あなたは...何?
今日もこうして身体を使ってブログを書いている私はmamiですが、
本当は、私はmamiでもなければ、この身体でもありません。
この身体がmamiという私であるなら、身体を動かしている心臓を自由に動かしたり止めたりできたり、何処からともなく湧いてくる思考を、自由自在に操る事ができるはず。
あなたには、できますか?
私には、できません。
この身体が、この思考が自分ではないのなら、本当の自分って、何?
知っている
私は、いつの頃からか分かりませんが、
「この身体が自分ではない」ことは、感覚的に知っていました。
常にではありませんが、
「身体と意識がなんとなくズレている」感じがするのです。
身体から意識がはみ出しているような、
身体に意識が収まりきらないような、そんな感覚です。
そして、いつもどんなときも、絶対に見守っていてくれる
とてつもなく大きく優しく、温かな、絶対的に信頼できる
目には見えない、見えないけれど、信頼せざるを得ない
本当に大きな、果てしなく大きな「何か」.....。
その「何か」がいつもいてくれるから、守ってくれているから、
だから、何があっても、どんな状況になっても、
「絶対に絶対に大丈夫なんだ」って、
心の底から、おナカの奥のず~っと奥の、深いところで信頼していました。
今なら、その「何か」が「何」なのか、分かります。
愛
それは、私自身。
「本当の私」である、ただひとつの真実である、それ。
本質、源、意識、命、愛.....。
呼び方は様々でも、あるのは、ただ、ひとつ。
そして、ただひとつのそれが、
こうして物質界に顕れたものが
「あなた」であり、「私」であり、「その他全て」です。
だから、
「あなた」が「私」であり、
「私」が「あなた」であり、
「その他全て」も「あなた」であり、「私」であり
その元をたどれば、ただひとつのそれ
「愛」なのだから....。
「あなた」も「わたし」も、「愛」の顕れに過ぎないのであれば
何の心配もせず、思い切って、思うままに自由に生きてみませんか?
急にそんなことを言われても
「はい、そうします」
とは、なかなか言えないかもしれません。
でも、大丈夫。
本当は、あなたも知っているのだから。
今は、「それ」の戯れのために、忘れてしまっているだけ。
眠ってしまっているだけ。
安心して。
あなたが望めば、必ず思い出す。
必ず、目覚める。
ただ、これだけは憶えておいて。
あなたが望んでも、望まなくても、
思い出しても、思い出さなくても、
目覚めても、目覚めなくても、
ただひとつのそれ....
本質... 源... 意識... 命... 愛...
「本当のあなた・私」は
絶対に何があっても、
絶対的に果てしなく大きな「愛」で
「あなた」を「私」を全てを見守り、包んでいてくれていることを。
そして、
「あなた」が
「私」が
「全て」が
愛そのものであることを。