オンライン授業を「頑張りすぎない」
先週から勤務校の新年度が始まり、オンライン授業も本格的に始まりました(1学期は全てオンライン授業になります)。今年度は中3公民の担当ですが、授業はオンデマンドで実施し、アンケートを通じて生徒からの質問を受ける形にしています。ようやく授業動画の録画にも慣れてきました…
初回のイントロダクションでは、公民の授業には「社会の見方を知り、我々の思い込み(バイアス)に気付く」という目的があることを話しました。思い込みについて考えるために取り組んでもらったのが、以下の1円玉のワークです。三宅なほみ先生の『学びとは何か』で紹介されているワークをアレンジしたものです。
※正解はこの記事の最後に載せておきます。
Q. 頭の中で1円玉をイメージしてください。
実物を見てはいけません。
①1円玉と同じ大きさの円を2つ書いてください。
②1円玉の図柄をできるだけ正確に書いてください。
(①で書いた円の中に、表面・裏面それぞれの図柄を書き込んでください)
1円玉の大きさが正しく書けたかどうか、事後アンケートで受講者(中学3年生120名)に尋ねたところ、「ほぼピッタリだった」14.4%、「実物よりも大きかった」11.9%、「実物よりも小さかった」73.7%という結果になりました。ここまで極端に「実物よりも小さい」に偏るとは思っていませんでしたし、「直径1cm近くの1円玉を書いてしまった」という生徒も中にはいたようですが、我々がいかに思い込みやすい存在であるかを実感してもらうには適したワークだったと思います。
もう一つ、動画の最後に「オンライン授業を頑張りすぎない」という話もしました。MOOCsの修了率が低い事実を紹介したうえで(ハーバード大学とMITが共同で設立したedXでさえ修了率は5.5%)、オンライン授業はモチベーションを維持するのが難しいこと、頑張ろうと気負いすぎないのが大事だということを話しました。
「頑張りすぎないという話がとても励みになりました。オンライン授業が普段の授業よりも疲れが溜まりやすく大変なのは自分だけかと思っていたので、安心しました。」「慣れないオンライン授業が始まり、疲れが取れないまま月曜日になり気分が下がっていたのですが、頑張りすぎないのが大事だと分かりました。」といったアンケートの回答が複数あったので、教員の側からこうした話をすることも大事なのではないかと思います。
GW明けからオンライン授業が始まって負担が増えたという話は随所で聞くようになりましたし、ゼミに参加してくれる生徒の顔にも明らかに疲労の色が浮かんでいるように見えます。
こうした「オンライン疲れ」は、大学の先生方も実感されているようです。
先日読んだ『通信制高校のすべて』という本の中で、通信教育をめぐる思想の展開について紹介されていたのですが、そこでは「隔たり」の誕生によって学習者に固有の多彩な学びの時間や空間が見出されたことが指摘されていました。すなわち、時間と空間の「隔たり」の存在によって「いつでも、どこでも」学べる環境の実現が可能になったということです。確かに、オンデマンド授業の強みは「いつでも、どこでも」自分のペースで学習でき、時間と空間の縛りから自由になれる点にあるといえるでしょう。
(ちなみに、遠隔教育の英訳が”distance education(learning)”であることもこの本で初めて知りました)
その一方で、オンラインは使い方次第で生徒を容易に管理できてしまいます。リアルタイム授業の場合は時間を縛ることになりますし、オンデマンド授業も生徒の動画視聴履歴が詳しく分かるようになっています。真面目に動画を視聴させようと思ったら、動画の倍速指定を外すことすらできてしまいます。時間と空間に縛られない学びの可能性を秘めていたはずのオンライン授業が、「出席」「学習」「課題」の管理による統制の場になってしまいかねないということです。アジール的な空間が容易にアサイラムへ転換してしまう、という言い方をしても良いと思います。こうした管理の顕在化は、ただでさえ慣れないオンライン授業の負担を増大させ、オンライン疲れを一層加速させてしまっているのではないでしょうか。
私もオンデマンドよりはリアルタイム授業の方が望ましいと思ってしまうタイプですし、定期的に課題を出したいタイプでもありますが、上記のような現状を踏まえると課題の出し方に悩んでしまいます。「何のために授業をするのか」「何のために課題を出すのか」という教育観や生徒観の根本が問われているような気がします。
さて、今後はどうなることやら。
※1円玉ワークの解答
①半径1cm ②下図の通り