入社以来8年も犬猿の仲だったアイツを、好きになるはずがない 6・1 想定外の状況
気付いたらクローゼットの隅に追いやられていたフレアスカートを手に取っていた。昨年、休日に履こうと買って、二、三回しか着なかったもの。ブラウンの膝丈。
可愛いというよりは大人系デザインだ――。
急に冷静になる。
私は何をしているんだ。
帰宅してスーツを脱ごうとしただけなのに。スカートを戻して代わりにハンガーを手に取り、クローゼットの扉を閉める。だけど気力が湧かず、ベッドに腰かけた。ハンガーを握る手を見る。何もしていない、ただの手だ。
最後にネイルサロンに行ったのはいつだっだろう? 派手な爪には出来なかったけれど、以前はピンクベージュ一色のジェルネイルなんかはやっていた。
黒いパンツスーツばかり着るようになったのは、面倒だからという理由だけじゃない。だけど面倒なのも事実だ。
営業なのだから信頼感と清潔感が第一で、可愛さなんて必要ない。
それにそもそも私には、ゆるふわ可愛いなんて似合わない。
いや、似合わなくていいのだ。似合う必要なんてない。
頭の中を、直視したくないことがぐるぐる回っている。
と、突然、上着のポケットでスマホが震えた。社用スマホを入れっぱなしにしていたらしい。
取り出し確認すると、木崎からのメッセージだった。心臓が跳ね上がる。
なんてタイミングだ。間の悪いヤツめと悪態をつきたい。でもきっと、仕事に変更でも出たのだろう。
アプリを開く。目に飛び込んできたのは、
『週末、一緒に走らないか?』
というシンプルな一文。
何これ?
仕事の話ではないよね?
休日のお誘い……で、いいんだよね?
他に意味があるだろうか。私が自分に都合良く、解釈しているだろうか。
そう考えて何度も読み直してみるけど、やっぱりただのお誘いに思える。
スマホを持ったまま固まっていたら、新しくメッセージが届いた。『また具合が悪くなるとマズイだろ』と。
なるほど、気遣いの鬼は心配してくれているらしい。嫌いなはずの私を。
――どうしてこんなに気持ちが浮き立つのだ。
相手は木崎だ。入社以来の犬猿の仲で、どうにもこうにも反りが合わないと思っていたじゃないか。
木崎も、何で急にこんな対応をするんだ。最近あまりに、優し過ぎる。
しばらく考え、それから『週末は母が上京するから、走らない』と嘘のメッセージを返した。
立ち上がり、鞄から私用スマホを取り出すと、ゲームアプリを立ち上げる。『トゥエルブスターを撃ち落とせ!』。私の推しキャラ、真面目で誠実、寡黙で質実剛健な黒騎士に癒されたい。
だけどその麗しきご尊顔を見ても、玲瓏な声を聴いても、気分は晴れなかった。
考えたくない。あいつとは八年も犬猿の仲だったのだ。今更、好きになるなんて、あり得ない。
修斗にフラれて以来誰にも惹かれなかったのに、ようやく好きになった相手が木崎なの? アホすぎるでしょ、私。
ちょっと気遣いされたくらいで、こんなになるなんて。私、チョロいにもほどがある……。
◇◇
店員が私の目の前のテーブルにまとめて置いたジョッキを見ながら、
「生ビール誰? あとハイボール、ウーロンハイ」
と声を上げる。
金曜夜。全国チェーンの居酒屋、半個室。久しぶりの同期会。当初予約していたお店が今朝、なんと食中毒で営業停止になってしまった。延期にするか店を変えるかで意見を募り、後者となった。急な変更を藤野が頑張って対応してくれたから、開催できた。
藤野はいい人だ。優しいだけでなく頼りになる。佐原係長の言葉を借りれば、優良物件なのだろう。しかも私が気まずくならないよう、以前と変わらない態度でいてくれる。
高橋のほうは私の良心が疼くほど、見るからにしょんぼりしている。
もっとも佐原係長によれば、どちらも私の心に訴え掛けるための作戦らしいけど。
「いいよ、宮本。今日、全然じっとしていないじゃない。落ち着いて飲みなよ」
腰を浮かせ掛けた私に、左隣に座る同期の女子がそう声を掛けてくれる。
「でも急にお店、変わっちゃったからさ」
答えにならない返答をしてごまかす。落ち着かないフリをして、藤野と木崎から距離をとっているのだ。なるべく視線が合わないよう、会話を振られないよう、気をつけている。
だけど今、藤野は斜め左前、木崎はひとり置いた右側に座っていて、けっこうキツイ。
「ほんと、ごめんな」と藤野が私を見た。
しまった目が合ってしまった。でもこの話では仕方ない。私の話題選択ミスだ。
「藤野のせいじゃないでしょ。むしろ今日の今日で店を取ってくれて、ありがと」
『さすが藤野!』という声が上がる。
「宮本」と藤野。柔らかな笑みを浮かべている。「魚の旨い店は他にもあるから 、来週行こう」
やられた。この場でこれは断りづらい。無難に答えて――
「宮本、ドリンクメニューをくれ」
藤野とは反対側から声がかかる。木崎だ。
「そうだね、そのうち」と藤野に答えてから木崎を見る。「知るか。自分で探して」
「幹事なんだろ、寄越せ」
「ほら、ケンカしない」と私たちの間に座っている男が仲裁に入ってくれる。「って、木崎、まだビール、半分あるじゃん」
「次のを選びたいんだよ」
どこからかメニューが回ってきたので木崎に渡す。藤野はこの話題を終わりにしてくれたようで、隣の人と話し始めた。
「お前たち、今、組んで仕事してるんだろ? そんなんで大丈夫なのかよ」と間の男。
「仕事は別」
木崎と私の声が重なり、彼が笑う。
「仲が悪いんだか、いいんだか」
すかさず、
「いいわけないでしょ」
と反論する。
