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卒園式で泣かないように「大丈夫」を歌う

※表紙は子供の図工作品のコラボ(長女+長男)
年度末は色々宝物を持ち帰ってきますね。

保育園の卒園式について

いよいよ明日。
まだ終わってないけど終わった気になって書きます。
なんでって?
本番で泣かないためさ。

※わが子を保育園に預ける方、幼稚園の方、
自宅保育の方、そもそも子供がいない方。
それぞれいろんな苦楽があり、みんな特別な存在なのだと感じます。
それぞれの人生を尊重し合えると良いと思います。

以下は保育園に子(長男)を預けている、親の個人的な想いを書いています。長いしそういうの微妙な方はスルーして下さいませ。
保育園だから劣ってるとか優れてるとか、そういう文脈ではまったくございません。(いちおう批判対策)←ビビリすぎ

じゃ、書きますよ。


保育園に子を預ける親というのは

自分が働いている時間
子の世話をすべて保育園に任せています。
(保育士さん本当にありがとう。)

働くことに色々な事情はあれど、
育児より仕事を優先する自分に
どこか「罪悪感」を抱えたりしながら。

とかくこの現代では「良い母」が求められてやまない。
虐待・ネグレクト・・・悪い母はすぐ糾弾される。
これには色々苦い思い出がありまして。

母親失格、
とまではいかないけど、あまり向いてないね。
怒りと忙しさで、時々記憶が飛んでいる毎日。

仕事も育児も中途半端で、
子供にキツく当たってしてしまう自分が嫌になる。

それでも、きみは物心つく前、
ベビーカーの赤ん坊の頃から保育園に通ってくれてた。
はじめての登園での朝の別れ際、
園の玄関でこの世の終わりみたいに大泣きしていたわが子。
私も泣いてたよ。心の中で。

コロナになったりインフルで全滅したり
休みすぎて職場で嫌味言われたり散々だったけどさ。
(これは世界を呪ったね。ここでは書けない闇堕ちエピソードが満載)

お迎えに行くと満面の笑みで抱きついてくる。
工作で作った謎のロボットやら列車を得意げに見せてくるわが子。

そして保育園生活も最後のこの日、
すっと背丈が伸びて(偏食だからモヤシだけど)
立派に育ってくれたわが子の姿。

「おかーさん大変じゃないようにおてつだいするね」
「いつも美味しいごはんありがと!」なんて
ほんとに自分の子か?って思うくらい素直に育ってくれたわが子の笑顔。

いや、別に素直な良い子じゃなくてもいいんよ。
でもこんなにまっすぐに成長してくれたのは
先生方の温かい支えがあってこそ。

私はお世辞にも親に向いてるとは思えない人間ですが
同じく親に向いてるとはとうてい思えなかった夫と
もがきながら、戦友のごとく
親になっていく日々を重ねるのもいい。

きみはうちの子になりたかったかは知らないが
ろくでもない人生の泥沼に咲いた
一輪の蓮の花のように
きみの存在が私の救いなことは事実だ。

良い母である自信はないけど

温かいきみの隣で眠る日々が
幸せなことだけは確かな事実だ。

・・・私も自分の親にそう思われて育ったのかな。
そうだったらいいけど
生意気なガキだったからそうでもないかもな。
別にそうでなくてもいい。
今や自分が親なんだから。
(ヴェルタースオリジナルのおじいさんみたいな気分)

とか考えてると
いろんな想いがあふれてきてカタルシス。
勝手な涙があふれるわけで。
(予行練習)

※wacci『大丈夫』という曲について

新しい歌は新しくないので心に響かない悲しき大人。
この歌を卒園式の時に合唱するとかで、正直だりぃーと思ってたけど
別の保護者さんに「覚えました?難しいですよね」とか言われたから渋々聞いてみたら。
あぁ、これはずるい。親への「大丈夫」じゃないか。
で、また号泣。
『37.5℃の涙』ってドラマの曲だってね。
内容1ミリも知らんけどその意味するところは痛いほどわかる。

そんなわが人生、何も大丈夫じゃないけど、とりあえず合唱がんばるよ。
これは長男と園の先生方に捧げます。ありがとう。

誰かの理想になろうとしすぎて 越えられないボーダーライン
気がつけば 引いてしまってる
自分で選んだ道なんだからって 誰にも頼れずに 一人ぼっちで戦ってる

wacci/『大丈夫』

涙を流した君にしか 浮かべられない笑顔がある
転んで泣いても大丈夫 素直になっても大丈夫
生きていくだけで人は皆 数え切れないほど 乗り越える
だから 大丈夫 こぼれおちた分だけ
強くなる 強くなる 強くなれる 大丈夫

『大丈夫』サビ部分


長女作 モチモチの木?

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