見出し画像

救世主が、この世を滅ぼす時代

個々の人間の視界の到達点は何によって決まるのだろう。
自分が生きている世界を、どの範囲までと規定するのか。
配偶者や子供、あるいは親兄弟を含めた、半径2mくらいをすべてと思えば、赤の他人が傷つこうと全く気にしないでも生きてゆけるのだろうか。

しつこいようだが、今話題になっている某マスコミの話になってしまう。
事実関係の全貌は私にはわからないので、話す立場にはない。
ただ、傍観者として見ていても、おかしいな、と思うことがたくさんある。
自分は男性なので、きっと今までの60年近くを、大きな差別を受けずに生きてきたはずだ。
日本というのは、女性であるというだけで、添え物のような扱いをされる社会であると、長年言われてきた。
現在の自分の職場、職種では、女性の割合が多いので、身をもって女性差別を感じたことはない。現に私の上司は女性である。
だからといって別段不満を感じたことはないし、おかしいとも思っていない。
給与体系も男女の差はないようだ。ただ、これも現場の話だけである。
管理職クラスになると、とたんに女性がいなくなる。
物事を決める場所では、ほとんどすべて男性だ。
今まであまり考えたことがなかったが、今回の騒動で少し注目してみたら、おかしなことがたくさんある。

男女雇用機会均等法。

仰々しい名前だが、そもそもこれを法律で決めなくてはいけない事自体がおかしくないか?世界中のどの国にも、程度の差こそあれ差別はある。性別はもとより、肌の色、出身、宗教の違いによる差別は至る所にある。
文明というのは、偏った考えを知ったうえで、最適な方法で克服する手段を見つける事ではないだろうか。
思ったままに差別的な言葉を投げかけるなんて、まるで未開の世界の人ではないか。
ちょっと立ち止まって考え、「こんなことを言ったら、相手が傷つくだろうな」と思ったら、言葉にするのをやめる。
これが文明ではないだろうか。

匿名だから。
誰が発言しているかわからないから。
誰かが似たようなことを言っていたから。

どう見ても高度な文明を持った人のすることとは思えない。発言だけではなく、行動も、だ。
いろいろなところで引用され、さも正しいかのように言われてきた説がある。
有名なアブラハム・マズローの欲求段階説である。
人間の欲求階層の最下層、つまり誰でも持っていて、生命維持に必要な欲求。
この中に、「性欲」が含まれているというのだ。
「呼吸をしたい」「水を飲みたい」「排泄したい」
この辺は、しないと死んでしまうのだから、生理的欲求と呼ばれてもおかしくはない。

しかし、「性欲」にはこれほどの切迫性がない。
性欲が満たされないと死んでしまうのか?
性的不能になった男性は、すぐに死んでしまうのか?

あまりにも雑な理論ではなかろうか。
都合よく引用されるが、こういうところにも恣意的なにおいを感じる。
自分の都合の良いように、都合の良いものだけを例に出して誰かを追い詰める。
性欲は本能だから、抑えることはできない?
そんなバカな。
いつから始まったのかは検証しないとわからないが、今我々が生きている世界は、こういうところだ。
長年かけて男性が作り上げてきた男性に都合の良い社会。
高度経済成長をもたらしたのは、もしかしたらこういう手法だったかもしれない。
事業を拡大し、収入を倍増させる。
このような男性的な手法が功を奏した時代があったからこそ、日本は経済的に発展したのだろう。そのことは否定しない。

ただ、大きく振れた振り子の、揺り戻しが来ている。

男性主体、発展と成長が最大目標であった時代に終わりが来た。
足元を見ずに突っ走った結果、日本の足元は崩落してしまった。
足元を支えることを強要されてきた女性たちは、少しづつその重荷から逃げ出し始めた。
彼女たちにも、自分の人生を謳歌する権利がある。
男性を支えるのが役目である、など、妄想に過ぎない。
足元の支えを失った男性たちは、終焉の兆しの中にいる。
まだ気が付いていない人たちもいるようだが、確実に背後に迫っている。

なぜ最初に視界の到達点の話をしたかというと、この男性たちには何が見えているか不思議だからだ。
どんなに会社が大きくなっても、どんなに軍事力があっても、どんなに経済大国であったとしても、それは一瞬のことだ。
自分がその地位にある間だけ、この国が今の状態でいてくれればいい、とでも思っているかのようではないだろうか。
例えばセクハラやパワハラを行う人。
例えば某メディアの代表の人。
社員の女性を酒の席に強制参加させる人。

こういう人たちにも、奥さんや子供や孫がいるのではないか。その人たちの将来がどうなろうと、なんとも思っていないかのようではないか。
男性と女性がいないと、子供は生まれないし、育てられない。
「あんたの子供なんか生みたくない」
などと言われたら、後を継がせようと思った男の子が生まれないことになる。
一族で会社を大きく育てていこうと思っていた経営者はどう思うのだろう。
自分だけで子孫を作れるとでも思っていたのであろうか。
どんなに会社を大きくしても、その会社のある国がどんどん矮小化して、ニーズもユーザーも存在しない国になっていたらどうなるのか、少しでも想像してみたことがあるのだろうか?

大きなテレビ局を持っているのに、見てくれる人が100人しかいなかったら?
他のテレビ局と、視聴率の取り合いをすることになる。

人口が100人しかいなかったら、年間何万台も車やパソコンを製造する意味などない。

ディストピア映画の結末ではないが、見ている人間がいない荒野で、ブラウン管にファミリードラマが映し出されているような、恐ろしい光景を目の当たりにしている気がする。

いいなと思ったら応援しよう!