木崎への態度は変わっていないつもりだ。細心の注意と最大限の努力で、認めたくないアレを封印している。
目先が利く木崎でも、何も気付いていないはず。ヤツはジョギングの誘いを断ったことも気にしていない。そもそもその話題すら出ていない。
そのまま隣の男と話し込む。
私たちの背中側は暖簾が下がっているだけの出入り口で、通路に通じている。その向こうには普通のテーブル席が幾つかある。店に入ったときは空席だったけど、今は人が入ったようで話し声がけっこう聞こえてくる。ということは、こちらの話も向こうに聞こえるということだ。
当たり障りのない、彼の四歳の息子さんののろけ話を聞く。スマホが出て来て写真披露が始まる。
「そういや木崎」と彼が木崎を見た。「日曜に水道橋のヒーローショーに来てなかったか」
「ああ」とうなずく木崎。
「やっぱりか! お前、なんだよあの子供! 隠し子か!?」
周りがざわつく。
「アホか。甥っ子だよ。姉貴の子。家が近いから時々頼まれるんだ。義兄が出張が多い人だから」
「なんだ、つまんね」
笑いが起きる。『木崎なら隠し子がいそう』なんて声が上がる中、どっと力が抜ける。
いや、別に子供がいてもいいんだけど。木崎はただの仲の悪い同期なんだから。
「木崎、子供なんて蹴散らして歩きそうなのに」と誰かが笑う。
「いや、めっちゃ懐いてたよな」と隣の同期。「だから木崎かどうか自信がなかった」
「俺は子供好きのいい叔父貴だぞ?」
「なら早く結婚しろよ、遊んでばかりいないで。自分の子供は可愛いぞ」
木崎が子供好きなんて意外すぎて新鮮だけど、その後はあまり聞きたくない話題だ。さりげなく顔の向きを変える。と、藤野と目が合った。更にさりげなく視線を逸らして左隣の会話に加わる。
彼女たちとしばらくの間とりとめもない話に花を咲かせていたら、通路のほうから聞き覚えのある声で『りおん』との単語が聞こえ、息をのんだ。
自分の名前ではない、知っている声ではないと願いつつ、通路の外に神経を集中する。
だけど私の願いはすぐに打ち砕かれた。
外の席に修斗がいる。恐らくサークルの仲間ふたりと一緒に。
そして私に偶然再会したことを、悪意満々で語っていた。
1・1 想定外のコンビ
https://note.com/atara_hoshio/n/n163e962c753d
1・2 想定外の時間
https://note.com/atara_hoshio/n/n8ef36ec81291
1・《幕間》木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/nfc119068c95a
2・1 想定外のランチタイム
https://note.com/atara_hoshio/n/n9e0de7c45139
2・2 悪口の想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n25404d37bf43
2・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/n7351c6e151be
3・1 先月の想定外事件
https://note.com/atara_hoshio/n/n3239d006ee42
3・2 想定外エレベーター
https://note.com/atara_hoshio/n/n87fa2ecc3dd6
3・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/na483ed74730b
4・1 ディナーの想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n784bed48b698
4・《幕間》木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/n2a4dca8df4ff
4・2 想定外の遭遇
https://note.com/atara_hoshio/n/nfb2bcee9eaaa
5・1 佐原係長は想定内
https://note.com/atara_hoshio/n/n3bbb04f0c4b7
5・2 想定外の気持ち
https://note.com/atara_hoshio/n/n919f9fdef7d0
5・《幕間》藤野
https://note.com/atara_hoshio/n/n02679618c145
6・2 告白の想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/nd7c6c54ecb32
最終話 想定外の計略
https://note.com/atara_hoshio/n/nf78e4b0250f8
番外編『プロポーズの想定外』1・想定外のお預り
https://note.com/atara_hoshio/n/nbdb701100424
番外編『プロポーズの想定外』2・想定からのプロポーズ
https://note.com/atara_hoshio/n/n7661a8cca620
番外編『プロポーズの想定外』3・想定外の木崎
https://note.com/atara_hoshio/n/ne5d9158f25e7
番外編『プロポーズの想定外』最終話・プロポーズの想定外
https://note.com/atara_hoshio/n/n0b174bff6d18