クノタカヒロ『KOTOBA Slam Japan 2022 松戸大会』をふりかえる 2022.9/1
自分は、スラムに関わるたびに感動する。勝ち負けに感動するのではない。巧拙に感動するのでもない。着の身着のままの人間が、人前で一所懸命に表現していること。そこに感動するのである。
作品をつくり、板の上に立って、観客の前で表現をする。考えてみれば、これは実に勇気の必要な行為ではないか。そして、その勇気は確実に伝播していく。
かくいう自分も、そのような勇気にかき立てられた一人である。だからこそ(というと、いささか物語的ではあるが)時には司会、時には運営、時にはパフォーマーと立場を変えて、いくつかのスラムに関わってきた。
結果、一つとして同じスラムは存在しなかった。ここでは、先日に開催された『KOTOBA Slam Japan(以下、KSJ) 2022 松戸大会』に参加した時の体験を書きとめておく。この記録がどなたかの参考や、次なる感動の伝播につながればこの上ない、という一片の願いも込めて。
大会当日まで(「準備」)
自分なりの「準備」を尽くしてスラムに臨む。それを初めて実践してみた。なぜ今までしてこなかったのか、と訊かれたら答えに窮するが、今回は実践できた、としか言いようがない。
HPに掲載された大会のレギュレーションを読み込んでから。まず、持ちやすいサイズのノートをつくった。そこに一回戦・二回戦・決勝戦用のテクストを貼る。見開きで三ページ。それぞれのページの、左側にはパフォーマンス用のテクストを、右側にはアンサーパフォーマンス(以下、アンサー)用のテクストを、B5サイズで一枚ずつ。ライブの時などもそうだが、基本的に「一つの作品は、一枚の用紙内にレイアウトする」ことを心がけている。めくりながら(あるいはスクロールしながら)詠むことは未だに慣れない(だからこそ、美しくパラッと床に用紙を落としていく人の所作に憧れたりもする。
次に、トーナメント表を見ながら、対戦するかもしれない相手の情報を割り出す。前年度の松戸大会に出場された方については大会の公式アーカイブを。初出場の方についてはSNSや大会の抽選配信を手がかりに。「プライベートであろう情報には触れずに、その方の作品/パフォーマンスや、大会に関しての発言」だけを集めて、アンサーパフォーマンスのイメージを構築していく。そして最後に、集めた情報の断片を選りすぐって、アンサーのポイントだけを書き込んだ。
ここまでの準備を、大会の三日前までに終えて。二、三回、スマホのタイマーで時間を計りながら練習してみる。微調整をくり返し、だいたい三分以内に収まりそうだな、と手応えをつかんだら、あとは放っておく。『Music for 18 Musicians』を聴いて、『ことばをもって音をたちきれ』を読み、『SLAM』を観て。その間、テクストを仕上げることも、詠み込むこともしない。個人的に、スラムの準備は授業の準備と似ている。準備をした方が、確実に良い授業になる。が、準備をしすぎると、鮮度が下がる。そればかりか、予定調和に収まってしまうことの方が多い。そんな経験から、ノートをつくり、制限時間に収まりそうな作品を貼って。しっくりくるまで練習したら、あとは放っておく。そして、大会の直前までなるべく愉しい時間を過ごす。この「準備」が現状のベストだと感じている。
*同様の理由から、松戸市には当日に入った。その土地の空気や匂いと馴染みすぎると、旅行者としては最高なのだが、どうしても慣れが出てきてしまう。敬意は持ちつつ「他者」としてスラムに接する。この距離感が上手く保てたときほど勝率が高い、気がする。このあたり神秘的かつ眉唾ものなので、読み流していただけたら幸いです。
大会当日(「覚悟」)
副題を書きながら「覚悟」という言葉が苦手だったことを想い出す。教員になりたての頃、授業改革フェスティバルという催しに、同僚たちと研究授業の公開を申し込んだことがあった。教科書に載っている定番教材の教え方に新たな切り口を探し出す。そう意気込み、夏目漱石『こころ』の中に出てくる「覚悟」という語句をすべて洗い出した。
それから間もなくして、イイゾイイゾ次ハ『こころ』ダケデナク乃木希典ヤ明治天皇ノスベテノ言説ノ中カラ「覚悟」トイウ語ヲ洗イ出シテミナイカ、と一人のベテラン教員が高揚し始めた。呆気にとられていると、熱は次々と伝導し、ソウデスネ乃木希典モ昭和天皇モ何ナラ漱石自身ノ言説ヤ作品カラモ全テ洗イ出シチャイマショウ、と若手の教員が反応した。それからの数週間、自分は「覚悟」の探索に寝る間も遊ぶ間も奪われた。あれは端的に退屈な地獄だった。
