かわいくないと、だめですか?
「かわいいだけじゃ、だめですか?」
そんな歌詞がサビにある歌が、最近はやっている。キャッチーな歌詞と曲調、かわいいダンスを踊るアイドルの彼女たちがかわいくて、私もよく聴いている。
ただ、たまに「そんなセリフ言ってみたいな~」なんて羨ましく思う。
そんなセリフが浮かないほど、容姿に恵まれていたら…
今日は最近話題のルッキズムについて、いろいろ考えすぎて文字に起こしたくなった。
そもそもルッキズムとは次のような意味である。
要は「人は見た目が100%」ということだ。なんで最近こんなにルッキズムを感じるのか、次にように考えてみた。
1.美容整形が身近に
もともと整形は日本ではメジャーではなかった。
韓国には整形のイメージがあったが、親世代も整形にはいいイメージを持っていなかった記憶がある。
しかし現在、整形はメイクの延長線上にある。
そしてそのメイクも、AIが導く黄金比に寄せるための技術が主流になってきている。
以前の「なりたい自分になる」という意識から、「理想とされている顔に近づく」という義務感が強まっているのではないだろうか。
2.「こうあるべき」が強い日本だからこそ
ルッキズムが強まっている原因の一つとして、日本の社会規範意識の強さがあげられる。
タイと台湾に行った際、ノーメイクで街を歩く女性の多さに驚いた。そして彼女たちは、決して恥ずかしそうではなく自然体であることにも感心した。「ありのままで美しい」「個性を認め合おう」。こうした言葉は日本ではユートピアだ。しかし、一歩外に出ると本当にそういう国がある。
同じようなメイクが流行していても、「人は人、自分は自分」と割り切れる人が多いのかもしれない。
日本では化粧=マナーと捉えられているため、メイクの好き嫌いにかかわらず最低限メイクをしている。
だからこそ、今の行きすぎたルッキズムが、一部だけでなく若年の女性全体の義務感としてあるのではないだろうか。
3.「かわいい」の階段は果てしなく続く…
メイクだけではなく、脱毛にヘアケア・歯列矯正など、技術の進歩によってできることが増えた。
目指そうと思えばどこまでも、いくらでもお金をつぎ込むことができる。
それはいいことでもあるが、どこまでもどこまでも「かわいい」を追求できる社会ともいえる。いつまでたっても自分の容姿に満足できないのは苦しい。
4.ルッキズムの若年化
広告やSNSでは、美容整形クリニックによる整形手術のビフォーアフターが投稿され、「美容垢」による美容に関する情報があふれている。
影響を受けるのは社会人だけではない。SNSが当たり前に生活の一部である児童・学生も、こうしたルッキズムにさらされている。
お金がある社会人であれば、かわいくなるための方法を自分で選ぶことができる(もちろんそれも辛い)。
しかし、自分で意思決定ができない学生にとって、ただただ自分の容姿の足りないところを嫌に思ったり、容姿の整った人を見て妬ましく思ったりするきっかけになる。
ただでさえSNSの台頭で自己肯定感が低い傾向にある彼女らにとって、これはもう毒だともいえるだろう。
最後に…本来「かわいい」ってわくわくするもの!
今、「かわいい」はあるべき姿として拡散され、一種の呪いのようになっている。
かわいくなければいけない。あの子と比べて私はかわいくないからだめだ。そう苦しくなることもある。
私もルッキズムにやられている一人だ。もともとの自己肯定感は高かったのに、SNSでかわいい子をたくさん見て、自分の容姿の嫌なところばかり目につくようになった。
でも本当は、誰もが容姿をととのえる必要なんてない。
あなたがかわいいと思うもの、身に着けたいものを身に着けるだけで、あなたはじゅうぶん輝ける。
本来「かわいい」は、自分をわくわくさせてくれるものだ。
だから、あまりのめりこまず、いくつかある趣味のなかの一つとして自分磨きを楽しみたいと思う。
そして、かわいくなるための努力を強要しない人でいたい。
その選択をするもしないも、それぞれの自由だ。なぜなら労働などと違ってかわいくなることは自由であり権利だから。