シード オブ クリエーション 11月のご感想
シードオブクリエーションは、ご参加者のワークショップでのプロセスを互いにシェアしあうことでできていく集団的クリエーションです。
潜在的なつながりやパーソナリティによる違いや多様性を見出しつつ、お一人お一人が新しい風景に出会っていければなによりです。
○当日は、とても心地よい場で、本当に楽しかったです。お互いの存在によって動きが生まれていく、人も場も(人も場に含まれるのかもしれませんが)動いていくのを感じました。
あの場で言いそびれてしまったのですが、知覚のワーク、見えるものではなく眼球を感じる、というワークの時、見えているけれど見ていないような状態でいる時に、目の左端のみささんが、場をぐっと引いてくださっているのを感じました。静かだけれど、はっきりと、体感として。
そして、その先には山中さんがいらっしゃった。お二人が場を保ってくださっている、と感じて、その後すぐ、いや、お二人だけじゃなく、この場にいる皆さんが、そうなんだ、と感じたんです。
それから、初めの瞑想の最中、咳込んだ堀口さんがマスクを探していらっしゃって、私は申し訳ないと思いながらも「それ」を意識の中から排除しようとして、苦心して中心にいようとしていました。でも、目を開けた時、山中さんは辛そうな堀口さんを気遣った後、私達に、堀口さんの方に意識を向けましょうと(言葉はうろ覚えですが)言われて。はっとしたんです。ありのままを受け容れるということを見せていただいた気がしました。そんなふうに(ワークの時だけでなく)いられたら、と思いました。
少しさかのぼりますが、10月初めにスチューデントクリニックに伺って、その後とてもよい状態で日々を過ごすことができました。静かに、温かい気持ちでした。月の終わりには、岡田さんのセッションを受けに行って、数カ月ぶりだったけれど、そこはやっぱり安心の場所でした。安心で、静謐、セッションは多層的で、深いものでした。
その翌日、からだとこころを扱うワークショップに参加しました。前半のからだのワークはすごく楽しくて、でも、こころのワークに入った時に、いろいろなものがばらばらになってしまった気がして。やっぱり感情は難しかった。ばらばらになって、それからの数週間、混乱してしまいました。
でも、お話ししたように、庭園が助けになりました。大切な友人と行った朝の庭園の、全てが、全てである状態、その中に私もいました。
ワークショップの前夜は、一夏さんの名刺のラフを描いていて、最初は一夏さんのイメージから浮かぶもの、植物や風景、、段々と抽象的になり、最後の方は、自分の中の動きを探る、というような描き方になりました。「そこ」に起こっている動きに忠実に、それを線に現すように。
ワークショップ当日、引き戸を開けて部屋に入った時に、すっと、あらたまる感じがしました。いつも入口から見て右のラインが強く見えて、そちらに引かれる、呼応するものがあるのですが、この時はそれは絶対に違った(当日のメモに「断じて違う」とあります)。窓の方、その下の明るさ、拡がりへ、招かれるように向かいました。腰を下ろすと、目の前に白い空白がひらけていました。
最初の瞑想は、終始背中に温かさを感じていました。外は曇り空だったのに、日の光に温められているようでした。
手のひらを上に。これまで手のひらに空間を感じるというのがよくわからなかったのですが、この日は、からだ全体で触れていて、手のひらを膝の上にのせると空間ごと、浸み込むように全部が入ってくる感じ。今まで想像していたよりももっと動物的な感じがしました。
「しっかりと正気を保った(?)自分がいて、その手に空間を感じて、それを自分の中に迎える」というのではなく、まず、自分が空間と交じり合って、親和性の高い状態になっていて、だから、手のひらを通して自分を含んだ空間が入ってくる、という感じ。そこには私も含まれている。庭園のことを思い出しました。
目を開けると、白い空間がひらけていて、とても気持ちが軽く、明るかった。一人ずつ、最近の様子や、瞑想についてなど話をする中で、つっかえながら、ここしばらくあったことを話しました。聞いていただけて、皆さんの声を聞いて、それだけで落ち着きました。
■液の体のワーク
数カ月前のワークの時には、液の体と聞いて、あまり自分の中に立ち上がるものがなかったんです。
これは関係があるかわからないのですが、以前、岡田さんのセッションの前に、その頃感じたことについて探りながら言葉にすると、一言、「それは液の体やね」と言われたことがありました。ぽつん、と。そのときに、(わかったわけではないけれど)ただ、そうか、と思った。それで、そこはしばらくそのまま、触れないままでいいや、と思った気がします。理解をしたわけではない、でも、そこは、そのままにしておこう、と。
けれど、今回、山中さんが話してくださった中に「動き」「動く」という言葉があった。何か、呼応するものがありました。
前夜の、絵を描いていたからだが反応したのかもしれません。
「治癒する時、そこにはまず動きがある」「空間が先にできて、そこに液が」、、山中さんの言葉が直に触れました。そうしたら、もうそこには「“液の体”ってなんだっけ」という問いは存在しなかった。必要なかったんです。今回、このことが一番印象に残っています。
からだの中に既に動きがあった。ただそれを感じたい、辿ってみたいと思いました。
