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くらげ探し

8月の喧騒。束の間の休息はいつだって心が休まらなくて、いつだって真綿で首を絞められているようなそんな日々が続いている。

ので休日の今日はくらげを探しに行った。

昔、くらげはなんとなく好きだった。見た目とか、存在とか。
今年京都水族館に行って決定的に好きになり、お盆過ぎはくらげが増えるというし、今年は絶対にくらげを探しに海に行こうと思っていた。忙しくてこんな時期になってしまったが台風も過ぎたし、もしかしたら沢山くらげが打ち上がってるかもしれない。そしたら、一匹一匹に「ライトアップされてなくたってあなたたちはとても素敵な生物だよ」といいながら手掴みでこう……海に返してあげようと思って胸を弾ませながら行った。

結果として、くらげはいなかった。魚はたくさん見つかっていろんな種類がいるなあ、と思った。あと裸のこどもがいた。今日びどんなものよりも「海水浴場で裸で遊べるこども」って珍しいかも、とは思った。こどものおしりが視界に入りながら一生懸命くらげを探したが、肉眼では見えなかった。海岸線を隅々まで歩いても、いなかった。

わたしの成果は、青い空と青い海、沢山の魚と裸のこどもで終わった。

くらげを諦めて帰るときに考えたのは「どうしてくらげはお盆過ぎに増えるのだろう?」ということだった。すぐ調べてはつまらないので仮説を立てながら帰り、帰って調べようと思った。

色々考えて一番ありそうだな、と思ったのは「繁殖のために必要な条件がお盆過ぎの浜あたりに揃うので、繁殖のためにお盆過ぎに現れる」ということだった。
もっと非現実的な、自分のための面白い解釈として「水脂がくらげのようにただよっていた状態から天地ができたのなら、その水脂は生き物でありくらげの祖先かもしれない。だから、大地の礎というか、基盤となった先祖に会いにくらげたちがやってくる」というものだった。会いに来ているのかもしれないし、新たな地になるために近づいてくるのかもしれなかった。
これはなんか、いいな、と思った。そもそも天地ができるきっかけがくらげだったのならとても良いじゃないか。くらげ信仰ここに極まれりだ。
都合がいいが面白いのでこの解釈は気に入った。大事にしようと思う。

何故お盆付近にくらげが増えるのかについて帰宅して調べた。様々な理由があったがお盆頃の水温がくらげにとって活動しやすい、というものが多かった。

こども電話相談室でもかつて同様の質問があったが、結論として『最大の理由は、お盆が過ぎたころは海水温が上がるので、親クラゲになったものがたくさん目につく、ということだと思います。』ということで話が終わっていた。

あとこの相談室でわかったこととして、くらげは、見えなくても見えにくいだけで小さいのも大きいのも一年中いるのだ。普段はどこにいて……ということはないのだ、ということだった。それは自分の中で大きかった。

今年5月、京都市水族館でも生後間もないくらげを見た。

京都水族館 生後11〜15日目のくらげ

気づかないだけでかれらが海にいる。それはとても良いことだなぁ。と思った。

目的が果たせなくて少しがっかりしながら帰ったが、くらげは生き物だしくらげのいたいところにいるだろう。わたしの都合はくらげには関係ない。
それに、わたしは京都市水族館で「未だ解明されてないことを体に沢山抱えている生物のくらげ」が好きになったのだ。
わたしの都合の良いようにいては困る。

海が好きだ。また海に行こう、と思った。海は生命の泥。何かが生まれて帰る場所。わたしがいつ帰ったって良いのだ。

そして、海のどこかには、見えないがくらげがいるのだから。
それだけでも行く価値は十分にあった。




京都水族館 生後21〜25日目のくらげ

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