入社以来8年も犬猿の仲だったアイツを、好きになるはずがない 3・1 先月の想定外事件
外回りから戻りエレベーターホールに向かうと、ちょうど一機の扉が開いていた。ふたり乗っていて、上階のランプがついている。
「乗ります!」
そう声を掛けてから中にいる人が誰だか気づいた。第三営業部の綾瀬。変わり者の木崎信者だ。
バチリと目が合う。
そのとたんに綾瀬は、ものすごい勢いでパネルのボタンを連打し始めた。扉がしまり掛ける
「何をしてるんだ」
と、綾瀬の後ろにいた人物が彼の頭を丸めた書類ではたき、反対の手をパネルに伸ばす。と、扉は開いた。
「ありがとうございます」
と言って乗り込む。綾瀬を叩いたのは第三の課長だった。扉が閉まり、上昇する。
「悪いな、宮本。綾瀬は悪いヤツじゃないんだが、時々バカになる」
「ご心配なく。嫌われているのは分かってますから」
「だって!」と声をあげる綾瀬。めちゃくちゃ不満そうな顔だ。「何で宮本先輩が木崎先輩と組んでいるんですか! 部署が違うのに! あなたたちは誰もが認める犬猿の仲でしょう! 僕だって先輩と組みたいのにズルい! 代わって下さい!」
課長がまた綾瀬の頭を叩く。
「係長と呼べ、か・か・り・ちょ・う!」
「『係長』っておじさんくさいじゃないですか。木崎先輩には似合いません! 先輩に使わない以上、宮本先輩にも使えません」
課長がため息をつく。
「……これでも仕事はできるんだ」と、私に向けて言い訳するかのように呟く。
「ご苦労、察します」
「木崎のことさえなければ、普通なんだがなあ」
「木崎先輩は僕の神なので、『無い』なんて可能性を考えるだけ無駄です」
世間では可愛い系と言われる綾瀬が、キリッとした顔でのたまう。なかなかに残念なヤツだ。
「とにかく僕は断固抗議します。木崎先輩と組みたい他部署の人間はヤマといるのに、よりによって宮本先輩だなんて!」
「羨ましかったら、第三のエースになるのね。そうしたら木崎も指名してくれるかもよ」
「っ!」
綾瀬の目の色が変わった。
「なるほど、先輩に認められる実力を付けるのが一番の近道ということか。そうだ、エース級になれば第一に転属させてもらえるかもしれない。――分かりました、頑張ります!」
な、なんて単純なヤツ。
課長は、
「おー、がんばれ」
と冷めた口調で応える。
チン!と音がして扉が開いた。第三営業部がある階だ。
「宮本先輩、首を洗って待ってて下さい! 木崎先輩と組むのはこの僕だ!」
綾瀬はそう捨てゼリフを吐いて、降りていった。
「その頃には、水族館の仕事は確実に終わっているよ」
「それはな」と課長。「でも案外、あいつがエースと呼ばれるようになるのは、そう遠くない日かもな。綾瀬の木崎にかける情熱は命懸けだから。良い発破のかけ方だった」
課長は笑いながら綾瀬の後を追った。
扉が閉まる。
命懸け、というのは比喩ではない。
先月、営業部合同で三十歳以下の若手向け研修があった。かなり大規模なもので、二泊三日の宿泊を伴う。研修も宿泊も同じ施設だ。
この研修でボヤ騒ぎがあったのだ。二日目の夜遅くで、ほとんどの社員が仲間内で飲んでいるか、寝ているかという時間帯だった。
幸いすぐに火元が分かり施設の職員が消火してくれたけれど、全員が外に避難し消防車が何台もやって来るような大事だった。
このとき綾瀬はいったん外に出たのに、また中に入ろうとしたらしいのだ。その理由が木崎にもらったお守りを部屋に忘れたから。
周囲にいた社員数人で綾瀬を羽交い締めにして、やめさせたという。
営業部のみならず、会社中がこのことを知っている。
何がどうあったらそこまで上役、しかも他部署、に心酔できるのか不思議すぎる。
――それにしてもあのボヤ騒ぎは怖かった。火事を知らせる非常ベルが鳴りだしたとき、私は打ち合わせの最中だった。集まっていたのは研修実行部と、参加社員の中の役職付き。
私を含めみんなが動揺するなか、研修の責任者である課長が命じた。『酔いつぶれて火事に気づかない者がいるかもしれない。ここにいる者で分担して確認しに行き、避難誘導を行う』と。
その直後に館内放送がかかった。恐らく施設の人か守衛かによるもので、全員速やかに建物外に出るようにという指示だった。
相反するふたつの指示。課長はどうするか迷っているようだった。そこに木崎が、
「外に避難した社員の点呼が必要ですね。逃げ遅れが何人いるのか、消防に伝えたほうがいいはず」
と言ったのだ。
この一言で誘導は無しになった。幸い逃げ遅れた社員はおらず、火事も火元の厨房が一部焼けただけで済んだのだった。
あの時の木崎の一言には正直、感謝している。私は点呼も消防隊のことも頭になかった。自分で思っていた以上にパニックになっていたのかもしれない。肝の座り方は、さすが木崎と認めない訳にはいかなかった。
エレベーターの扉が開く。降りると下り待ちらしき木崎がいた。
「おう、宮本。お疲れ」
そう言ったのは木崎の隣に立つ第一の課長で、木崎は、
「出掛けに宮本かよ、縁起が悪い」
と、しかめ面でいちゃもんをつけてきた。
課長に挨拶を返してから、木崎を睨む。
「綾瀬に絡まれたんだけど。弟分ならちゃんと指導をしてよ」
「簡単だ。宮本が俺を崇めれば一発で態度を改める」
「木崎が私を敬えば、倣うんじゃないの?」
「絡まれたのは、水族館の件でか?」と課長。
「はい」
「話題になっているもんな。お前たちが組んで、吉と出るか凶と出るか」
「吉です! 木崎は嫌いですけど!」
「大吉以外あり得ない。宮本とは合わないですがね」
木崎と私の声が重なる。いや、発言内容も丸かぶり。
ふはっ、と課長が吹き出す。
「確かに、上手く行きそうだ。息がぴったり」
ぴったりじゃない、と抗議しようとしたけど木崎も言いそうな気がして、やめる。横目でヤツを伺うと、バチリと目があった。
すかさず、
「宮本とぴったりでもな」
との言葉が飛んでくる。
「そっくりそのまま返す」
「6:4で木崎に軍配」と課長。
「何がです?」
「自信。木崎は大吉なんだろう?」
と、チン!との音と共にエレベーターの扉が開く。下りだ。
『行ってくる』と言う課長に、『行ってらっしゃい』と頭を下げる。木崎は私を一瞥もしないでエレベーターに乗っていった。
