湖北の風景17 足柄山のあしがら神社
※長浜市南東部の足柄山(列見寺山)にある2つの「あしがら」神社へ行きました。
芝桜が咲く頃の写真です。
この酷暑が続く時期は、なかなか「風景」を見に行けない日々が続きます。
鳥居や新緑、ありふれた景色だと思っていたけれど、容易に行けないとなると恋しくなる人の心のあさましさよ。
・足柄山といえば金太郎(坂田金時)伝説
滋賀県にも「金太郎の里」を謳っている長浜市西黒田(旧坂田郡布施)という地区があり「ほんまかいな」と気になっていました。
とても失礼だけど、微妙な二番煎じ伝承が滋賀っぽい。
しかし!新羅系をルーツとする豪族息長氏の本拠地であり古代より製鉄で栄え、ヤマタノオロチの息子ともされる鬼、伊吹童子ゆかりの伊吹山の麓であり、地名は「坂田」であり、菅原道真ゆかりの奉納相撲のある芦柄神社もあり、etc
金太郎伝説の素地としては、あながちでっち上げとも言い難いかもしれません。
とりあえず気候の良い時に2つの神社を見てきましたというお話によかったらお付き合い下さい。
※足柄神社(長浜市八条町)
※隣町、もうひとつの芦柄神社(長浜市本庄町)
※蛇足
隣の松の岩公園(市営墓地)の階段
足柄神社(あしがらじんじゃ)
祭神 天照大神
花園天皇の御代正和元年(1312年)北条時村の嫡子左近将監盛、当地に一社を建立し、足柄神社と称し今日に至る。
※「左近将監盛」がイマイチ不明だけど、鎌倉武士系の神社ということは理解。
芦柄神社(あしがらじんじゃ)
祭神 大年神(穀物の神)、火結神(=カグツチ神、火の神)
寛平5年(893年)菅原道真公の勧請によって建てられた社で、天台奥堂の鎮守神となっていた。しかし後世において町の産土神とし今日に至っている。
かつては宮相撲の奉納で各国の力自慢の若者が参加して力と技を競った。
現在では近所の小学生達が相撲に参加し、祭りを盛り上げている。
※こちらはけっこう歴史が古い。菅原家と相撲は関係があり(今回割愛)
土俵があったのもまぁ納得。
・西黒田の金太郎伝説より
金太郎は天暦9年(955年)息長氏の一族として、近江国坂田郡布施郷に生まれた。幼少時は西黒田の里山を駆け育ち、道真ゆかりの富施寺で学問にも励んでいだ。芦柄神社の奉納相撲にも出向き見事な力を発揮した。
この地は製鉄業が盛んで、青年となった金太郎は鍛冶屋で働いた。ここから「金の字の前掛け」「赤い肌」「マサカリ」のイメージが生まれた。
20歳になった金太郎は、妖怪ハンター源頼光にスカウトされ家来となった。名を坂田金時と改め、地元の地理に詳しかったのもあり、伊吹山の鬼(伊吹童子)退治では活躍した。他にも様々な手柄を立て、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに、頼光の四天王と称されるまでになった。
※※※
金太郎という英雄について(私見)
一般には山姥の息子だとか怪力で肌が赤いとか、なんとなく鬼っぽいというか、京人(みやこびと)とは違う異民族な描かれ方をされますが、近江の金太郎に関しては製鉄民で文武両道だったという解釈は斬新ですね。
天日槍・神功皇后・継体天皇につながる(と記・紀では一応書かれる)、豪族息長氏につながるエリートな系譜が、怪童丸(金太郎の別名)とか、まつろわぬ民感出されると、なんだか複雑ですし。
桃太郎や浦島太郎などの昔話と比べてイマイチ話が地味な金太郎ですが、
子ども達がたくましく立派に育って欲しいという理想と鬼(異民族)退治の伝承をまとめちゃった結果が、こんにちの金太郎伝説なのでしょうか。
皆さんの地域にも金太郎や鬼退治伝説はありますか。
英雄と讃えられる者、鬼と蔑まれる者。征伐する者、される者。そんな歴史に想いを馳せてみませんか。
※参考「西黒田まちづくりセンター」より
※金太郎の時代を描いた今村翔吾さんの歴史小説。
金太郎が結構良いキャラで泣けます。