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受肉したスピリチュアリティー

解剖と、胎児の成長を学ぶ胎生学の観点から
今までの手技を新しく学びなおしてきました。

受肉したスピリチュアルティー

そのリアリティと秩序には確かな説得力があり
そこに何を足す余地もなく、何が欠けてもなり立たない、、もしかしたら全体性と呼ばれるものを
ほんの少し垣間見せて頂いた気がしました。

ただ透明な胚子の写真を眺める時間があり
それは2mmにも満たない大きさであり
でも全てがあり、そしてそれは動きそのもの、、

全ての成長には、そのものが発現する固有のテンポがあり、あるときには全く動いていないものが、ある瞬間に他の何十倍ものスピードで変容する、、

リズム、音楽、そこには見えない楽譜があるようで、、。その音楽を聴いてみたいと思いました。

それを聴く手が、たぶんセッションの場では1番大切なのかもしれない、、そうも感じました。

その小さな透明な存在を感じていると、

なぜだか泣けてくるようで
なぜだか知っているようであり
なぜだか思い出そうとすると
また泣けてくるようであり

なんでこんなことが起き、生きているんだと。
不思議でたまらなくなり、そこに自分の身を投げ入れるとまた治療の場で確かな変化が起きることにまた感銘を受けました。

その感動は、受け入れている、、自然の営みの中に、それを受け入れる、耳を傾ければその叡智を感じることができるという可能性を与えられているということからもしかしたらやってきているのかもしれません。

何に耳を傾けるのか

感じることを許すこと
そして、感じたことに簡単に
人間社会のルールで名前をつけてしまわないこと

それが起きている場にまねかれること

大切なことを改めて学びました。
これからまた実践の場で、新たな発見を続けていきたいと思います。

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