3/12「ベートーヴェンとともにVol.3」小田裕之ピアノコンサート 終了!

だいぶ遅くなりましたが、3/12に開催の「ベートーヴェンとともにVol.3」小田裕之ピアノコンサートは無事終了いたしました。おいでいただいた皆様、小田さん、ありがとうございました。

小田裕之さんは、プログラムのメインにベートーヴェンを取り上げ今回で3度目で、初のオール・ベートーヴェン・プログラムでした。

ピアノソナタ第12番「田園」
ピアノソナタ第15番「ワルトシュタイン」
ピアノソナタ第30番

ピアノはアトリエミストラルの1905年製プレイエル3bis。ご自身でもプレイエルをよく弾かれるとのことで、このピアノの個性を熟知していらっしゃいます。

調律はいつもお願いしている「さいたまピアノ工房」の渡邉孝則さん。「このピアノは(グランドにしては)小さいので、高音がキンキンしてしまいがちなので、そうならないようにしておきました~」とさらっと(笑)

向かって左が調律師の渡邉氏、右が小田さん

リハーサルの時点ですでにプレイエルの鳴りがすばらしくて、胸が一杯になった私。思うに、こういう瞬間に立ち会えることが、一番の楽しみなのかもしれません。ピアノの位置や照明の調整、客席の位置などを決めるのも含めて。

さて本番では、小田さんから放たれたプレイエルの柔らかく温かい音が、有機的につながり、まるで生きているかのように空間全体を行き来していたように感じました。

そして、音に「太い芯」を感じ、それゆえ高音になっても音が痩せず、低音はピアノの大きさ以上の重厚感を感じることができた気がします。

今まで私はどうしても、このプレイエルだからどうとか、この時代のこの作曲家とこのピアノは合うとか合わない、とか、そういうことを発信していました。しかし、肝心のその作曲家が目指し、表現したかった「本質」こそ、大切であり伝えるべきなのだということに気づかされました。

ベートーヴェンの作品において、ピアノが〇〇だからとか、時代がどうとか、はあまり関係なく、もっと「根源的」「普遍的」なものだと気づきました。自然への憧憬とか人間のあらゆる感情とかにも通じる普遍性。

しかし、こういうことに気づいたのは、小田さんの演奏であり、プレイエルの音であったのも事実で。。。ここが難しいのですが、楽器というのはあくまでもツールであって、最終目的ではなく、作品の表現するものはなんなのか?ということを常に考えて発信していく必要があると強く思ったのでした。本質を見極めるということですね。

ひとつのコンサートから、毎回様々な気づきをいただいています。それが回を重ねるごとに深みを増していて、ますます楽しいお仕事です(笑)

小田さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。
打ち上げも楽しかったです。

アトリエミストラルサイト



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