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『違国日記11巻』不条理な世界の温かい居場所(ネタバレあり)

私がずっと好きだった違国日記がついに最終巻を迎えましたので、感想を書きたいと思います。

以下ネタバレを含みます。


私が違国日記で好きなところは、「人と人は根本的に分かり合えない。それでも、わかろうとする、寄り添うことができる」というところをずっと貫いているところです。それは11巻でもありました。

弁護士の塔野さんが、槙生さんとの電話で、「共感に欠ける私が人と関わろうとすること自体が傲慢なのではないかと思う」という話に対して、槙生さんは

でも「それでも」「それでも」「それでも」と
そう思います

違国日記11巻

と言います。

5巻でも、朝が両親を亡くしたことを実感した際、槙生さんは朝の悲しみをわかってあげることはできないと言いつつ、朝を抱きしめ、悲しみに寄り添います(私はこの場面が違国日記で一番好きなシーンと言っても過言ではありません。)

この人と人とは根本的に分かり合えない、それでも寄り添い、わかり合おうとすることが尊く、大切なんだという姿勢は、この漫画の一つのテーマでもあると、私は受け取りました。

加えて、「生きること」も一つのテーマであると思います。後述しますが、11巻の最後には、これまではっきりと描写されていなかった槙生さんの朝に対する気持ちがわかる場面がありますが、朝の両親が一体どんな人物だったのかははっきりとわかりませんでした(特に父)。子どもから見た親がどんな人間なのかわからないということでもあるかもしれませんが、死んでしまったらわからない、生きてこそということだと思いました。
実際、この漫画は朝の両親が亡くなった状態で始まり、43話では、やめる人とやめない人との違いを聞かれた際、槙生さんは、「最悪の方法でやめた知人を見て、呪いと一生付き合うことを決めた」と答えてます。11巻の漫画でも、死に向き合う恐怖について触れられています。
この漫画にはずっと死と生がつきまとっています。

そして、私が、11巻で一番グッときたシーンは、やはり槙生さんが朝に対する「愛」をさらけだすシーンです。

そもそも、違国日記の中で、登場人物が泣き出す描写がとても美しく、好きでした。例えば、5巻で朝が両親が亡くなったことに気づき、泣き出す場面では、朝の行動に少し異変が生じるところから描き、槙生さんに軽く当たってしまいます。そして、槙生さんの小説を読み、朝はようやく両親を亡くしたことを実感し、泣くことができます。5巻でやっと実感するのです。私は、この丁寧な描写の積み重ねがとても好きです。

11巻でも、この丁寧な描写が心に刺さりました。
思えば、1巻〜10巻まで、槙尾が朝に対する思いを言葉で伝えたことはありませんでした。むしろ、朝からすれば、突き放されているのではないかと思えてしまうようなことを言っています。
例えば、

姉が嫌いなのであなたを愛せない旨

違国日記2巻

を朝に伝えていたり、

とても悲しいことはあったけど、それを誰かに共有するつもりはない

違国日記5巻

と伝えていたりもします。これらの発言は、槙生さんからすればそんなつもりはなくとも、朝からすれば、突き放されていると感じてしまうかもしれません。

5巻〜10巻では、行動面から2人の仲が深まっていくことが伺えますが、槙生の口から朝への思いを直接伝えることはありません。

11巻の冒頭では、今でも苦手な姉が大切に育ててい朝を、大切に思ってもいいのかという葛藤がはっきりと描かれました。

そして、11巻中盤では、これまで朝に「命令形」で、朝にこうしなさいと言ったことがない槙生がこのようなことを言います。

使わないで済むお金は使わないほうがいいし
少なくとも慣れるまではここにいなさい

違国日記11巻

しかし、すぐに「しなさいはないか」と撤回します。

槙生自身もかなり悩んでいたのではないでしょうか。

そのような状況の中、槙生は醍醐に葛藤を曝け出し、涙を流します。

愛らしい、大切だ、大切にしたい、何か伝えたい
そういうことを感じるたびにとんでもなく疲弊する、嫌になる

違国日記11巻

と、そして後悔すると言います。しかし、醍醐は、心地のいい人間関係を保つためにはしんどい努力をしなければいけない、私たちだってそうだと、

それが心を砕くっていう言葉のとおりなんじゃないの

違国日記11巻

と答えます。

その時、ちょうど朝が帰宅し、泣いている槙生に狼狽していると、槙生は朝に対し、口を開き始めます。

ここにいたいだけいていい
わたしがいやになったら二度と戻ってこなくていいし、
何年も・・・なんなら一生わたしに連絡しなくて構わない
でもいつまでもここに戻ってきて暮らして構わないし
このまま一生ここにいても構わない
わたしはいつでも不機嫌だし、部屋は散らかっていて、
食事のメニューはつまらないけれど、
それでもあなたが幸せでいてくれればいい
って言うと幸せでいなきゃいけないみたいだね
ときどき不幸せでもいいよ

違国日記11巻

それに対し、朝は槙生に飛び込み、「そんなの愛してるの一言でいいじゃん」と言うと、槙生は

それは言葉が足りない、足りない
足りないんだ

違国日記11巻

と。

これまでの丁寧な描写の積み重ね、言葉選び、描写、その全てに泣かされてしまいました。

人と人とは分かり合えない。だからこそ、言葉にしないと伝わらない。いや、言葉にしても足りないくらいなんだと思いました。
醍醐の、「槙生さんとはこれまで喧嘩もしたことないが、何の努力もせずに友達でいたわけではない。そのしんどい努力をしてきた。それが心を砕くと言う言葉の通り」と言うセリフもかなりグッときました。実際、醍醐は高校時代に槙生に、

6年間君がいなかったら、私は息ができなかった

違国日記2巻

と書いた手紙を渡しています。醍醐と槙生は、2人なりに心を砕きあってきたからこそ今があるのでしょう。
何かを伝えたり、伝えなかったり、気を配ったり、気を使わなかったり、そういう積み重ねの上で成り立っている関係ってたくさんあるというか、全ての関係性がそういうものかもしれないと思わされました。

正直、ここでは書ききれないくらい、違国日記は私にとても刺さった漫画で、特に11巻はこれまで以上に違国日記の良いところが濃縮されていて、読み終えてから1日経った今でも余韻に浸っています(すでに3回読みました)。

正直、違国日記で描かれている世界は不条理で残酷です。
若くして両親を亡くした朝やいわゆる「普通」のことができない槙生だけでなく、現実世界と同様に、両親との確執や世代、ジェンダー、セクシュアリティ、ルックスからくる苦しみや差別が描かれています。しかし、そのような世界の中で、他者を想像し、時にぶつかり、寄り添い合いながら、温かい居場所を築き上げていきます。その居場所は読者である私自身も大好きになりました。

このブログを読んでくださった方も、よろしければ違国日記の感想を書き込んでくだされば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。


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