閑話休題。荷造りを終え、ノートの柄と似合う色の服と靴を選んで。八月六日(土)の十一時過ぎに名古屋駅を発った。東京駅に着いて、途中の乗り換え時に常盤線と高崎線を間違えたものの、なんとか集合時間までに会場(松戸FANCLUB)のあるビルに到着。ビルの看板を見て「MADシティ」の由来に気付き、微笑ましくなったことを憶えている。
エレベーターで七階まで昇ると、受付に佐藤yuupopicさんがいてホッとした。会場の準備が整うまで、よ〜かんさん・遠藤ヒツジさんと控室で千葉や東京の風土について談笑し、受付を(次回からはお釣りを発生させないように、と反省しつつ)済ますと、三木悠莉さんが喫煙室まで案内してくれて有り難かった。時代の趨勢は理解しつつも、自分のような喫煙者にとって、近くに喫煙室があるかないかは死活問題なのだ。
続々と人が集まり、渡部裕さんやDJ K.T.Rさんに挨拶したり、MI'z a.k.a 大峠未夜さんと握手したり、MAJICOさんから初出場までのいきさつを教えてもらったり。会場のBGMにテンションが上がったり、毎亡ヤンさんにスラムに出場することの意義を訊かれたり。そうこうしているうちに、渡部さんによるルール説明が始まって、開演と相成った。
「覚悟」の話に戻ると、いつかのスラムで自分は会場に到着してから開演まで、ずっと独りでイヤフォンに耳を当てていたことがあった。気を高めるため。終演まで会話は最小限に。知人でも、友人でも、スラムの相手であることに変わりはない。スラムとは人との闘いなのだ、と。闘いの前に俗情と一線を引くこと。それがスラムに挑む「覚悟」だと思っていた。しかし、司会や運営を経験していくにつれて「覚悟」の位相が変わっていったように思う。
『ポエトリーの覚書』で遠藤さんが書いているように、スラムとは「競技形式のイベント」ではあるが「個性の香りを大いに醸しながらも、ある程度こちらへ引っ張り込む引力(エンタメ性・日常性・時事性・切迫感など)みたいなものが必要な感じ」のする不思議な場である。そして、場の「引力」を発動するには、その場を解放したり、斥力とは別の力を起こすことが鍵なのではないか。
例えば『カバの話』スラムでは伊藤竣泰さんが勝った。このスラムは無事に成立するのだろうか、という場の不安感を先鋒から払拭して。『カバの話』スラム・ザ・ファイナルでは三木さんが勝った。どのカバが一番ドキドキするのだろうか、という場の多幸感を満たして。『スラム虎の穴vol.1』では斉藤木馬さんが勝った。関東から来たこの男は何をするんだろう、という場の期待感を超えて。『スラム虎の穴vol.2』では木村沙弥香さんが勝った。これから世界はどうなっていくのだろう、という場の恐怖感に寄り添って。『進撃スラム』では江藤莅夏さんが勝った。高校生相手に一番のお手本はどれか、という場の特別感を声に宿して。
ほんとうにそうだったかと訊かれたら、自分はそう感じたとしか応えようがない。ただ、その不確実性こそがスラムという場の醍醐味ではなかったか。『ポエトリーの覚書』に倣って「揺れ動く曖昧な基準」に身を委ねること。その上で自らの基準=テクストそしてパフォーマンスを「納得」の地平まで引き上げること。スラムとは人との闘いではなく、場との同化や共生なのだと「覚悟」の位相が定まってから、自分は会場という場を自然に楽しむことにした。会場とは誰かと会ったり話すことが叶う、端的にいえば「交通」の楽園である。「準備」さえ充分なら、もうイヤフォンを耳にあて気を高めることもないだろう。それよりも「他者」との「交通」という場の特権を愉しんだ方が余程、有意義だ。
大会当日その2(「変化」)
松戸大会の話に戻る。スラムが始まり、自分の出順は五番目だったが、ひとまずエントリー者全員のパフォーマンスについてメモをとっていった。合間合間に周囲を見渡すと、遠藤さんが同じようにメモをとっていて(他の方もとっていたかもだが)ヤハリ遠藤ヒツジ侮レヌ、と感じたことを憶えている。
