![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171001827/rectangle_large_type_2_f1e89a25c5b2b4d5a603fe8c8629ce71.jpeg?width=1200)
水瓶座の太陽×冥王星。ネガティブをポジティブに
2025/1/21、本日水瓶座で太陽と冥王星コンジャンクション。
これから毎年やってくる会合ではありますが、
今日と来年ではまた大きく異なるんだろうな。
というか、本気で大変容を遂げたい今日この頃、
もう何年かそう言ってる気がしないでもないけど。
シシとガメの統合
写真は2019年のもの。
なんでこんなところにライオンが?!
と思って記念撮影したのだ。
ふと見返すと、隣に亀がいた。
亀はわかるよ、「かめや」さんだからね。
でも、すっかりライオンに注意を持っていかれてた。
そこから5年の月日。
占星術を学ぶ流れになっていって、太陽は本質だの目指す方向性だの、未だ決着がつかない。
サインだけ見れば、太陽の支配する獅子座だけど、ドデカテモリーは水瓶座。
ここのラインにノード軸もMC/ICも来るので、獅子座を目指すって明らかにハードルが高い。
高く飛ぼうとすれば出る杭になって打たれ、DTのサビアンシンボル「海軍からの脱走兵」が発動し、もう嫌だこんな世界、といじけてるのだ。
けっきょくは獅子座も水瓶座もネガティブな面が出てくるだけ。
そう言って諦めモードになるのもまたこの2サインの悪い癖で、不動宮ならではの頑固な思い込みが強化されるだけ。
今はそこに、冥王星がやってきてるってことよね。
冥王星=蠍座の毒は、獅子-水瓶座ラインの頑固さ傲慢さにてきめんに効いているじゃないか…
というか、あの写真、獅子-ガメの統合を表していた?!
そう考えてみると、普通に考えたら不思議な組み合わせも、大きさのアンバランスも然りで、私の意識は獅子の方に偏りすぎていたのかもしれない。
獅子のポジティブな象徴を眺めては、いやいや私そんなんじゃないし、
とか言いながらも、乙女座金星のネクラな部分を盾にして成長しないあたり、根っこは全然謙虚じゃないどころか、水瓶座のネガティブで批判的な部分が肥大するばかり。
もうそういうの、やめよう。
やめたいけど、染みついた癖はなかなか抜けなくて、書き出すとどうもジャッジが入ってしまう。
それもそのはずで、水星は太陽にコンジャンクションの獅子座16度で、ドデカテモリーも同じく水瓶座。
そうじゃなくって、ネガティブな象徴を無理矢理にでもポジティブ変換してみようと思ったのだ。
蠍の毒の破壊も必要だけど、そろそろ再生の道を…
占星術を学び始めてから、見えていなかった自分が見えてきたのと同時に、
「中年の危機」とも呼べそうなあらゆるネガティブな状況に浸り続けてきた。
いろんなセラピーやらヒーリングやらセッションやら講座やら受けてきたけど、いっかな改善しない。
まぁなんとか生きているけど、根本が治癒しないまま。
獅子座の頑固さしぶとさがこういうところに出てきてしまっているのかも。
それは物質的な命を守るという本能でもあるのだろうけれど、根源的な何かを解消しないと、生きてても辛いばっかり。
あーまたぐるぐる。
評価でも批判でもなく、わたしに必要なのは自己対話
とりあえず立ち止まって瞑想し始めたら、この言葉。
そーなのだ、対話を求めてるのだ。
だからといって他人と話してみても、やっぱり客観的な評価だとかに偏りがちで、本心から離れていってしまう。
そうそう、この間、思い余って尼さんに人生相談しに行ったんだけど、
年齢的にも「地の時代」の考え方が強くてね、世間話になってしまったから途中で「もういいです」って切り上げちゃった。
そんな非常識だなぁとまた自分を責めたくもなったけど、いや、そういうんじゃないんだ、本音を聞くって自分しかできないんだと気づくための、きっかけ。
尼さんとはいえ俗世に近いところで生活してるってこと自体、魚座というより半分魚の山羊座だもの、「地」っぽいのも当然。
わたしのホロスコープ、コミュニケーションの場所3ハウスには山羊座がインターセプト。
それってどういうことなんだろうか、世間話が嫌い、周りくどいのも嫌いだけど、自分の本音を話すことも抵抗があるのはそのせい?
ていうか、常識とか周りの目を気にしすぎて、本来の獅子座みが発揮されることを過度に恐れて我慢して、言いたいこと言えてない。
コミュニケーションの苦手意識はここから来てるのかもしれない。
しかしこの通り、自分の気持ちや意見を語ろうとすると支離滅裂になる…
文章での自己表現は向いていないということよね。
それも、諦めたらいいのに、往生際の悪さ哉。
自分の本性でないのなら無理にする必要はないのだろうけど、他の方法を知らないせいで、こうしてできないことに執着しているのだろうか?
いくら語ったところで答えなんて出ないのに、永遠に続くカタルシス…
けどそれだって謎の自己批判と評価でしかない。
あと子供の頃のトラウマ。
小学校の先生によって改ざんされた作文で賞をもらって、自分の実力ではないと喜べなかった筋金入りのオスネチャマだったのだ。
なのに、どうして文章を書くことにこだわるんだろう?
いや、言葉そのものには興味があるのだし、そこまで否定しなくていい。
本当に表現したいことやその手段が、見つかっていないのかもしれないよ。
3ハウスの時間、小学生から中学生というこども時代に、社会の常識という檻にすっかり閉じ込められちゃったのかもしれないな。
そこには出口のないインターセプト。
羊に育てられたライオンの話
昨年から始めた悟りの学び。
インドのグルが書いた本が手元に届いて読んでいる。
そこにあった、羊に育てられたライオンの話。
羊がライオンの子供を育てちゃうなんてあり得ないと思うけど、
自分の状況を鑑みれば、あり得ない話でもない。
本来のライオンのオスなら、強さを示して自分の群れを率いていかなくちゃならないけど、羊の群れで生きていくには、調和を保たなければならない。
そもそも、羊であると教え込まれてきたなら、本能を抑え込んでか弱く守られる存在になろうと、間違った努力をすることになる。
ライオンなのに草を食むって、あり得ない笑。
でもそんなことをしちゃってるのかもしれない。
周りの目を気にして、本来ならばプライドが許さないことも、しちゃってるのかもしれない…
そも、プライドを持つことすら教えられていない、許されていない。
そこに違和感を感じつつも、やりたくないことを屈辱を感じながらやってきた。
全く無意識ではあったけど、これはきっと獅子座には相当なダメージだ…
もちろん、そんな頑固さばかりでは世の中やっていけなくて、どうにかやり抜く力や柔軟性を身につけることも、ホロスコープ全体を生きるためには必要だ。
まずは自分に足りなかったことを認めよう。
自分が自分であるために、どうにか奮い立たせようとしてきたんだけど、できない時もあるってことを。
そんな自分を受け入れること、赦すことがどうしてもできなかったこと。
とにかく、まずはネガティブでもいいから、思ってることを素直に書き出したいのに、それすらジャッジしてしまって手が止まる。
そんな自分もいるんだってことを認める。
小さな一歩でも、今日も前に進んでいることを。
いいなと思ったら応援しよう!
![AtelierSoleil|アトリエ・ソレイユ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/43513290/profile_28c60ec765bda573ad358c3e835a9145.jpg?width=600&crop=1:1,smart)