トワツガイへの感謝と応援のことば


ゲームのサービス終了の報を受けて

https://cache.sqex-bridge.jp/jp/ja/guest/information/94964…
以下引用
>ゲーム『トワツガイ』は、誠に勝手ながら2024年7月23日(火)20:00をもちまして、サービスを終了させていただくこととなりました。

……心が引き裂かれるような感覚に襲われました。私が最初に異変に気づき、心臓に氷が撃ち込まれた思いをしたのは、GooglePlayのサブスクリプション停止予告のメールが届いた瞬間でした。思い当たる事態はひとつしかなく、リアルで「アア〜〜ッ」って声が漏れてしまいました。そこから数分間のことはもう覚えていません。目の前がぐらぐらして、足元が覚束ない感覚でした。

そう言いつつも、全く予想していなかったのか、と問われればやはりそうではありません。スクエニさんのコンテンツ提供方針の見直しが度々ニュースで取り上げられる中、界隈に漂う不安と怯えの空気は日々濃くなり、そして「Coming soon」がなかった最後の暴虐イベ……。
それでも漠然と「まあ次のイベントが始まるんでしょ」などと、今思えばあまりに薄い期待にすがって呑気に楽観視し、経過を見守っていました。見て見ぬふりをしていたんだと思います。5/11、12に開催された「トワツガイコンサート2024」を全通し、極上の音楽と朗読を楽しみ尽くした直後で、「私がこんな楽しい思いしてるんだからまさか終わるはずないよね!!」(論理の飛躍も甚だしいがしかし当人は本気でこれがロジックとして通っていると思い込んでいる)という滅茶苦茶な心境でした。
それを何よりも雄弁に物語っている拙文がこちら(「トワツガイコンサート2024 ~鳥籠で見る夢~」の思い出、のような、まだ思い出にすらなっていないような何か)です。今読み返すと激しく切なくなりますね。

置かれている心境が変わると、同じ物を見て読んでも全く違う心証を得る……
勝手に他人の心情想像するのは本当に良くないとは思うのですが、トワコンの時点でゲームのサービス終了は当然決まっていたはずで、それを知りながらああいう舞台を制作されるの滅茶苦茶胸が苦しかったのではないかと思います。それでも精一杯ステージを彩り、素晴らしい時間を作ろうと奮闘してくださった方々には本当に感謝の念に堪えません

そして、メンテに入ると同時に発出されたサービス終了のお知らせ……
どうしてもう少し覚悟ができなかったのか、いや、覚悟ができていたとしても果たしてこの衝撃は受け止められたのか、これからどうなるのか、どうもこうもない終わるだけだ、じゃあ皆はどんな気持ちで今タイムラインを見ているのだろうか、などと様々に思いが駆け巡り、収拾がつかなくなりました。
そして数多の悲鳴や絶叫の中に妙な混乱が混じるTLを少しずつ、恐る恐る遡っていくと……

????????????????
トワツガイ Fans??

??
(これ滅茶苦茶好きです、どちらかの癖が相手にうつったように見える、にじみ出るラブラブ感)

え、ストーリーは続くの……? 旅の続きが見られるの……!?
……そんなことってあるの???????

サービスは終了しても作品は続くという喜び

これについてはもう、深く感謝としか言いようがありません。ゲームがこのように終了を迎えた後に作品が別媒体で続く、というケースがどれだけあるのか分かりませんが、私は寡聞にして存じません。企業は慈善団体ではないので、今後の展望が一切ないままにこういった配信先を残しているわけではないと思いますが、いずれにしても、トワツガイの物語と人物に深く深く魅了された方が沢山いて、また制作側の方々にも最後まで描きたいという強い思いがおありだからこそ、こうして相当なイレギュラー対応に向かう決断ができたんじゃないかと想像しています。

ただ、今後のトワツガイの動向については、情報が各種媒体のあちこちに掲載されている状態で、追跡するのが難しいため、手前味噌で大変恐縮ですが、自分の頭の中を整理したいという思いもあって、先日以下のようにまとめさせていただいたものをTwitter上に投稿いたしました。認識誤りがなければよいのですが……大丈夫でしょうか、合ってますか?