一回戦のお相手は由井明彦さん。前年度の松戸大会では「生まれ出ずる者への愛と命の尊さ」について詠まれていたが、今年度は「産み落としていただいた方への愛と郷愁」を朗らかに詠まれていた。アンサーを書くときに、これは「親と子と孫」の「子」の部分に焦点を当てた方が、視点がブレないなと感じ、その時とっさに主催の一人として関わっている『ジュラ詩ック・パーク』の一場面を想い出した。waitin' for godotチームのHAMによる『I was born』のリフレイン。国語の教科書ではお馴染みの「I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね」という、あの「僕」のつぶやきを辿りながら。ノートの空白にアンサーの断片を書き足していく。
上述のように、今回は人と闘うよりも、むしろ出会った人を肯定しながら、場との共生を目指そうと決めて臨んでいた。スラムの後に由井さんから「あなたのアンサーが嬉しかった」と伝えていただき、今回の「覚悟」は間違っていなかったのかも、と感じたのはここだけの話。一回戦を終えてスマホを開くと、ひとりのスラムポエットから「殺気は出てるけど、まだ固いから、もうちょい力抜きたい」と、有り難いアドバイスが届いていたのもここだけの話(おかげでひと息つけました。
二回戦のお相手は毎亡ヤンさん。白状すると、この日は「準備」の段階で、すでに毎亡さん用と武部稜さん用の二種類のアンサーを用意していた。すべて足すと三十秒ぐらいになるラインを二通り手札に備えて。あとはそれを切っていく。当日に相手のパフォーマンスを見聞きしながら、ことばを足したり引いたり、縮めたり伸ばしたりして。それがこの日の自分の作戦だった。が、毎亡さんのパフォーマンスを観て、いったん「準備」を白紙に戻した。
この日の毎亡さんは会場の「主人公」になる雰囲気を漂わせていた。前年度の大会から一変して。名前を変えて、見た目も爽やかになり、何より詩/ポエトリー・リーディングと真摯に向き合われていた。パフォーマンスそしてアンサーを聴いて『山月記』と共存しようとする「主人公」の姿に、ここはギアを上げて、こちらも「主人公」然として相手に立ち向かわないと負けるなと感じていた。実際に会場にいた多嘉喜さんは「クノさんのアンサーを聞くまでは、毎亡さんに挙げようと思っていた」そうだ。
「準備」の段階でうっすらと『山月記』をアンサーの下敷きにしようとは決めていた。しかし「虎」から「トラトラトラよりDanger」「全身超ILLフルメタルポエット」、毎亡さんのパフォーマンスから「レジ袋世代のオールドルーキー」などの多くは二回戦が始まってから浮かんだラインだった。何故あのようなラインを思い付いたのかはよく分からないが、松戸というどこかヒップホップの香りが漂う街の空気がそうさせたのかもしれない。
ただ、相手のアンサーに触発されて、自分のアンサーが変化する。当初の想定を超えて、思いもよらなかった方向に。この特別な体験をレギュレーションという装置を通じて「準備」していただいた主催者の渡部さんには改めて敬意を表したい。自分の想像を超える何かと出会うこと。それが表現あるいは教育の醍醐味であると信じる者の一人として。また、折口信夫の「たゞ飽きることだけが、能力だつた―。あきた瞬間 ひよつくり 思ひがけないものになり替る(『生滅』)」という一節を愛する者の一人としては尚更に、である。
*先日、毎亡さんがSNS上で関東のスラムやオープンマイクの情報を求めていた。自分も「これは」という催しがあったら紹介したいが、皆さまには是非とも彼に「これこそは」と思う場を紹介していただきたい。対戦相手としてだけでなく、いちファンとして。才能に溢れた新たな「主人公」候補の、次のパフォーマンスを自分も観たい/聴きたい。
ゲームとスラム(「主人公」)
いささか脱線するようだが、この「主人公」感というのはスラムにおけるひとつのポイントだと思っている。誰がいちばん、その日、その場に愛され、納得されるか。「準備」の段階で張れる伏線も幾筋とあるのだろう。ただ、それよりも「今日はあの人の日だったな」と多くの人が感じるような、あの場の空気。
むかし『クロノクロス』というRPGがあったが、あのバトルシステムとスラムは案外近いところにあるのかもしれない。プレイヤーが有する六属性(白・黒・青・赤・緑・黄)のエレメント。手持ちのエレメントの中から「これだ」と思うものをグリッドにはめて。相手に向けて発動する。一度使ったエレメントは同じ戦闘中には使えない。
