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アトリエミストラル=大人の社交場 なのか?
みなさんこんにちは。群馬県高崎市のコンサートサロン「アトリエミストラル」のオーナー櫻井です。
自分の仕事として、小規模なコンサートが出来る場を経営していて、コンサートの企画もやっているのですが、それを人に説明するときやPRに使う時、簡潔かつ説得力のある「言葉」を探しているところです。
「大人の社交場」という考え方
以前の記事でアトリエミストラルを「大人の社交場」と捉えてみるという考え方を紹介しました。
確かに、お客さま同士、お客様と演奏家をつなぐ「場」という意味では「社交場」という側面もあると思います。しかし先日、ちょっとした違和感を抱きました。
私の目指すコンサートとは?音楽とは?
あるコンサートに行ったとき、それはまさにその演奏家のファンが集い、ファン同士もつながっていて、とても素敵な雰囲気でした。「きれいなおねえさん」的な方が多く、演奏家の方もファンの方も「意識」がとても高かったように思いました。
しかし私にはどこか「違和感」を感じてしまったのでした。
自分の目指す(あるいは)自分が企画するコンサートはこうではない・・・という何かあいまいですが、確かな違和感。
先日、その違和感の正体が分かったのです。それは「音楽がわき役」だったということでした。音楽はどこか「ファッション」のようだったのです。
私が企画したいのは、まず「(素晴らしい)音楽」があり、「(魅力的な)演奏家」が演奏をし、そこにお客様が集まってくるコンサートであり、主役は「音楽」なのだ、ということに気づきました。
なぜ生の音楽を聴きに(お金を払ってまで)来ていただきたいのか?
それは、その会場でその演奏家が演奏する音楽は、その時にしか聴けないものだから。音楽というのは消える芸術だからこそ、その一瞬にお金を払う価値がある。私はそういうコンサートを企画したい。
スマホで無料で聴ける「どこかで録音した、生ではない電子音に変換された音」ではない、その時でしか聴けないし、すぐに消えてしまうけれど、聴いた人の中にずーっと残るもの、をコンサートの主役に立てたいと思ったのでした。同じ演奏は二度とないのですから。
大人の社交場という言葉への違和感
これも以前、行ったコンサートでのエピソードですが、そのコンサートの終演後には主催者がワインやソフトドリンク、軽食などを用意してくださり、ちょっとした「パーティ」をする趣向でした。
その時私は一人での参加。知り合いは一人もいませんでした。日本人のご多分に漏れず、気遅れをしてしまう私。その前で、主催者と旧知の親しそうなお客様数人が、盛り上がっていたのです。手にはシャンパンとカナッペ(苦笑)
それを見て「自分はこれをしてはいけない」と思ったことを思い出したのです。せっかくその演奏家の音楽を聴きたくて遠くから出かけたお客様に孤独感と疎外感を味わわせてしまうではないか?と。
「社交場」という言葉には、共通の音楽の話題で楽しそうに盛り上がるお客様と主催者という図が連想され、良さそうに聞こえますが、そこには必ず「疎外感」を味わう人がいるのです。私だったら、二度と行かないでしょう。
一方で自然と集まるケースも
一方で、終演後演奏家の周りにお客様が取り囲み、その楽器についていろいろ質問をする、というケースも多々あります。それがピアノの場合は、私が説明することもしばしばあり、たいていのお客さまは、そこで初めて会うのに、お互いに言葉をかけたり、雑談したりしています。私が目指すのはこういう自然発生的な「場」です。
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いまだ見つからないアトリエミストラルを表す「言葉」
たかが言葉、なくてもコンサートの企画は出来るし、宣伝もできます。しかし、いつかは見つけたい。そうすると、その言葉を土台にしてアイデアも浮かびますし、目指す方向性も見えてくるはず。だからこそ、少しでも違和感があるものは、採用しないでおこうと思った次第です。
ただ、もう10年以上アトリエミストラルをやっていて、その中には何か一貫したものがあるはず。それを見つけられれば!と思っています。
長文失礼しました。