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舞台における最も尊敬する人が小林賢太郎さんであるなら、人として最も信頼している人が住職。
皆さん、おはようございます。
どうも、小屋付きの人ちゃんみかです。
台風がじわりじわりと動いてますね。
被害が最小限でありますことを祈っております。
さて、8月の扱いきれていない自分も
やっと少しずつ調子を取り戻しています。
昨日あたりから『あれ、いいかも』と、自分の調子が合っていくのを感じてました。とはいえ、まだ扱いきれていない部分の残り香みたいなものはありそうなので、調整していきたいと思います。
あ、これ体調の話とかじゃなくって、なんとなく自分のバランスが崩れている時というお話です。
さて、今日はかけがえのない3日間を過ごしたことを書きたいと思います。少し長くなるので何回かに分けてね、じっくり丁寧に書きたいと思います。
私には、信頼している人が何人かおりますがその中でも、私にとって神様みたいな人と信頼しているのが弘憲寺というお寺のご住職です。
多分ですけど、皆さんがイメージする「オーソドックスなお寺の住職」とは、だいぶかけ離れているお方だと思います。(失礼)
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ものすごくエネルギーがあって、熱くて、真剣で、チャーミングさもあるかたです。
一番は、人の表面ではなく奥まで見ている、というところの凄さがあります。
嘘がない、絶対的な何か、があるのです。
私の場合は、スピリチュアルな感覚も
見えない何かにすがることもございませんが
住職が「大丈夫」と言ってくれるなら絶対大丈夫、と思っています。基本的には、神様は絶対見ていてくれる。と思っています。
人がいくら私を否定しても、住職が「大丈夫」と言ってくれるなら大丈夫だし、住職が「あかんやろ」と言った時には、一旦止まります。
私にとっては
《全てのことは自分次第であり、その姿をしっかり見ていてくれる神様みたいな存在》なのです。
おてんとうさまは見てくれているとか
そんな感じ。
お寺に通っている人が人としてできているかというとそうでもないですし、信仰って、どういうことか人によって全く違うと思います。
私の場合は、自分を高めていくことだったり、人としての道を真っすぐ進んでいくことを見守ってくれる存在、といいますか
道を示してくれる存在であります。
私が最も尊敬してる舞台人、小林賢太郎さんと感覚は同じですね。舞台における最も尊敬する人が小林賢太郎さんであるなら、人として最も信頼している人が住職。といった感じ。
かけがえのない3日間とは
住職はじめ弘憲寺信者の皆様と過ごすことができた、新潟での日々のことです。
住職、YouTubeやってます。
では、また。
KaFuKa