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『はてしない物語』の読後感
本を閉じたら、また違う物語に変わっているんじゃないか。
そんな風に思わされる不思議な読書体験だった。
それは、手に取ったのが物語に出てくるのと同じく「表紙はあかがね色の絹」で「二匹の蛇が描かれてい」て「なかは二色刷り」だったせいもあり。
文庫版と迷ったけれど、思い切ってこっちにしてよかった。
古本ではあるけど古本だからこそ、前の人が読んだ空気をまとって一層、不思議な力を蓄えていたのかもしれない。
昨日の朝にちょっとだけ開いてみたのだけど、今日はもうどこへも出かけずに、読み終えてしまった。
バスチアンが本を読み始めて帰ってきたのもちょうど2日間。そんなシンクロニシティもあり。
ずっと気になりながらも読めないでいた本。
まして児童文学の括りにされてしまったら、
今さらなぁって思ってしまう。
でもそんなことは気にせず読まないともったいない。
むしろ、今じゃなきゃわからないことがたくさんある。
たとえば人は、子どもであっても大切なことを忘れ傲慢になってゆくことができるけど、大人になって変わることだってできること。
今まさに変わりたいと願う私もまた、真の望みを見つける必要があるんだということ。
もうひとつの気づき。
物語の全体が、この頃毎晩のように並べてみては眺めていた、タロットに描かれる人間の成長の物語のようだった。
(「幼ごころの君」は「女教皇」だな〜とか…)
そういう普遍的なテーマを軸に進んでいくと同時に、枝葉末節にたくさんの物語の萌芽を含んでいて、これはあのアニメに、あの小説に引用されてるんじゃないか?と憶測するところが多々あったけど、「それはまた別の物語」。
今さらながら、ファンタジーに没入していけるのは蟹座火星の特権だろうか?
子どもの頃に遠慮なくそれができていたら、もっと違った人生を歩めていたのかもしれないけど、これもまた私の望んだかもしれない道だったのかもしれない。
うん、たぶん勇気が足りなかった。
物語を読みながら思い出したのは、アトレーユの愛馬アルタクスが沼に沈んでいく映画のシーンは、むしろトラウマだった。
30年近く経ってようやくそれが薄れてきたから本を読めたというもの。
その間に失ったものもいろいろありつつ、手離せないでいるものも多そうだ。
「アウリン」があれば忘れてしまえるのに、と思うあれこれをたくさん握りしめている。
いや、「アウリン」を持つ資格すらないので、本当は持つべきものを持ちきれずに、恩知らずなこともたくさんしてきたなぁ。
とにもかくにも、他人にどう思われるかばかり気にしていても仕方ない。
自分が本当に望む物語を創れるのは自分しかいない。
現実にはほとんど何も変化がないように見えても、
読み終えると明らかに世界観が変わる本。
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