誰が”彼女”を殺したか
名前は出さない。
1人の若者が亡くなった。
彼女に石を投げた人たちがきっといる。
どんなに明るく振る舞う人も、誰かに石を投げられれば痛い。
ものすごく痛いのだ。
その石を投げた人たちに、彼女が一体何をしたというのか。
彼女はプライベートをたくさんの人にさらけ出していたから、
友達のように感じて気軽に辛辣な言葉を投げかけやすかったのかもしれない。
だが本人に面と向かって言えないような言葉を、本人が見るであろうところに書き込むべきではないと思う。
この日本では言論、内心の自由が認められているし、
言いたいことが言えない世の中なんて愚の骨頂だとまで感じる。
それでも、ときに言葉は人を殺す刃物になりうるのだということ。
そのことを常に頭の片隅に置いて発信していくべきだ。
誰もが見るところに自分の悪口が名指しで書かれていたら?
自分の家に殺害予告や誹謗中傷の手紙が届いたら?
死にたくもならないか?
幸せそうな人を叩きたい?
幸せそうに見える人も、そう見えるだけ、そう言っているだけで
心の奥底では私たちに全く想像もつかないような
暗い気持ちを背負っているかもしれない。
人前に出る職業だから仕方ない?
それは誹謗中傷する側の言い訳に過ぎない。
彼女の何が悪いのか。
人生は色々あるものだし、途中で考え方が変わったり、
永遠の愛を誓い合っても別れたりする人などゴマンといる。
子供を捨てたわけでもなし、離婚したとしても一緒に育てていくことは可能だ。
辛かったのだろうなと思うと、なんとも言えない気持ちになってくる。
もっと色々やりたいことがあっただろうに。
これからもっと素敵な人生が待っていたかもしれないのに。
彼女が離婚したときの反応をネット上で聞いたが
「人それぞれの人生だからいいじゃん」と思った私の反応とは裏腹に
彼女の人格まで否定するような書き込みが多かったことを思い出した。
父親とはかくあるべき、夫とはかくあるべき。
そんなどうでもいい他人の固定観念に、彼女は殺されたのだろう。
もちろんこの文章は私の勝手な憶測であるに違いはない。
こんな歌を思い出した。
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