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『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。』を読んで

この記事は、2019年に河出書房新社から出版された『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。ーースペックゼロでお金と仕事と人間関係をめぐって考えたこと』から、私が気になったところの引用・要約集です。
くわえて、私が参考にしたい、あるいは、考え直したいと思ったところをコメントしています。

◆きっかけや理念について

「レンタルなんもしない人」というサービスを始めようと思ったきっかけ
①心理カウンセラーの心屋仁之助「存在給」
②プロ奢ラレイヤー
(③生まれたばかりの自分の子供)

同書p.6-7, 202

「レンタルなんもしない人」の活動理念
・「『○○ができる』のようになにかを可能にする能力を個性とみなされたくない」
・「人や社会に対してなにか役に立つことができる人でなくても、つまりなにもできそうにない人であってもストレスなく生きていける世の中になってほしい」
↑根底にある経験
・大学受験がうまくいかなかったことがきっかけで体調を崩してうつになり、以来、一度も社会で働くことなくいま40歳を迎えている」兄と、「就職活動にずいぶん苦労したのだけれど望むような結果が得られず、それが心の大きな負担となって、自ら命を絶った」姉がいた。
・「姉の社会人としてのスペックは、彼女が受けた会社にとって求めるものではなかったけれど、僕自身にとって姉はただ存在しているだけで価値があった。」
・「『なにかができるから価値がある』だと、既存の価値に当てはめられてしまう。だから僕は、なんもしない。」

同書p.53-55

👍参考にしたいところ①「ただ居るだけで価値がある」

だれもが「ただ存在しているだけで価値がある」ということを確かめる研究にしたい!


◆存在を貸し出すことによって生じる変化について

「いなくてもいいけど、誰か1人そこにいるだけ、加わるだけで気持ちが変わることがある。」
「人間1人分の存在を一時的に貸し出すことによって生じる変化について考えてみたい。」

同書p.8

「……一般的に、大事なことは大事な人、つまり友人、恋人、家族といった身近な人や親しい人にしか話さないものだと思われがちだ。……しかし一方で、人間関係が薄い、もしくはほとんど無関係な相手にこそ話せる大事なことも、世の中にはたくさんある。」
「要は、関係の深さと話の深さは必ずしも比例しないし、親しい間柄だからといって自分をさらけ出せるかというとそうでもない。むしろ親しいからこそ口をつぐんでしまうケースも少なくないのだ。」

同書p.18

「……『レンタルなんもしない人』がやっているのは、ただ1人分の人間の存在を一時的に提供する(貸し出す)ことだ。」
「具体的には、『1人では入りにくい店に一緒に入ってほしい』『芝居の稽古に立ち会ってほしい』『1人だと仕事をサボってしまうから仕事場にいてほしい』『ちゃんと部屋の掃除をするか見ていてほしい』といった、『ただそこにいる』ことだけが求められるシーンに対応している。あえて類型化するなら『同行』『同席』『見守り』ということになるだろうが、こうした依頼は基本的に、別に僕がいなくても依頼者本人の力だけで達成できるものだ。もっといえば『話を聞いてほしい』という依頼も、僕はただ相づちを打つだけなので、理論的には依頼者本人が独り言をいうかたちで自己完結できないこともないと思っている。」
「……いなくてもいいけれど、そこに誰か1人いることで、依頼者の気持ちに変化が起きていることはたしかなようだ。そう考えると『レンタルなんもしない人』は“触媒”みたいなものとして機能しているんじゃないか。」

※「触媒とは、それ自身は変化せずに、ある化学反応の反応速度に影響を与える物質のこと。」
例:二酸化マンガン(過酸化水素水は放っておいても勝手に酸素を放出するが、二酸化マンガンを加えると反応速度が上がる)

同書p.21-22

👍参考にしたいところ②「触媒」としての機能

「いなくても本人の力だけで達成できる」けど、私たちがいることで「気持ちに変化が起こる」可能性のある場面を利用シーンとして想定してみたい!
特に、今回の企画では研究メンバーと一緒に「人間複数人分の存在を提供」できうるところを活かせる場面を考えたい。

💭考え直したいところ①利用者側との関係性

この企画の提供者=ただ居る側は、各地に散らばっているため、各々の身近な場所でも実施する予定になっている。
親しい人が利用者=「ただ居てほしい」側になることもあるので、必ずしも「無関係な相手」として振る舞えない。
関係性のできあがっている者同士が、提供者と利用者になる場合についても検討する必要あり!


◆サービス利用料や交通費について

利用料を無料(※)にした理由
①「自分のサービスに妥当な値段をつけることは難しく、面倒くさく」なったから
②「依頼者がお金を払い、サービスをした僕がお金を受けとるというやりとりになれば、恐らく関係はそこで閉じてしまい、それ以上の広がりは生まれ」ず、「面白くなくなるんじゃないか」という気がしたから

同書p.125

※令和5年7月26日(水)現在は、レンタル料を基本3万円と設定している模様。

「無料のサービスなら僕も開き直って「なんもしない」でいられるだろうし、依頼者側も「どうせタダだし」と、このサービスに多くを求めることはないんじゃないか。たとえ1000円でも報酬があったら、『自分はお客さんだ』という意識が生まれやすくなるだろう。」

同書p.128

「もし交通費をもらわなかったら、たとえばアメリカやヨーロッパから依頼がきたらあっという間に貯金が吹き飛ぶ。この試みが別の要因で短命に終わってしまうのは本意ではなく、交通費はもらうことにした。」

同書p.130

👍参考にしたいところ③基本は無料サービス

利用料は無料。交通費が発生する場合は実費で振り込んでもらう。
もしサービス終了後に別途報酬をくれたら、そのときは有り難く頂戴する。
という方法でどうだろう?


◆その他、気になった部分

「人のために善意でやっているわけではないので、ボランティア活動ではありません。」
「僕は無料だからといって、ボランティアでやっているつもりは一切ない」

同書p.131

サービス開始当初、「最も多く利用されそうだと思っていたのは」、「複数の人がいるなかで1人分の存在を提供するケース」だった。
しかし、実際に始めてみると、ほとんどが「依頼者と僕が1対1になる場面」だった。

同書p.193

「人間1人だけだったらなんもしないで生きていける」けど、「僕には家族がいるし……貯金もいつかは底を突くし、将来的に 一家族分の生活を支えるための方策は必要になってくる。」
→「仮に『レンタルなんもしない家族』というものが成立するなら、家族ごとなんもしないで生きていけるのではないか」

同書p.200-201

👍参考にしたいところ④あえていい人ぶらない

善意を振りかざさなかったこと、ボランティア活動でないゆえに勝手気ままにやっている様子が「面白い!」とウケたこと、この2つが受け入れられた理由ではないかと思った。

💭考え直したいところ②複数対複数という選択肢

親しい人を利用者とした1対1から、こちらが複数人でただ居てるところに多数の人が参加できる、あるいは、複数人の組織・団体に複数人でただ居に行くという複数対複数のサービスもできうる。
レンタルなんもしない人というサービスと、この企画との大きな相違点は、複数人が提供者側になりうることだと思う。
レンタルなんもしない「家族」ではないけど、レンタルなんもしない「集団」としての実験とも言えるのではないか?

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