22222
平成22年は西暦2010年ですが、その頃皆さんは何をしていたのでしょうか?
私は当時大学一年生を終える頃で、愛知県長久手市で大学生活を謳歌していました。生まれ育った大阪とは違ってのどかな町で、でも大学で出会うのはそれぞれに魅力的であったり厄介であったりする同級生や先輩達。高校までの交友関係が霞んでしまうほどの怒涛のコミュニケーションが日々に満ちていて、2年生になってさらに後輩ができたらどうなっちゃうのかな?とそわそわわくわくしている頃でした。
そんなある日、私は下宿先のアパートで火事を起こしました。
バイトから帰ってきてベッドに座って本を読んだりしていたと思うのですが、電気ストーブを消さずに寝てしまい、そこに布団がかかって出火。
火災報知器の音で目が覚めた時には煙で真っ黒な部屋の中に火の橙色が浮かんでいるような景色だったことをよく覚えています。
大慌てで家を出た私は、当時たまたま隣に住んでいた同じ学部の先輩を頼って扉を開けました。鍵をかけずに先輩は明朝の卒業制作提出のためのプレゼン資料の校正をしていたのかまだ起きていました。
『私の部屋が燃えてて、消防に電話したいのでケータイ貸してください!』
先輩はケータイを貸してくれて、私が電話をかけている間に火を消そうと試みてくれましたが既に個人で消せる火の大きさではありませんでした。
隣の敷地に住む大家さんを起こして、人生で初めて泣き崩れながら謝ったこともよく覚えています。
6部屋の小さいアパートでしたが、幸い怪我人も死人もおらず私の部屋が全焼しただけで済みました。実家にも連絡が行き、父親が車で大阪から迎えに来ることになりました。
大家さんは刑事事件として訴えることができる立場でしたが、悪気があってのことではないのだからと許してくれました。
朝方、父親が到着する少し前に先輩は『口頭試問あるから…』と大学に向かいました。
口頭試問は卒業制作の公開講評のようなもので、私は大学生になって初めての口頭試問をこうして見送ったのです。
父親がやってきて、消防の人と話したり大学に連絡したり…怒涛だったはずなのに、このあたりのことでちゃんと覚えているのは父親と食べた干物定食が異常に美味しかったことくらい。何を話したのかもあまり覚えていません。
現場検証によれば午前2時頃の出火であろうとのことで、平成22年2月2日の2時頃はすごい2ばっかり並んでる…と思ったのでこれもよく覚えています。
あと3分逃げ遅れたら死んでいただろうということでした。
その後は一ヶ月ほど実家で過ごし、学期末のテストを受けるために3月からは大学の女子寮で過ごしました。ちょうど卒業生が引っ越しして空室がたくさんあったのが幸いでした。
火災保険が充分におりた私は洋服から家財道具まで全てが新品になったし、戻ってきたアパートの部屋にはコンロがついて収納も増えていました。なぜ同じ部屋に戻ったのかといえば、大家さんと父親の話し合いで迷惑をかけたからこそ卒業まで同じ部屋に住むという結論になったからです。その後の卒業までの時間を大家さんはすごく優しく接してくださって、まさに仏様みたいな人でした。
現在、制作で頻繁に1250度の火を扱うことになった私を昔から知っている友人は少し不安そうな顔で見ていることがあるし、その度に私は窯は窯屋さんが安全に作ってるんだよ!と説明している。
そんなやりとりも含めて今となっては笑い話でも、火災以降の数年は罪の意識で肉が食べられなくなってしまいました。
大阪に一ヶ月ほど帰省していたころ、母親に気が緩んでいるんじゃないかと言われた私は広がった世界にそわそわわくわくしていたことに罪悪を覚え、その頃母に勧められて読んだ本には肉食が多くの穢れの源であると書かれていたことも重なって私は肉が食べられなくなったのです。食べ盛りの年代の輪の中にいて肉を食べないことは時に非難もされたけど、既に自分自身の非難に耐えることで精一杯の私には肉を食べる選択肢はありませんでした。
大学院生になるころには少しずつ肉を食べられるようになっていったが、何か良くないことが起きるたびに『あの時、火災報知器の音で起きなければ良かった。逃げ出さない方が良かった。』と思う日々は続きました。元々あった希死念慮に明確な死の一歩手前の景色が重なってしまったのですから、振り返ってみれば20代はだいたいずっとどこかで自暴自棄だったようにも思います。
当時は心療内科に行く発想もありませんでしたし、今となっては火災と結びついた希死念慮は過去のものになってしまったので何が自分に起きていたかはわかりません。
今焼き物に携わっていて火に感じていることは、火の霊性や神秘・浄化の力。火によって随分恐ろしい淵を見たけれど、それでも火を美しいと思える私が生きていて良かったと今は思う。
実は今年はだいたい月1回ずつのnoteを使ったエッセイを書くことで文章の練習?を始めようと思っています。2月2日という私にとっての火災記念日にこの内容をアップしようとは前々から思っていたのですが…私のXを見てくれている人はご存知の通り、母の住む実家が火事になりそれにあわせたようなタイミングとなってしまいました(↑▽↑)
火災を起こす可能性は0.024%らしいですが、一親等内の家族で2人は流石にヤバいですよね…?!
火の神様とは緊張感のあるお付き合いが続くみたいですね🔥
今回は親族の持ち家ということもあって学生時代の火災とは全然違う問題に日々出会っているところです。今回の実家の火災のことも近々noteにまとめたいです。火災に対しての有益なnoteは既に世の中にたくさんあるので、あくまで個人のエッセイ的な内容になると思いますが。
↓にはもう何もありませんが、よかったら応援して欲しい…!ということで値段つけました。
このままスルーしてもらってももちろん大丈夫ですが、応援してくれると火災の後片付けに役立てます!(↑▽↑)
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