からだの左側にネジやばねのような形状の反復の動きがありました。そうやって、少しずつ、進むようでした。
その後、からだの中心の辺りで、直線ですっと移動しては、そこでポッと灯る、またすっと移動しては、その地点でポッと灯る、という動きがありました。発光、電気的な光、のような感じ。
それから、みぞおちの辺りで動きが生まれました。からだの中心から背中側にぐっぐっと短い距離で引かれるような、穴をうがつような感覚です。ひとしきりその動きがあり、充分というところまでうがち、そして一気に前方へひらける、白い光のような空間が拡がりました。拡がる、進むためには、後退ともとれる動きが必要なようでした。
■知覚のワーク
視覚、眼球そのものを感じる。難しいけれど、ともかく物質としてそこにある、そのことでまず安心しました。あるのだから感じられるはずだ、という思い込みのようなものが面白い。ある、ということ、ない、ということ、、あとは冒頭に書いた、皆が場をバランスしている、という感覚がありました。
聴覚、耳。音ではないものが、呼吸のように(呼吸と共に?)出入りしている。耳殻の奥(穴の入り口辺り?)が、何かを感受しようとしている。
両耳のうち、意識せずに感じられたのは右耳でしたが、左耳に注意を向けると、そちらにも動きはありました。
嗅覚、鼻。実際の鼻腔とは別に、右鼻の脇に縦に二つ、穴がある。下の穴から吸い込み、次に上の穴から。目に繋がっている感覚。
そのうちにイメージが現れました。蛍光灯のような明るさの中に長いカーテンが下がっていて、下の部分だけ濡れている。その前に、白い何か、軟骨のような、生の白インゲン豆のような、濡れた質感の小さなものが落ちている。
知覚のワークを通して興味深かったのは、日常生活や、大抵のワークでは主にからだの左側が強く反応するのに対して、感覚器官は右側が意識されたことです。
■痕跡のワーク
左へずれて、堀口さんの座っていたところへ。多分、自分の動き、液の体を追った後で活発になっていたのだと思います。その状態で入ると、差異に驚きました。上はすかっと抜けていて、下半分のみ、胸、肩甲骨の下辺りから下半身にかけて重さを感じる。
首が細く胴が丸くなった醤油さし(の絵付け)のように、丸みを帯びた部分に縦にさーっと何本も藍色の線を引かれたよう。声で辿らなくても、その道筋(線)が見えていたので、声は必要ありませんでした。気づくと体は圧迫されている。横へは拡がりがあるが、前後はずいぶん狭い。密度が濃い?少し空気の重さを感じるけれど息苦しいわけではなく、窮屈さは次第に落ち着きに変わりました。
自分以外の人の痕跡をたどるのは本当に面白いです。いつもは自分の境界があるのに、このワークの時は軽々とそこから離れられる、というか、「自分の感覚」があるからこそ差異を鮮やかに感じるのか、、毎回驚きます。この場の自由さが有難いです。
○ペアになって治療を行う時、やはりエーテル体(肉体以前の領域)の領域に働きかける施術だと確信しました。個人的には働きかけができて、改めて驚きと可能性に驚きました。
これを教えるのは、すごく大変だと思いました…
これらの内容はオカルトではオーラ視や水晶視の中で触れる項目です。仮に理解しても確信に変わるのにまた時間がかかりますよね…非物理と感じる情報への信頼度を上げるには練習しかないので。
毎回楽しいです、会があって本当に充実します。ありがとうございます。
遠くの地平線や相手の静けさを見出す事によって私生活に戻った後も目線がかわりますね。
痕跡のワークで漏れなく全員何かをキャッチされていたのはすごいと感じたので、これを次のステップに再現性のある形で持ち込めたらいいなと思いました。ここで分かっていたら、施術でもわかる気がします。私の知る範囲ですが。
日々の瞑想やセルフヒーリングで認識の地平を広げる練習あるといいですが…私は山中さんから学んだ内容をアレンジして使ってます。対象の捕捉、関係作り、肯定、接点を持ってからゼロからマイナスへ持ち込む。そのまま自己対話での「気難しい相手方」との接し方に応用できました。
○この前のワークの帰り道で
話してくださったこと。ありがとうございました。
あのあと、自分が薄くなっていて、悲しい感じで…
自分がいなくなってしまったら、胸と肺の辺りに、
大きくぽっかり穴が空きました。
本当に空いていました…
というくらい空いてました。
せっかく作ったものを、
T先生に壊された感じがしていて…
昨日のワークのあと、T先生に、
自分がなくなって、
ぽっかり穴が空いてしまいました…
と話したら
『それがあなたです。』
と言われました(big eyes)
自分だと思っていたものは
自分が作り上げたもの。
キラキラしたエゴだった。
山中先生の言葉がよみがえりました。
まだちょっと寂しい気がします。
全然ワークの感想じゃないのですが、
繋がって起きてることなんだろうなあと思ってます。
この寂しいのが
不思議です。
○山中さんのline..『合ってるか間違ってるかのジャッジメントに知らず知らずに、行動も考え方も制限してしまいがちな現代だからこそ、本当に感じていることでコミュニケートしていける、それを生きる原動力にできる、、ここが、そんな生き方の実践につながる場所になればいいなと思いました』
あの後、閉じ込めていたものが、ブワッと出てきて、仕事のメンバーに、
まさに本当に感じている事を伝えるという事が昨日ありました。
言えて良かった、スッキリしております。
来年も楽しみにしております。