しるべになっている話とか絵本考察とかあったんだけど力尽きた。もう書けない。。
映画としては本当に満足をした。
最初はテーマが暗くて何回も観るのはしんどかったんですが、回数を重ねるうちに考えることが多いなってのに気づけたし、
推し中心に回る世界も最高だった。何よりもどのキャラクターの視点にも入り込んで楽しめたのが本当に面白かった。誰よりもこの映画を愛せた自信はある。みんな複数回観て楽しもうね()
そしてこのnoteは神様の如く登場人物の人格を分析して否定した気がする。笑
もしかしたら私の人生経験の浅さとかも感じるかも。
でもキャラクターが全員しっかり人間っぽいって話をしたいだけだから許してー
長くなりましたが、
全体を通してこういう解釈もありますよくらいの感じと、
感想を私にぶん投げてくれればいつでも感想会しますってのが伝わってくれればOKです。
最後に
この映画がつまらないって思ったあなたも、
少しでも感情が動いたのならそれはこの映画の手のひらの上だと思います。(これが一番言いたかった)
じゃ、レビューサイトは高評価書いてな