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治療と癒し

ずっと探求しているバイオダイナミクスの
本国のHPがリニューアルされていました。

創設者が亡くなってもう直ぐ2年でしょうか。

私にとっては詩であったページの印象は説明になり、どこか違う次元からの手紙のように感じていたものが、医療の枠の中に綺麗に収められた感じの印象でした。

個人的には解読不能の空気感だけが伝わるような文章にとてもインスパイアされていたのですが、
ある意味書き換えられた意図もなんとなく、3次元の住人としては理解できるのです。

今年に入って、その創設者JAMES JEALOUS.D.O.の
“An Osteopathic Odyssey“を日付どおりに
毎日言語と日本語の両方で読み始めました。日記のように毎日少しずつ残されているので。

spaceとroomの違い、cultureとartの違い。
同じ空間でも彼にとって何がspaceで何がroomなのか。同じ文化でも彼にとって何がcultureで何がartなのか。その背景をじっくり感じながら、読みます。

ある日の日記にはこう記されています。

“自分の経験を誰にも話さないこと。
内側、外側で誰が聞いているか分かるまで“

keep silent about your experieoce until you are aware of who is listening ,inside and outside. 

これには短い文が続く、一部抜粋ではあるのですが、それにしてもこんなことが、骨の話、内臓の話、構造の話、それに並んで出てくる本は、見たことがありません。

読むといつも感情や身体、空間など未分化の、なんだか不思議な体験として残るのです。

身体を探求し続けた人の言葉は、一度目を通した時にちょっとつまづくような‐(常識や道徳など、習ってきたこととはちょっと違うので‐)感じがあるのですが、これがとても大切なように思うのです。

つまづきとはある抵抗のようなもの。
あれ?いつも聞き慣れてる話となんか違うぞ?と。

すると感覚の再確認をしてみたり、もう一度自分で感じようとしてみたりがやっと始まります。

同僚の男の子が、以前
“誰もが治療されることはできなくても、癒されることはできる“
たしかそんな文章をFBにあげていましたが、
そのプロセスがわたしにとって“癒し“と呼ばれるものなのかもしれません。

HPの書き換えの印象は“癒し“から“治療“への変換のようなものかもしれません。私にとっては。

でも、それは切り離されたものじゃない。創設者の伝えようとしてくれた世界を、願わくば両手を広げて受け取りたい。そう願う今日この頃です。

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