こうして並べてみると、7/23にゲームのサービス終了、舞台千秋楽、そしてトワファンスタートという3つが重なるわけで、ここは大きな節目の日になりそうです。ひとつの終わりがひとつの始まりになる、大切な一日になりそうです。
また、ただ縮退に向かうだけではない、もちろん「Fans」の名の通り、今後どれだけファンの熱意があるのかにもよるでしょうけれど、これまでとは違う形で、トワツガイの世界と人物を愛している多くのユーザおよび制作者の方々と一緒に楽しめることに喜びを感じております。

いずれにせよ、私が初めて直撃を経験したゲームの「サービス終了」所謂サ終が、絶望と悲しみで押しつぶされるだけの散々な一日にならず、悲しみの中に確かな光を手にすることができたのは、間違いなくこのFansによる継続があるからこそです。何度でも感謝申し上げたいと思います。

そしてここからは冗長極まるお気持ち編です。

いかにして「個人的に」トワツガイに救われたのか(つまり自語り)

まずは舞台からだった

私がトワツガイに最初にハマったきっかけは、これは明確に日時まで分かっていて、2023/6/17(土)舞台トワツガイの昼公演です。その少し前から少しだけゲームも触っていたのですが、まだどハマりするような温度には全く至っていませんでした。
舞台もたまたまその日予定が空いていたので、フォロワーさんからの誘いもあって気まぐれで行ってみた、という程度でした。しかしスポットライトを浴びていたカラスさん(大西桃香さん)があまりにまぶしくて、その果断さや不安、優しさや献身、強さや弱さ、そしてハクチョウへの深い愛情が一度に押し寄せてきて、一瞬で本作に恋してしまいました。
元々舞台は2.5次元系でいくつか見ていたので、その魅力は十分理解していたつもりでしたが、百合をテーマの中心に据えられ、しかもカップリングが完全に固定化されているものは珍しく、また4組(当時)のそれぞれの関係性の模様が、儚く美しく悲しく、それでいてどこかに希望を感じるように描かれている。この時点でもう、私は「この子達の行く末を絶対に見届ける!!!!」と、親心みたいな気持ちが芽生え始め……公演終了後フォロワーさんと滅茶苦茶興奮しながら感想話して……とりあえずグッズ買い増しして……帰る頃にはもう、トワツガイが私の血肉になっていました……自覚がないだけでもうモブドリになってるんかな……。
そして追いチケして見た公演がたまたま大西さんの挨拶の回とぶつかり、それがあまりに心に沁みてしまって、カラスさんと運命ちゃんのことが大大大好きになってしまいました。あの言葉は今でも思い出します。「舞台」は「原作(つまりここではゲーム)」そのものではありませんが、キャストの方が、与えられたキャラクターのことを精一杯考えて、悩みに悩んで、そのうえで自身なりに表現されているわけですから、そこで現れた人物像は最早限りなく実像に近いものだというのが私なりの2.5次元に対する見解で、大西さんの演じられたカラスさん=私にとってのカラスさん、そのイメージがここで完全にできあがりました。

トワツガイを追いかけると決意するきっかけとなったチケット(上)と
カラスさんに惚れるきっかけとなったチケット(下)

それからはもう死ぬほど二次創作書いて(なんか嬉しいガイドラインもあるし……)、本出して、界隈にズブズブ入り込んでいって……まだ1年も経ってないんですね……年取ると体感する時間の経過が速くなっていくはずなんですがこの1年は本当に長いんですよね……。
過去に、2018年くらいまではそれなりに同人活動をしていたんですが、公私ともに多忙になったり、コロナがあったりもして、どんどんオタクらしい妄想力も馬鹿力も失われてしまい、「オタクはもういいや」と完全に諦めてしまっていました。それがこんなに生き生きとオタクらしい活動が再開できるようになった(なんなら過去以上に活動的かも)のは、舞台トワツガイと出会えたからに他なりません。

ゲームは後からついてきた

ゲームについては上述の舞台を見た後に、コツコツ進めるようになっていきました。そのゲームの中にどこに深く惹かれていったのかといえば、やはり「物語」と「人物」でした。
トワツガイに入る前にも色々なスマホゲームはやってきましたが、実のところストーリーはほとんどまともに読まず、「ゲーム性」のほうを程々に楽しんでいた程度でした。スマホゲームのストーリーには全然期待していなかったし、実際胸をとらえるほどのものはなかった(あったかもしれないけど今となって思い出せるほどのものはないのは確か)、と言い切ってしまっていいと思います。
しかし公私の活動が忙しくなるにつれて、段々その「ゲーム性」に没頭する時間・体力・気力が失われていき、それでもゲームをやりたくなったらPCゲームを真っ先に起動し、スマホゲームからは完全に手を引いてしまった時期もありました。
それがこうして、毎月のメインストーリー更新を心待ちにして、人物のわずかな表情の変化、言葉の選び方、ペア相手への態度、そういったものに逐一考察を巡らせ、周囲と感想を言い合って一喜一憂できているのは、トワツガイの物語、人物、関係性の表現が極めて卓越しているからこそに他なりません。アニメならまだいくらかあるのですが、こういったスマホのゲームが原作になっている作品のストーリーに真剣に向き合ったのは私は過去に例がありませんでした。
また、いくらストーリーが素晴らしいと言ってもテキストデータだけを読んでいるわけではなく、収録された台詞、モーション、音楽、その他様々な表現の構成要素があってこそ、トワツガイの世界がより心の中に深く浸透していったのだと思っています。スマホのゲームでこんなに繊細な表現が出来るものなのかと都度驚いています。