また、それぞれの属性には相性があり「黒属性の相手には白属性のエレメントが効果的だ」「緑属性の相手に緑属性のエレメントは吸収されてしまう」など、プレイヤーはどのエレメントを、いつ・どこで・どのように使うか「戦略」を練る。仮に、このエレメントをテクストだとしよう。
加えて『クロノクロス』のバトルシステムにおける、もう一つの重要な要素。バトル時のフィールドエフェクトシステムである。画面の左上、三つの枠に示されたフィールドカラー。例えば、そのカラーが「白・白・赤」の時、白属性のエレメントは効果が強くなり、反対に黒属性のエレメントは効果が弱まる。例えば、そこで手持ちの使いたいエレメントが「黒」だった時、瞬間の効果は弱いが、一度「黒」を使うとフィールドカラーは「白・赤・黒」へ、もう一度「黒」を使うと「赤・黒・黒」へと変化する(新しい属性色が使用されると、古い属性色が左へ押し出されて消えていく)。このフィールド/場と、エレメント/テクストの組み合わせを制したプレイヤーが一つのバトル/スラムの勝者に選ばれる、といった具合に。
スラムにおけるフィールドカラーは決して三つの枠では収まらないだろう。主催者/運営者の色、エントリー者の色、観覧者/審査員の色。また、その人ひとりの中にも多種多様な色が揺らめいており、組み合わせはそれこそ無限に近い(これもスラムが不確実な場だといわれる由縁のひとつだろう。
フィールドカラー/会場の雰囲気を「戦略」によって味方につける者。あるいは覇気や重力を使って、会場を自分色に染め上げる者。場とパフォーマンス。双方の愛し愛されの想いが実った時ほど美しい時間はない。「相手が黒のテクストを詠んだら、白のテクストを詠もう」「黒・黒という流れが続いているから、白を詠むはずだったが黒を詠もう」と「戦略」を練るのか。あるいは自分のパフォーマンスを拠り所に、時の流れごとたぐり寄せるのか。「戦略」を練らないという手も含めて、数多の「戦略」が存在する。いかなる「戦略」が有効か。自分が教えられることは何もない。だが、場と、パフォーマンスと、人々の色が交差した時に、大きな感動の渦が生じることは疑いない。現に自分のような新参者でも、すでに何度もそのような場面に立ちあってきた。そして「主人公」が誕生する場面には必ず場と、パフォーマンスと、人々の共鳴が起きていた、ということだけは書き添えておこう。
*どれだけキャリアを重ねていっても。教えられることは何もない、ばかりか、何かあったとしても教えたくない。自分の場合は「こうだった」とは伝えられる。が、その「こうだった」が万人を助ける魔法の杖になるとは思わない。「主人公」への道は人の数だけある。そう信じた上で、粘り強く相手の自主性や能動性の発露を待つこと。これは自身の教育観とも繋がっている。さいきん『アオアシ』というサッカー漫画の中で次のようなセリフに共感した。「主人公」青井葦人の「覚醒」を前に、監督の福田達也がコーチの弁禅に向かってつぶやいたセリフ。「自分で決めたというのが全てなんだ、弁禅。アシトは、この1年があって、自分の能力に少しずつ導かれ、限界も挫折も知り…今日青森戦を迎え、誰しもが北野蓮の存在感に恐怖した、失点までの流れにおいてーーーあいつだけ、北野蓮の姿におそらく大きなヒントを受けた。一点に繋がりーーー自分で、自分はそうあるべきと決めて進んだ。あいつの全てが集約した今日そのものが、覚醒の条件だったんだ。自分で掴んだ答えは一生忘れない。」このセリフのように、「教える」と「教わる」の徒弟的な関係を離れて。多方向へと感覚をひらき、自らで自らの「答え」を掴むこと。「一生忘れない」手応えを体得し続けること。その過程で、この記録がどなたかのヒントや「覚醒」の小さなきっかけとなれば僥倖です。
大会当日その3(「同化」)
決勝のお相手は遠藤さんとMI'zさん。まず率直に、これまでにご縁のあった二人と初めて現場でスラムができるという事実が嬉しかった。
遠藤さんとのご縁は、二〇二一年の二月。「詩人/パフォーマー同士が、リモートにて一対一でパフォーマンスし合う」不定期の企画『サシロー』での対談。それを機に自分はポエトリー/スラムの文化にもっと関わりたいと感じるようになった。理由を挙げたらキリがないが「実績に関係なく誰かに機会を授けて」「教養がありながら傾聴のできる」「文学/テクストに取り憑かれた」人の存在に心惹かれたのだと思う。その後も様々な場で実直にことばを受け止め/紡ぎ続ける詩人の姿に何度、胸を打たれただろう。
