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去る12月13日に鹿島神宮へ参拝 要石を浄化へ

今頃の投稿になってしまうのだが
12月13日の午前に鹿島神宮へ参拝して来たのだ。午後は地元のメンバーと会う流れだった。
当初は午後だけ茨城に行ってトンボ帰りのはずだった。せっかく200キロも車を走らせて、
何もしないのも勿体無いので、近くのどこかを巡ってみようと思った。するとすぐ、鹿島神宮の単語を検索しただけで
目にガーーーーっと力が入ってきて、敷地内の画像を見るとゲップ(霊障がでるサインらしいが浄化の意味もある)が出てくる。
あと体もいつもののように揺れてくるので、「あぁ、これは行けと言うことですね」という流れになった。
また、要石の写真を見るとエネルギー的にひどく汚れていて、浄化が必要な感覚になり、急遽メンバーを募り行って来たのだった。

今回集まって下さった方々は皆「香取神宮」の要石へ行ったことがある方であり、鹿島も行った経験のある方々だった。
香取神宮の要石は「陽」のパワーを持ち、鹿島神宮の要石は「陰」のパワーを持っていると伝えられていた。
僕が霊視をした感覚だと、鹿島の要石は日本をずーっと守って来たけども、人々が感謝の気持ちを忘れて、映画の効果も相まってか、
唯の聖地巡礼の参拝に出る人がお陰信仰や我欲だけを置いてきている状態になっていた。
それで、要石にお礼を伝え不足しているエネルギーを補い、あとは浄化するお手伝いという感覚で参拝させて頂いたのだった。

鹿島神宮は隣の県に住んでいるのに、正直ご縁が薄くあまり情報がなかったので、ちょっとしたことにしか触れられないのだが。。。

鹿島神宮は創建が紀元前600年頃と言われている。近くにある香取神宮も同じ頃だとか。
主催神はタケミカヅチ。オオクニヌシに 布都御魂剣で剣の尖っているところに腰をかけて、国譲りを迫ったことは有名。その後はオオクニヌシの息子タケミナカタを諏訪の地にまで追いかけ、相撲を取ったことなどがある。

香取神宮はフツヌシノミコト。マークもメノラーを彷彿させる感覚を覚える。

神武が長髄彦と対峙したときに布都御魂剣をタカクラジから授かり、それを使って大和の地を治めた話につながったり、ニギハヤヒの息子ウマシマジが物部の祖となっていったり、鹿島の境内に藤原の神の使いである鹿がいるのも後の朝廷を牛耳っていった氏族の痕跡が残るくらいが分かる範囲かなという状況でしょうか。

そんな古代の日本の要衝地に要石が置いてあって、人が信仰心をを無くしパワーをお渡しして来れたことに感謝し、現地のメンバーへ託して来た。お清め後はまさしく晴れて来たのである
。メンバーの皆さんも体調が軽くなってきたとのことだった。

僕は皆さんと交流が出来、次の地へまた移動をするのであった。

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