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花目線の謙虚さを〜乙女座軌道の補足

星とバッチフラワーレメディの探求をしているのに、
自分の内にこもりすぎて、花目線を忘れていることに気づきました。

乙女座に必要な「謙虚さ」…欠けているってことはやっぱり、
コンペンゼーションフラワーないしはディコンペンゼーションフラワー状態。
しかし乙女座軌道のところに書き加えるには長くなりすぎたので、
こちらの記事で補足していきます。


しかしね、「謙虚」と「謙遜」は違うんだってこと。
頭ではわかっているつもりでも、混同している。
わかっているつもり、は謙虚じゃないなぁ。

こちらの記事を読んでなるほど。
セントーリーのプラスが「謙虚」だとしたら、マイナス行動は「謙遜」かもしれないな。謙遜が出たら、要注意。乙女座の分析力を働かせてみる。

セントーリー

Centaurium Umbellatum でググったら出てきたのがこの花。

正確なのかはよくわからないけど、植物目線で見るとネガティブなことが気にならなくなる。

「ゲンチアナ」と同じリンドウ科、というのは同じ「地」のエレメントと対応しているのがおもしろいなぁって思ったり、「ケンタリウム族」って、「ケンタウロス」っぽい、「キロン」が支配星という可ともリンクするなぁとか。
薬草として胃腸の症状に使われるということは、乙女座管轄の体の部位にもぴったりだし。


ホリー

乙女座のコンペンゼーションフラワーはトゲトゲした葉で身を守ろうとしている。

冬にも緑の葉をつけるため、古くから聖なる木あるいは魔力のある植物と見られていたそう。マイナス面が出てれば棘で他人を攻撃し、プラス面では生命力の象徴としてクリスマスの飾りに用いられたり、薬草というよりも象徴としての役割が感じられるのがおもしろい。

別名を「西洋ヒイラギモチ」、英名の「Holly」は「モチノキ属」の総称、というくだりを読んでいて、絵本『モチモチの木』が思い出されます。
その実が「栃餅」になるトチの木だから「モチモチの木」。
ちなみに日本の「ヒイラギ」はモクセイ科モクセイ属という、
これまた全く違う種類の植物になるのだそうです。
トチの木も「チェストナット」だから全然ホリーに関係ないんだけど、、
気になるなら境界線を超えて伏線回収だ。
手元に絵本はないのでYoutubeの読み聞かせで…
久しぶりにそのお話を振り返ってみると「乙女座」テーマの伏線が。

夜中に一人でおしっこに行けない臆病者の豆太はじさまと二人暮らし。
「5歳にもなって情けない」みたいなくだりが出てくるけど、豪傑だった父親は熊と取っ組み合いで死んでしまったという壮絶な過去があり、母親もお話に出てこない。
豆太の臆病さは「不安と恐れ」の表れなのかなぁ?
「不安と恐れ」カテゴリのレメディ、私は「土星」に関わるものだと考えているので、豆太のおねしょに効くレメディは乙女座軌道にはなさそうです。

「土星」は厳しい教師のような存在として描かれることがある一方で、守ってくれる父親のような存在でもある。
父親不在の代わりにじさまという存在がいる豆太には、フラワーエッセンスの中の「土星レメディ」は不要なのかもしれません。

でもある晩、そのじさまがお腹が痛くて苦しんでいた。じさまが死んでしまうかと心配になって、怖いのも寒いのも必死で振り切って、山の麓の村まで走ってお医者さんを呼びに行った。
「モチモチの木」つながりで言ったら「レッドチェストナット」が土星レメディ。
蠍座のコンペンゼーションフラワーで、他者に対する心配と不安が強い状態。

じさまは無事に回復して、豆太を褒めてやる。

自分で自分を弱虫だなんて思うな
人間 優しささえあれば
やらなきゃならねぇことはきっとやるもんだ

『モチモチの木』

意志の弱さが前面に出てきてるセントーリーのマイナス状態を励ましてくれそうな言葉。

余談ですが私のじいちゃんも乙女座最後の度数の持ち主でした。
どちらかというとプラス状態で激しい気性が表に出やすく、基本は頑固ジジイだし私の父親(じいちゃんの子)や母親とは折り合いが悪かったけど、孫たちには優しかったんだよなぁ。
感情を表に出すことはあまり上手じゃないのは家系か…
でも、手先が器用でいざという時頼りになるのも乙女座のプラス面。
じいちゃんを思い出すと「優しさ」は「強さ」とセットで働くものなんだなぁと思う。強くなければほんとうに優しくはなれない。

素直に甘えられればそれに応えられるのが乙女座。
私の蠍座の甥っ子も夜が怖いみたいだしまだまだ甘えん坊だし、甘えられたら可愛いなぁと思うのは、乙女座金星を持つ伯母さんだからなのかもしれません。


パイン

パインが「罪悪感」に結びつくのはなぜだろう?
かつてはブリテン諸島全域に自生していたのに、過度な伐採などにより姿を消してしまったという、地球環境に対する人間全体の罪の意識からなのかな?

日本では「松竹梅」の一番上のランクを表すくらいで、お正月のおめでたい「門松」も、竹がベースなのに「松」が名前の主役になってみたり。松の実は食べられるし、松葉茶というのも最近話題になっているし、松脂しかり脂分を多く含むという枝は焚き付けに便利らしいし、世界各地でもさまざまな用途に使われている万能選手。高級なマツタケも、松があってこそ。

それがなぜ「罪悪感」なのだろう?甚だ疑問だ。

乙女座っぽく考えるなら、あまりに持ち上げられすぎてるから?
いやいや私なんて、という謙遜が聞こえてきそうな。
生きている松よりも、象徴としての存在感が強くなってしまったことに、悲しんでいるような。
本当の自分はどんな風に生きたかったんだっけ?
そんな想いは「罪悪感」という感情に似ているかもしれません。

でもまたここで「謙遜」や「自己卑下」になっちゃってはいかんのだな。
セントーリーのプラス指標は「自分の意志や主体性がもてる」こと。

・人に影響されず、自分の気持ちや意志をはっきりつたえ表現できる
・必要があれば他人の意見に逆らうことが出来る
・本当に困っている人の手助けができる。思慮深さと自己表現

https://www.i-bach.com/2019/A38-2592.html

さらに「社会」との関わりに出ていく一歩手前で、「他者」との関わりが意識されるのが乙女座の段階。
それだって「自分」がしっかりと確立されていないと、セントーリーのマイナス面が出てきてしまうのだから。

その上で、柔軟宮の乙女座とは常に変化していく可能性を秘めている。
変化することをわかっているから、今の気持ちや意志はこうだと断言することが難しいのかもしれない。
だけど「今はこうだ」というのを自分自身で認めることが大切なのかもしれないな。
乙女座は「地」のサイン。言葉にしたり形にしたり行動したり。
出てきたものは移ろうものかもしれないけれど、確かにそこにあるということを自分で認めてあげる必要がある。


そろそろと、庭仕事の話がやってくるようになりました。
園芸店を覗いてみると色とりどりの花たちが咲いていて、嬉しさでいっぱいに。
家の周りの雪はまだ1メートルくらい残っているのだけど早々に苗を買って、しばらくは室内で楽しみ、雪が解けたら庭におろしてあげようか。

誰のためでなく自分のためにすることなんだけど、植物や庭の成長に貢献し時に失敗し一喜一憂する「園芸」は乙女座領域だよなぁ〜となんとなく思っています。
言葉では反応を示さない植物への観察眼や小さな変化に気づける微細な感覚…
身につけたいものです。


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