足りなかったのは「私は」と「本当は」

山田由加子です。

こちらの記事を書いていて気がついたのが、

「自分では何もしていなかった」

と思っていたけど、

「いやいやいや、結構がんばって教室やっていたんだな~」
「そんながんばりを、認めていなかったのは何より自分だった」

ことに気づいて軽くショックを受けております(笑)

次のキャリア…教室を立ち上げ軌道にのせて夢を叶えた。
じゃあ、その次の展開に向けて行動をしていた。
なのに、次第に勇気も気力も失われ、辛くなっていった。

「何のために?」
「どうなったらいい?」

もちろん、それは考えての行動だったのだけど、

「私は」
「本当は」

で考えていなかったんですよね。

「自分の本音や大切にしたかったこと」
※自分軸や価値観とも言いますが
ここを出さないまま、

生徒さんや周り、社会の求めていること
ばかりに気を取られてしまっていた。

そんな中心身ともに追い込むまで仕事をして
疲れ果てて余裕がなくなってしまった。

その結果
「主婦に嫌われないようにしなきゃ」

「何のため」も「どうなったらいい?」
といった肝心なところに目がいかなくなり、
目の前で起こっていることに勝手に振り回されて疲れ果ててしまったのでした。

で、そこで気がつけばよかったのですが、
気がつくところか
今思えばお門違いな発想にむかっていったのでした。


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