MI'zさんとのご縁は同年の五月。ツイキャス上で開催されていた「自作詩の朗読をすると同時に、他の方の朗読の感想を語る」企画『ポエトリー・ダイアローグ』での邂逅。MI'zさんの『殻と雛』『case study』そして自分の『極楽浄土で』という互いのテクストは「はぐれ者が求めた救い」という一点において確かに共鳴していたはずだ。また、その二ヶ月後、名古屋の仲間たちと始めたマイクリレー企画『#詩ラレザル狂騒』に県外から一人で参加してくれたのがMI'zさんだった。『殺しのONE MIC ver.』「単騎で乗り込む」ラッパーの姿に魅せられて。それまでの半年ほどの活動は間違っていなかったと自信と勇気を与えてもらったことを覚えている。
そんな二人との決勝と相成り、じゃんけんを終えて。出順を三番目に決めてからノートを見直した。いくつかの「戦略」の中から自分が選んだのは「同化」と「加速」という二つのキーワード。二回戦とは違い、決勝での「戦略」は、ほぼ事前の「準備」通りだった。
まずは、相手のことばを引用し「同化」した上で。それぞれの得意分野に沿ってアンサーを返していく。文学に造詣の深い遠藤さんなら、後藤明生のエッセイ集『小説の快楽』から「千円札小説論」の一節を。ヒップホップに造詣の深いMI'zさんなら、GEORGE TIGER ONEの名曲『No' 1 Fan』から「流れる時代の中 今も変わらず もらい続けるパワー」のラインを、といった具合に(ここまでで三十秒ほど。
そして、残りの三十秒で二人から離れて。場自体への「同化」へと「加速」していく。また、三分間のパフォーマンス中に投げたことばが、一分間のアンサーの最後に戻ってくるような。あの花火と山彦のアイデアは、大会の数日前にyoutubeの検索にヒットした「松戸花火大会」から(夏という季節感も相まって)ヒントを得た。
アーカイブを観直すと、話の運び方がツギハギに聴こえたり、全体的にリーディングのテンポが単調だったりと、まだまだ粗も目立つ。さいきんは松戸からの帰りに、銀座の蔦屋書店で買った竹本住大夫の『人間、やっぱり情でんなぁ』を読み、全国大会/より良い授業に繋がるヒントを探し求めていたりもする。
ただ、あの日、あの場での経験を忘れることは一生ないだろう。優勝できたという事実もそうだが、初めて出来るかぎりの「準備」をして臨み、「覚悟」の位相を変えて、自らの「変化」を体験した上で、「主人公」然として、松戸FANCLUBやKSJ松戸大会といった場と「同化」できたこと。そのプロセスは何ものにも代えがたい。また、大会後に続いた友人たちとの意見の「交流」や、あらたようさんによる「ファンアート」には、ほんとうに力をいただいた。ひとつのイベントから、また他の場や、他の表現が生まれて。活力がかたちを変えて、少しずつ伝播していく。草が生え、その草はいつか木となり、やがて森となるかもしれない。そんな豊かさの萌芽のただ中に少しでも自分の存在が関われたことを喜ばしく思うのだ。
自分は、スラムに関わるたびに感動する。勝ち負けに感動するのではない。巧拙に感動するのでもない。その場や文化を大切に育てようとしている人たちがいること。そこに感動するのである。
種を蒔き、生活と両立しながら、文化を育てる。考えてみれば、これは実に気力の必要な行為ではないか。そして、その気力は確実に伝播していく。
かくいう自分も、そのような気力に胸を打たれた一人である。だからこそ(というと、やはり物語的ではあるが)この『KSJ 2022 松戸大会』での勝利を、イベントの代表である三木さんに捧げたい。二〇二一年の二月に遠藤さんとの対談企画にお声がけいただいてから、この文化と関わるようになり、あらためて自分は日々の愉しみを増やしていただいたと感じている(俗にいう「第二の春」である。
『#詩ラレザル狂騒』から『#100分deコラボ』『カバの話スラム+ザ・ファイナル』『スラム虎の穴 -go to KSJ-』といった企画の大半が三木さんの寛容さから始まり、主催/司会の経験で得た沢山の方とのご縁や、スラムという文化と関わった時間は、確実に今回の結果とつながっている。
「羽根より草生やし」その苗を育てながら。最後に、このスラムという文化がどなたかの生きがいや、次なる文化の発展につながればこの上ない、という一片の願いも込めて。全国大会がんばります。