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うちはみんなのお手伝いさんなの?🧑‍🍳

うちのあたまのなかへようこそ💭

今日は学校でのことについて話すね🗣️

今日は愚痴多めなので温かな目で見てほしいな笑👀


自分で言うのもなんだけど、うちは、はたからみて模範生徒なんだよね😐

でも自慢してるわけじゃなくて、それが悩みの種になることがあるの。

模範生徒だから、優等生だから、こんな理由で自分が『みんなの理想、想像』っていう型にハメられてる気がして。

自分に対する期待値が高い、そう感じちゃう💭


何回かよい行いをしたら、それがうちの『普通』になっちゃう。

だから、自分自身は嫌でも普通になってしまったものはやらざるを得ない。

今うちはそんな状況なの。


学校って給食あるじゃんー?🍙

給食では日替わりで当番が変わるんだ。

(勘が鋭い人はなんとなくわかったかなー?)


でもうちの中では『当番』という概念がもうなくなったの(なくなっちゃった、と言ったほうがいいかな)

なんでか、って?

それは、


当番とか関係なく毎日お手伝いとしてボランティアをやってるから。


なんでボランティアやり始めたかっていうと、6年の時の担任の先生の方針の名残なの。


6年生の頃の担任の先生は

給食準備なんて、当番の人以外の人も全員やったらすぐじゃん

って人だったんだ。

うちはその先生嫌いじゃなかったし、どっちかというと好きな先生だった👩‍🏫


だから、なんでも先生の言うことは正しい、と思って言う通りやった。


うちのクラスメイトも6年生の時は、結構積極的にボランティアやってたんだけど、中学生になってからはみんな他人事のようにやらなくなって。


でもうちは中学生になってからも新しい担任の先生に申し出て、手伝いを積極的にやった。


みんながボランティアやんなくても、うちはやってやるんだから、うちはみんなとは違うんだからっていう、意味不明な優越感を感じながらがむしゃらにやった。

最初はめっちゃ楽しかったし、人数分きっちり盛り付けられた時とか気持ちよかった。



うちの真似して一緒にボランティアやってくれる子も増えた。

嬉しいけど、うちはいわゆるボランティアの『常連』になっちゃったわけ。


でも給食当番が嫌いな訳じゃない


矛盾を感じるかもだけど、嫌いな訳じゃないの。

うちは『嫌い』以前に毎日やってたから習慣になっちゃって、給食時間になったら体が勝手にエプロンと三角巾をつけ始めちゃうんだよね笑

盛り付けもクラスで1番上手になったし。

でもうちが嫌なのは、みんながうちがいっつもやってるのが当たり前、って思ってしまうこと。

当番をやってないのに、偉そうに『早くしろ』とか『この具材嫌いだからこの具材抜きで盛り付けて』とか、言ってくるのはまあまあイラつく。

6年生の頃の担任の先生の方針みたいに、みんなで当番やったら良いのに、とか思っちゃう笑


今日は愚痴みたいになっちゃったし、絵文字もあんまり使えなかった😅(絵文字少なめだったから、もしかしていつもより読みやすかった?🤪)

でも、うちのあたまのなかの引き出しの一つである『うちの日々の葛藤』について少しは知れたんじゃないかなー?



🎶今のお気に入りの曲🎶
今日はクラシックで🎻
🎧Sonata in E Major:Adagio cantabile /Francois Francoeur作曲(pierre fournier演奏)

ならね〜👋

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JCのあたまのなか💭
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