しかもトワファンにおいても、(以下引用
>白本奈緒氏のシナリオと(株)エボルブ制作のSpineアニメーション、豪華声優陣のフルボイスで紡ぐメインストーリー
とのことなので、恐らく今のゲームでの表現にかなり近いものを楽しめるのではないかと期待してしまうのですが、こういうプレッシャーのかけ方をしてよろしいのでしょうか……!?

カラスさんは多少相好を崩すことはあっても、はっきり声を上げて明るく笑う場面は、全ストーリー通してもほとんどなくて、どんな形であれ、ここでそんなに笑わせてくれた相手がハクチョウだったっていうのは特別な意味をこれからも持っていくと思うんですよね。
……っていう微細な表現がゲームでありながら非常にリアルに作られているんですよね。まだトワツガイやったことない人にマジで1回触ってほしいんですよね、「こんなに動くんだ」「こんなに綺麗なんだ」っていう感動を共有したいんですよ

舞台で描かれなかった先の展開が明らかになるにつれ、彼らの置かれている環境の過酷さもどんどん増していきました。暴力、悲惨、残酷、それらが繰り返されるダークな物語であることはやはり変わらないのに、ついそこから目を離せなくなってしまうのは、彼らが懸命に生きて、ペア相手のことを愛しているからだと思います。
一度は無念の思いを秘めたまま命を落としたのであろう少女たちが、今度こそは自分の愛する人と手を取り合い慰め合って生きていくんだ、と心に誓い、過酷な現実に抗いながら懸命にその生を全うしようとする姿に、いつも胸を打たれていました。しかもそれは結局、リアルの私達が生きていくうえで直面している難しさとも実はそこまで乖離しているわけではなくて、ゆえにそこに私達も背を押されるんだ、と私なりに考えております(トワコンでの近藤さんの挨拶で特にそれを痛感しました)。

まとめると、私がトワツガイから得ていた救いは、
・舞台により、一度は完全に死んでいたオタクの心に血が再び流れ始めて、創作物に対して様々な想像力(妄想)を巡らせる楽しさが蘇った
・ゲームにより、今まで経験したことのなかった「スマホのゲームで描かれるストーリーと真剣に向き合う」経験ができた、また作中の人物の懸命な生き方に惹かれていた
ということです。

「ありがとうございました」と「これからも応援しています」

勝手にこういう想像するのは良くないと承知しておりますが、ゲームのサービスが終了することに悲しい思いをしているのはユーザだけではなくて、むしろそれ以上に、開発に携わってきた多くの方々の無念のほうがずっと大きいに違いないと思っています。
それでも、私が個人的にこの作品と出会い、こうやってだらだらと長文お気持ちを垂れ流して深夜に泣きそうになるくらいには多くの救いを頂いてきたのは、紛れもなく確かで、その気持ちは「残念です」とか「応援が足りずごめんなさい」とかいう言葉で示すものではなく、やはり「ありがとうございました」で表現すべきだと思った次第です。
そして、本来ゲーム3章と舞台で完全に幕が下りてもおかしくないはずの作品に新しい未来を作っていただいたことについては、「これからも応援しています」と心を込めてお伝えしたいと思います。

コンテンツが本当に終わるときっていつなのだろうか、と考えると、それは多くの人の記憶から忘れ去られたときなのではないかと思いました。
私はトワツガイのことは忘れません。

終わりに

出来ればゲームで実装された分のストーリーを読み返す機能をトワファンに実装していただけると泣きます……!!! ゲーム始めたの去年の6月からなので!! イベストはEpisode 0からしか見てないんです!!!!!
(あと「トワツガイすげえんだぞ」って周囲にふれて回るときの広めやすさが段違いです)


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