勢いのままSMAPのこと
結論から申し上げると、SMAPは日本社会に必要な存在なのだと思う。
各所で5億回はされているであろう話だが、先日のまつもtoなかいを視聴して改めて自分なりに解釈したことをちょろっとだけ。
なお、日本社会云々の話をするが、政治や宗教的観点は一切関係ないのであしからず(そんな崇高で学のある話ができるわけない)
日本の余白を担っていたSMAP
SMAPの話をする前に、何事にも一定の余白は必要だと思うという話から。
仕事でデザイン関連に少しだけ携わっているのだが、一見不要そうな空白が、目を休める場所というか、全体のバランスを整えたり、結構重要な役割を果たしていたりすることは往々にしてある。(そういう余白に無理に情報を入れようとする偉い人が時々いるが、いやわかるんだよ、スペース埋めたくなる気持ちは)
社会においても、コロナ禍を契機に無駄を削り効率を重視した結果、働き方が大きく変わりつつもある。オンライン会議は分単位で連続して入れられるし、家で誰にも邪魔されずに作業できる。すごく良い面があったその一方で、その分削られた移動時間や雑談、リアルに膝を突き合わせるコミュニケーションが、人との繋がりを生んだり、自由な発想を生み出したり、社会を動かすのに大切なことだったのではないかと感じる(いや、移動時間は無くていいな。どこでもドアの開発はまだか…)。社会を回していくのに直接的に必要ないと思われていた部分、つまりは余白の部分が、コロナをきっかけに少なくなってしまった。
とまあ、ここまではこの3年で頻繁に言われていたこと。ここからはちょっとだけ壮大な話。素人考えだが、Twitterや noteは個人が自由に発言して良い場所だと信じて。
日本社会そのものを大きく見たときに、余白の部分を担っているのがエンタメ産業なのではないかと考えた。エンタメという余白があるから、ひと休みできる、生活のバランスがとれる、そして明日もまた生きられるのだと思う。少なくとも私にとってはそうだ。
そしてそのエンタメの際たるものが、国民的アイドルであり、老若男女に愛され、テレビの中に当たり前にいるSMAPだった。そう考えると、私たちは2017年の元旦以降、社会生活を営むうえで重要なパーツを失っていたことになる。
SNSやリアルで「SMAPのいない日本をいかがお過ごしですか」と問いかけていたが、自分がなぜその問いをしていたか、その本当の意味が、4月30日に理解できた気がする。
日本社会にいるだけのSMAP
SMAPの再結成を望むのは、もう一部のファンだけだと思っていた。中居さんと香取くんの共演に喜んでいるのは、界隈の人だけ。社会的関心はもうあまり高くない。自分の心を守りたいがゆえに、それが事実であると勝手に思い込んでいたのだ。
でも、蓋を開けてみたら事実は違っていて、TVのニュースとして取り上げられるし、Twitterのトレンド1位になるしで、日本中が2人の再会に注目していた。待っている人は、日本中にたくさんいたのだと、初めて知ることができた。
SMAPがいない6年の間に、日本や世界には大変なことがたくさんあった。前述したコロナに、そして戦争。
戦争が始まったとき、SMAPのTriangleが改めて注目を集めた。人の命はただ平等である、そう歌った曲が注目を集めたのは当然のことだったと思うが、それがあまり広がりを見せなかったのは、発信基地となる歌い手がいなかったからではないだろうか。
どんなに歌が上手いアーティストでも、どんなに魅せ方が上手いパフォーマーでも、あと一歩足りない。SMAPのパワーで届けてくれないと、届かなかったのかもしれない。それくらい、言ってしまえば彼らは「いるだけ」で良い存在だったのだ。日本社会にいるだけのSMAP。それを、社会は求めていたのかもしれない。
もちろん、ただいるだけではない。彼らの持つ、代替が絶対できない圧倒的なパワー。あれ何なんでしょうね、ビートルズやクイーンで例えるよりもイチローや大谷翔平で例えた方がしっくりくるヒーロー感。そこにいるだけで「あ、大丈夫だ」って思えてしまう不思議な存在感と安心感。3歳児にとってのアンパンマン感。それらを、テレビ越しに彼らは私たちに伝えてくれる。歌で、パフォーマンスで、声で。彼らの発信だから届くものが、確かにそこにあるのだと感じる。
余談だが、いるだけの存在といえば、SixTONESの髙地優吾について。
彼のグループ内での役割は「いるだけ」。一見すれば何のこっちゃというポジションだが、SixTONESを知れば知るほど、彼の存在の大きさを感じる。髙地優吾はSixTONESという小さな社会で、日本社会におけるSMAPの役割を果たしているのだと思う。のびしろがありすぎる。
待っていて良いのだと思えた
先日のまつもtoなかいにて、中居さんと香取くんが以前から連絡を取り合っていたことが判明したわけだが、初出し情報すぎるというか、まったく片鱗も見せなかった話だっただけに、初めは理解が追いつかなかった。つまりは、休養する中居さんの性格や想定される言動までひっくるめて理解して行動した香取くんという、どちゃどちゃなドデカ6年越し隕石がオタクにダイレクトアタックしたってことで合ってる?あの瞬間心肺停止したオタクいたんじゃない?生きて。
6年ぶりの2人の対話は、エモという言葉で語るにはあまりに軽すぎる。それよりももっと深くて複雑で、でもきっと2人にとっては積み重ねてきた時間の分、私たちが思うよりずっとストレートで、そして何より優しさと愛に溢れていた。幸せな時間をありがとうございました。
私たちはあの番組で、まさに歴史が動いた瞬間を目の当たりにした。まだまだ6人が集結するまでは長い年月がかかると思う。それでも、あの瞬間は希望への確かな一歩だった。(2人が数ヶ月前から交流していた前科から考えると、キムタクあたりとっ捕まえてひっくり返したら何か出てくるのでは?というか出てきてくれ頼む。『中居木村、焼肉』が見出しの週刊誌はいつ出るんだ)
希望が現実となる日まで、6人が集合する日までは、健康で、ほどほどに日本経済を回して、元気に生きていないといけない。そう思えた4月30日だった。
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