ベナンでの経験
2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
私に出来ることは何か。
一番はこれまでの旅行経験、や2年住んだベナンでの体験を書くことでしょと友人や知人に言われたので書いてみようと思う。
ベナン共和国の首都ポルトノボに2009年-2011年の2年間住んでいた。
配属先はCENTRE DE PROMOTION SOCIALE DE PORTO-NOVO-AGBOKOU ポルトノボ アボクー福祉センターで、洋裁指導、栄養改善指導、エイズの啓発活動、福祉センターの運営費用を得ることと最初の募集要項には書いてあった。
実際の活動はミシンの直線縫いを1年半かけて教えて、ポーチやエコバックなどを日本人のお土産用に作成して販売していた。
正直ベナンは1年半ぐらいは好きじゃなかったから、毎日のように帰国できる日を数えていた。
活動は初代隊員だったこともあって、人間関係作りからスタート。
当たり前だけど、ぜんぜん上手くいかない。コミュニケーションをとりたいけど、最初は私に気を使ってフランス語で話してくれるけど、だんだんと普段話している現地語のフォン語、グン語で話し始める。そうしたら、私に聞かれたくない話?って思って(笑)内心怒っていた。1人だけ会話にはいれなくてただ寂しかったと今は思うけど、寂しいなんて気付いてなかったな。
そんな感じで1年半ぐらいはベナンは好きになれなかった。
自分の思い通りにならないから毎日、イラっとしてベナン人なんてって見下していたんだと今は思う。
そりゃ、当たり前だよね。
育った環境も異なるし文化も異なる。
そうすると考えはもちろん異なってくる。
私にはそれが受け入れられなかった。
それでも、関わっていた人はいる。
彼らは本当に人間が出来ていた。
私のつたない仏語をずーと聞いてくれていた。
日本とベナンの良いところ、悪いところそれぞれよく話していた。
1年半すぎたころからだんだんと活動が上手くいって好きになったベナンだが、帰国後は一度も再訪していない。
コロナが落ち着いて海外旅行に行けるようになる日は1年後なのか2年後なのか。もっと先になるのかもしれないが、行ける時に行かないと行きたいけど、行かない国になってしまいそうだ。
本当に行きたい時にいつでもどこにでも行ける未来がきてほしい。