部下と上司と膝栗毛⑨
昔の話を聞かせて
4月。世は、入学式入社式と新しい年度が始まりを迎えている。
日々の、不規則で理不尽な寒暖差こそあれ、今年も花見のシーズンが到来した。
王子駅に程近い、飛鳥山。
数年前の、初めて二人きりで出かけた日。
「初めて来た」と言った芳香に、最上は目を剥いて驚いた。
「嘘でしょ!? だって大学、荒川線沿線じゃん!」
都内に現存する2つの路面電車の1つ・都営荒川線。三ノ輪から早稲田を結ぶ沿線に、芳香は学生時代通っていた。
だが、今でこそ頻繁に出かける芳香だが、大学時代はそれこそ自宅と学校の往復だけだった。
大学3年の春、神田に住む父方の祖父母と同居を始めるまで、新宿へ出るのに30分かかる郊外に住んでいたからだ。
「毎度毎度うるさいですね……飛鳥山まで出なくたって、学内で事足りたんですよ、桜は」
「いやぁ、もったいない……本当にもったいないよ」
初めて飛鳥山に来た時と全く同じ会話に呆れながら、石段を上がっていく。
午前中まで降っていた雨の影響で、いくらか花は散っていたが、山全体を覆うように植えられているため、圧巻だった。
新年度が始まった平日とは言え、見物客は多く居て、麓のロープウェイの乗り場は列を成している。
アスレチックなどが集まるエリアへ歩いて行くと、本来なら滑り台の下が砂場となっているであろうそこが、持ち前の水捌けの悪さを発揮し、一種のウォータースライダーと化していた。
「大惨事になりそうな……」
「もうすでに、どこかの危険知らずがやらかしたみたいだね」
一番長い滑り台に、泥が伸びているのを見つけて芳香は、大いにやらかしたであろう子供の母親に同情した。
「昔さ、幼稚園の園庭にキノコの形のあんなのがあってさ……」
不意に最上が話題を変えてきた。
彼の視線の先には、子供が2人くらい入れそうな家型の遊具で、中には小さなテーブルと向かい合うように椅子が付いている。
よく広い公園にあるような、おままごとに適した遊具だ。
「お昼休みは必ず友達3人と陣取って、他者の侵入を許さなかったなぁ」
「よくある秘密基地争奪戦ですか」
かくいう芳香も、幼少期の最上同様、近所の公園にあった、小屋型の遊具を1人で占領してはおままごとをしていた。
「そんな感じかな。で、周りがドッチボールとかサッカーとか、鬼ごっことかやってるのを実況する遊びしてたよ」
「遊びのレベルが幼稚園児のそれじゃないのよ……」
予想の斜め上を行く、かなり高度なごっこ遊びに芳香は思わず噴き出してしまった。
「それぞれ担当があって、2人は実況、1人は転んだ子の救助と、転がって行ったボールを取りに行く係だった」
「ボールボーイ設けてる辺り、本格的過ぎる……」
見るからに濡れたベンチで花見をするのも気が引けて、二人は園内を一周して、飛鳥山を後にした。
最上にそう言われてやって来たのは、茗荷谷だった。
播磨坂。駅を出た春日通りを歩き、春日や後楽園へ向かう千川通りに伸びるそこは、見事な桜並木が続いている。
「確かに、これはまた違った意味で圧巻ですね」
日も高くなり、青空が広がり始めた頃合いで、ますます桜がよく映えた。
まさに【春】そのものと言える。
「通り沿いにね、お洒落なカフェとかレストランも多くてね、桜を見ながらビールっていう最高のシチュエーションが味わえるんだよ」
「最上さんじゃなかったら分かりました、今の言葉の意味」
「えぇー、酷くない?」
「ビールに感動が偏って聞こえるんですよ、貴方が言うと」
「こんなに花が好きなのに……」
桜並木を抜け、千川通りへとやって来た二人が次に向かったのは、そこから徒歩圏内にある小石川植物園だった。
先に提案したのは芳香だったため、二人分の入園料を払ったのは芳香だったが、大人500円という至極妥当な料金にケチをつける最上に一瞬殺意が芽生えた。
だが園内に入り、なだらかな坂を登りきった先に、これまでよりもまた別格な桜の様相が眼前に飛び込んで来た。
「ごめん嘘……これで500円はむしろ安いくらいだわ」
最上がスマホのレンズを向けながら言う。
「それ見たことか」
見物人に覆い被さらんとするように、前から後ろから、大きく枝を伸ばす。
飛鳥山や播磨坂と違って、一定距離に密集して植えられていないためか、どこかのびのびとしているように見えた。
芳香が植物園に入ろうと言ったのは、花見が目的ではなかったが、東京大学理工学部の研究所を含んでいるだけあって、敷地の広さは目を瞪るものがあった。
冷温室完備のビニールハウスの前。
桜のエリアに差し掛かると、すでにレジャーシートを敷く家族連れやカップルなどの花見客が目立った。
「昔こういう水道使って戦争ごっこしたよ」
広大な敷地内に点在する、水撒き用や水呑場の蛇口を指差して、最上が言った。
「ずいぶん世紀末的な設定の戦争ごっこですね」
辛うじて「物騒ですね」の言葉を飲み込んだ芳香の予想は大きく外れる。
最上は蛇口を軽く捻って水を出すと、指で水の流れを押さえて、いわゆる水鉄砲を作り出した。
「水呑場とかの蛇口を占領したやつが勝ちで、校庭の水撒き用にホースが繋いである所は最強だったよ」
「……それはいつの頃の遊びですか?」
「小学生」
「実況ごっこの時の大人しさ、どこ行った?」
実年齢と精神年齢が些か見合っていないのは、今に始まったことではないが、ズレが思いの外早いことに、芳香は苦笑した。
「先生にバレたら怒られそうですね、その遊び」
「大人しそうな顔が功を奏して、バレなかったなぁ。幸い逃げ足と機転の早さは誰にも負けなかった」
「とんでもないクソガキですね」
そう言いながらも芳香は、自身の学生時代を思い返してみた。
放課後に学校の池で、それはそれは見事なサイズのザリガニを釣り上げ、ひとまず教室の水槽に入れたら、翌日捕まえたザリガニが他のザリガニを共食いしており、大騒動になったのを誤魔化してすり抜けた小学校高学年。
お試しで受けた中学受験で、参考書の類いを何も持参せず、ブックカバーをした小説の単行本を試験開始時間まで読んでいただけなのに、他の受験生の勉強に付き合わされそうになった小学6年生。
進路学習で高校見学に行くのに、1人だけ第1ボタンを外していたのを、リボンに誤魔かされて教師にバレずに送り出された中学時代。
文化祭にかこつけて、太ももまでスカートを短くしていたにも関わらず、スカートを注意される友人の隣で何も言われなかった高校時代etc……あながち人のことは言えないなと思った。
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