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ゆとりゆたかな世界
今日、乗り合わせたバスは
「この時間にしてはえらく混んでるなぁ」と思うくらいぎゅうぎゅうだった。
わたしはバスの後ろステップギリギリに乗って、黄色いラインを踏まないように踏ん張ってた。
少しずつ、1人、2人と降りて隙間ができたので
ちょっと失礼してバスの前方まで移動してみた。
その時に、隙間すきまからこのバスの乗客の顔ぶれがわかった。
車椅子で乗車している障がい者さん。
ベビーカーで1歳くらいの赤ちゃんを乗せてるお母さん。
疲れているのか具合が悪いのか、こっくりこっくりしながら2人席に1人掛けでもたれかかってるおばあさん。
しっかり立っているけど手には障がい者カードを持ってる大きな男の人。
とにかく、多種多様の人たちが、いまこの約20㎡の中に一様に居るんだ。
だから、ぎゅうぎゅうだったんだ。
車椅子の方やベビーカーを連れている方は、それだけでパーソナルスペースが一般の2〜2.5倍はとる。
見た目ではわからなくても、パニック障がいを抱えている人だったら本当はこんな狭小空間は息苦しいのかもしれない。
この光景を見た時
「そうだな、世界はもう少し、ゆとりをもった方がいいのかもしれないな。」
と、自然と感じた。
たった20㎡かもしれないけど、この空間は社会の縮図かもしれない。多様性だとかユニバーサルデザインだとかがやっと定着してきた昨今だけど、リアルな実態はまだ社会的マイノリティの方々が生きやすい世の中には程遠いのかもしれない。
けど、確実に一歩ずつ、社会がそのニューノーマルを受け入れようとしているんだ。
その証拠に、このバスの車内は思いやりで溢れている。
ベビーカーではしゃぐ赤ちゃんにはみんな笑顔を向けてるし、障がい者さんが降りる時は通りやすく身体を避けている。
こっくりしているおばあさんには、2席を存分に使ってもらえるように、誰も無理やり座ろうとはしなかった。
パーソナルスペースを侵略されるのは誰だって不快なものだ。厄介なのは、そのパーソナルスペースは個々によって寸法が違うということ。
だからこそ、空間にも時間にも
ゆとりを持って、相手とほどよい距離感が保てる世界がつくれたら、人の争いごとは少しは減るんじゃないのかなぁ?と
そんなことを思ったバスの10分間でした。
"ゆとりゆたかな世界"
誰もが心に余裕をもって、人に分け与えることのできる豊かさが備わった時、誰かを幸せにできる人が増えるんじゃないか?そんな空間が増えるんじゃないか?
そんなことを考えた日常の風景でした。