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まいにちクラムボン

※かわいいかにさん画像フォトギャラリーよりお借りしました。


お兄ちゃんが小学生に上がって
4月から保育園の送迎が3歳の次男の一人だけになりました。

母は少し楽になるかと思いきや、
彼のあふれ出る体力とエネルギーと私の残りの気力は、
朝と夕方のハードな散歩に費やされます。

朝・夕方。
つまり保育園を送る前とお迎え後のひととき。
(この時間だけは母親を独占できると彼は分かっているのかもしれません)
夕方はハードなうえ、ロングです。

彼がはまっているのが「さわがに」を見に行くこと。
住宅の隙間にある小川にカニを見つけた日のことが嬉しかったのか
毎朝・毎夕と、カニの観察に付き合わされます。

「かにさん みにいこ?」
「かにさん どこだ」
「かにさん いないねぇ」

カニはいつもいるわけではないようで、見つからないと不満そうです。
雨上がりなんかはエンカウント率が高いことに気付く。

右側のはさみが大きいオス
はさみの大きさがおなじメス
淡い色の子ガニたち

よく見ると違いがある。
必ず横歩きするわけでもないんだな。
煮詰めたらオマール海老みたいな味なのかな。

小さい子供を連れているのでたぶん事情は汲んでもらえると思いたいが
住宅街に毎朝、毎夕出没しては小川にへばりつく親子はけっこう怪しい。

クラムボン。
ふいにそんな単語が浮かんだ。


「クラムボンはかぷかぷわらったよ」
「クラムボンは死んだよ」
「クラムボンは殺されたよ」
「クラムボンは死んでしまったよ・・・」

クラムボン、私もう疲れたよ。

私の精神は死んだよ。
私の精神は殺されたよ。
私の精神も死んでしまったよ。

春なのに寒々しい気温が続き、夕刻はさらに冷える。

ひとしきりカニを観察すると、
お山の神社の方へ行こうと催促される。
足取りは重く、お腹も痛くなってきた。
はやく帰りたい。

しばらくこのループを続けたあと、なんとかこのガキ、じゃなくて御子様を車にのせ、やっと家路につく。
家に着いても、まだ遊び足りないと公園へ走って行くエネルギッシュさ。
やれやれ。
この一連のハードな散歩により、今宵の酒も美味そうだ。



あとがき・蛇足
クラムボンと蟹は宮沢賢治「やまなし」という童話からの連想。

宮沢賢治は「聖人ぶった東北のインテリ坊ちゃん」(ほんとは好き)

ノブレス・オブリージュ(※)な自己犠牲は尊いが、
育児プロレタリア(※)で自分のことで精一杯な自分には住む世界が違いすぎて眩しすぎるねえ。

私のまいにちは、こんなもん。
「クラムボンを血祭りにあげろ」
「さわがには一匹残らず天ぷらにしてやる」
「やまなし酒をキッチンで飲み干す」
「クソガキどもメシの時間わよ」
「この晩飯を食べる権利をお前らにやろう」
虎のような母に子供たちも苦笑い。

「残念ながら、食わせるのは親の義務じゃよ。」
そこへ、夫が水を差す。

吾輩は(※)である。
(でも心は宮沢賢治でいたい。
偽善者と嘲笑われても、デクノボーと呼ばれても
弱きを叩くことなく寛容なヒュウマニストを気取りたい)

という恥の多い人生を送ってきました。
そんなチョット鼻につく文学知ったかぶりカイツブリ。

ノブレス・オブリージュ
「位高ければ徳高きを要す」
高貴な者は、社会の規範とならねばならないこと。

プロレタリア
自分の労働力を資本家に売り渡して生活する賃金労働者。
⇔ブルジョワジー


中島敦「山月記」の虎。
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」によって人から虎にメタモルフォーゼ。
プライドの高さゆえ才能を磨く努力から逃げて社会から孤立する、李徴という登場人物さながらの人間のこと。

参考 Wikipedia、コトバンク他


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