◇◇
代打で水族館の仕事をした翌々週の夕方。木崎と私はふたりで銀座のギャラリーに来ていた。
入っているのは細い路地に面した古く狭いビルで、華やかさも銀座感もゼロ。最上階であるここ七階まで上がってきたエレベーターは四人乗ったら隙間がなくなるというくらいに小さく、しかもぎこちない動きをしていた。
「……これ、分かる?」
隣の木崎にこそりと囁く。
「いや、全く」
囁き返してくる木崎。
目の前には赤茶けた色をした金属のオブジェ。ドロドロに溶けたスライムにしか見えないけれど、タイトルは《虹》だ。全く意味が分からない。
そっと背後を見る。五人の大学生らしき男女が歓談していて、私たちには目もくれない。それはそうだろう。スーツにビジネスバッグの三十路は場違いだ。
何故こんな状況になっているかというと――。
今日は約二週間ぶりに水族館に打ち合わせに行った。仕事は順調。何の問題もなく終わり、最後に雑談をしていたときだった。先方の部長という人がふらりとやって来た。最初は水族館に関することや世間話をしていたのだが、『さて我々はそろそろおいとまを』と私たちが腰を上げたときに、部長が『そうだ!』と声を上げたのだ。
「君たちの会社は新橋だったね。銀座九丁目に近い側かな?」
そう訊く部長に木崎と私は、はいと答えた。すると部長は相好を崩し、
「それなら帰りにぜひ寄ってくれ」
とスーツのポケットからポストカードを取り出した。五つの写真が載っている。
「愚息が芸術系の大学に通っているのだがね。ちょっとばかり縁があって、友人と一緒に初の個展、いや、グループ展を開いたんだよ」
部長は写真のひとつを指差した。
「これが愚息の作品だ。面白いだろう?」
「……心を揺さぶってくる造形ですね」と木崎。
「君、素晴らしい審美眼を持っているじゃないか!」
――ということなのだ。私も木崎もこの後に、それぞれ来客と会議がある。
だけど『展示をしているギャラリーは狭い一間で数分で見終えることができるから』と部長が言うので、社に戻る前にここに立ち寄ることにしたのだ。
ギャラリー入り口には芳名帳があったので、しっかり名前を書いた。これで見に来た証拠はできた。
ただ、部長のご子息の作品は、私には意味がよく分からなかった。
「これ、買えるんだな」と木崎。
木崎の指がさすものを見る。それには、タイトルプレートに赤い丸いシールが貼ってあるのは売約済み、と書かれていた。ということは隅にある数字はきっと値段だ。学生の作品として高いのか安いのかは分からないけど、買えないことはない金額だ。だけど。
部長子息の作品は四点。どれも赤シールはついていなかった。
木崎が背後の若者たちを見る。
「すみません。買いたい場合はどうすれば?」
1・1 想定外のコンビ
https://note.com/atara_hoshio/n/n163e962c753d
1・2 想定外の時間
https://note.com/atara_hoshio/n/n8ef36ec81291
1・《幕間》木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/nfc119068c95a
2・1 想定外のランチタイム
https://note.com/atara_hoshio/n/n9e0de7c45139
2・2 悪口の想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n25404d37bf43
2・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/n7351c6e151be
3・2 想定外エレベーター
https://note.com/atara_hoshio/n/n87fa2ecc3dd6
3・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/na483ed74730b
4・1 ディナーの想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n784bed48b698
4・《幕間》木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/n2a4dca8df4ff
4・2 想定外の遭遇
https://note.com/atara_hoshio/n/nfb2bcee9eaaa
5・1 佐原係長は想定内
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5・2 想定外の気持ち
https://note.com/atara_hoshio/n/n919f9fdef7d0
5・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/n02679618c145
6・1 想定外の状況
https://note.com/atara_hoshio/n/n06540859a32d
6・2 告白の想定外
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最終話 想定外の計略
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番外編『プロポーズの想定外』1・想定外のお預り
https://note.com/atara_hoshio/n/nbdb701100424
番外編『プロポーズの想定外』2・想定からのプロポーズ
https://note.com/atara_hoshio/n/n7661a8cca620
番外編『プロポーズの想定外』3・想定外の木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/ne5d9158f25e7
番外編『プロポーズの想定外』最終話・プロポーズの想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n0b174bff6d18