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誰のため何のため、それをするんだい。

よくいつから大人になってしまったのだろう、とか言うけど。
そもそも、その言わんとする大人ってなんだ。
感情が出てくることが豊かだって今日言ってもらったことで、なんか救われたりもして大人について考えてみたくなる。

たぶんその言わんとする大人って、感じた違和感を押さえつけることができる人でもある気がしていて。しかも無きものにできる。なんでそんな大人になれないのか、そんなんならなりたくないという矛盾する気持ちが共存しているから救われた言葉な気もする。

言わなければわからない、でも空気も読んで。
器用な技術を必要とされることは、生きてく中でも恋愛でもある気もする。
でも、結局それはお互いにそうしたいと相手に思ったり、してもらうことが当たり前ではいけない。相手を思うから、あなただからできることはきっとある。あるんだけど。

誰のためとかなると違うけど、自分で決めたからそうしてるんだけど、目的はあるはずで。自分の幸せはそこにある気もしており、喜んでくれたりしたらそれは最強なパワーになったりもしており。

そういや…目の前の人の、心と身体の健康のことだけ考えていれば良かったインストラクター時代は得られるものがわかりやすかった。毎日ジムにいて、会いに来てくれるお客様がいて、笑顔になって帰っていく。それってめちゃくちゃ幸せなことだったな。

思い出しながら、なんか自分の幸せの原点が少し見えた気がする。他の人が言ったら、きれいごと言っちゃってとかケッて言う側かもしれないけど。
やっぱ笑顔っていい。どこかその単純なことさえも忘れてしまうくらい、私も嫌な大人になっていた部分もみつかって良かった。

すべては自分を守るためだったかもしれないから許してあげたい。けど、幸せを感じられるものは掘り起こして、こうしてちゃんと思い出していきたいな。