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ノイズか音楽か?

こんにちは。
コンサートサロン アトリエミストラルの櫻井です。
アトリエミストラルでは、2月6日(日)に「SAX á la carte サックス ア・ラ・カルト」と銘打ったサックスとピアノのデュオコンサートを開催し、こんな時期にもかかわらずたくさんの方に来ていただきました。

終演後、簡単な打ち上げをやるのですが、そこで興味深い話題が出ました。

ノイズか音楽か?

実は私、管楽器奏者のブレスの音とか、ギターの左手が指板を移動するときの「キュッ!」という音が好きなんです。という話をしたとき、ピアニストもスタッフも「私も~!」と盛り上がったんですが、今はCDなどではノイズとして処理され、消されてしまうようですね。だからそういう音源を聴いている人は、ブレスの音とかキュッという音に対し、違和感を感じるようなんです。
ちょっと前の時代までは、ノイズとして処理されずにリリースされていたようですが、いつのころからか、いわゆるノイズのない「綺麗」な音楽になっていったようです。

生演奏ならではの音

吹奏楽器でなくても、例えば弦楽四重奏などでは、吸う息の音を合図にフレーズの最初の部分を合わせたりしますし、ピアノのソロなどでも、うちのような小規模なサロンコンサートでは、ピアニストの息遣いが割と聞こえます。
ギターのキュッという音もブレスの音も、いうなれば「生演奏」でないと聴けない音なのかもしれません。
私が生演奏が好きなのは、音楽そのものの迫力とか繊細さを感じられるということの他に、こういう一般的にはノイズと判断されがちな「音」の存在が大きいのでしょう。

ライブ録音の生々しさ

そういえば、私はライブ録音が割と好きだということに気が付きました。楽章間の会場のお客さんの咳払いやちょっとした物音、そして拍手まで入ったライブ録音はまるでその会場に自分がいるような感覚になります。

生々しさを遠ざける時代?

ここまで書いていて思ったのですが、現代は必要以上にクリアーさ、清潔さ、透明感というようなものを重要視している気がします。そしてそれ以外のものはできるだけ排除したい、というのが時代の流れととらえると、ノイズとして処理してしまうのも理解できます。
このことは、特にコロナを経験してから加速しているのではないでしょうか?つまり、ウィルスへの防御として消毒やマスクをしているのと同じ感覚が、文化や芸術にも及んでいる・・・?
空気や生活がどんどんクリアになりすぎると、「生きている」という実感も徐々に無くなってしまうのでは?と思ってしまいます。

音楽とは?

生々しさやノイズを排除することを加速させていいのか?という疑問がわきます。ブレスしないと演奏できないし、指板を移動させないとギターは弾けません。それに伴う音もまた音楽なのではないでしょうか?
みなさんはどう思いますか?



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