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雑感 2023/12/28 足を洗う

この記事が、ウェブ版で公開されたと知った時、正直、買わなければよかったと思った。
Xのポストにも書いたとおり、数ページしかないし、松岡だし、もともと本誌を買う気はなかった。
だからこそ余計に。

それでも私は、本屋さんで実物を見た時に、本誌を手元に置かなければという衝動に駆られた。
何故なら、この一節に釘付けになってしまったから。

まず10年前、自分の人生を考え、この先続けられないって言い出したメンバーがいて、脱退するかどうかまで話が進んでたんですよ。

本屋さんなのに、思わず声を出してしまった。
心臓が早鐘を打って止まらなかった。
本を持つ手が、震えた。


何度か話しているが、2007年以降、つまり活動休止前の何年か、私は、SOPHIAから離れていた。
都さんががんになったこと、そして彼らが「解散」活動休止したことは、辛うじて知っていたが、それ以外は追ってもいなかった。
だから、その頃に黒柳が何を考えていたのかとか、松岡とどんな確執があったとかなかったとか、そんなことは全く知らず、後から噂で聞いたにすぎない。そして、それの信憑性など、あってないようなものだ。
黒柳が楽器を手放し、音楽から手を引き、積年の夢を形にし、そしてそれすらも辞め、完全に表に姿を現さなくなって。
そんなころに、私は、再び、SOPHIAに戻ってきた。
いくつかの大切なものを失った気がして、こんなに人間落ちることがあるのかと思うくらいどん底の状態からゼロに戻るために、元の、帰るべき場所に戻ってきたのだ。
それが、2019年から20年のこと。

もちろん、そこには、黒柳はおろか、SOPHIAはいなかった。
松岡は、何やらもっともらしいことを言いながら、ジルくんと活動を続けていた。
ずっと、もやもやしていた。
黒柳の性格は知っている。
やりたくないことはやらない。以上。
じゃあ、なぜそうなったのか。あれだけ、黒柳はSOPHIAを愛していたのに。


その、一つの答えが、そこにあった。
しかも、松岡の口から、それが直接語られていた。
本当は黒柳の言葉で聞かなければ、信じることなんてできないけど。
でも、今回の松岡の言葉は、主観的な気持ちではなく、客観的な話だから。
真実に限りなく近いだろうと思っている。


「5人でできないことの喪失感」
こんな言葉もあった。

黒柳がいないSOPHIA。
何度か、想像したことがある。
現に、2022年3月27日にSOPHIAの復活が発表されても、そこに黒柳がいるとは信じ切れていなかった。
4月22日に、黒柳の変わらない姿を見、言葉を聞くまでは。


「俺とやることに疲れてたんじゃないですか(笑)」
インタビュアーが「そうじゃないかと思ってた(笑)」と笑っている通り、知らないながらも、私もそうなのではないかと思っている。
もし、あの頃の松岡が一人で走ろうとしていたのなら、その方向が、黒柳の思うそれと違っていたのなら、黒柳が簡単にそれについていくとは思えない。
先の「脱退」の話の本意がどこにあるのかなど、本人にしか分からないことだが、そんなことも一つの要因だったのかもしれないなどと、邪推してしまう。


この記事には、一度も、黒柳の名前は出てこない。他の3人は、名前があるにもかかわらず。
それが、意図的なものであるのかどうかは分からない。
インタビューにはあったけれど、文字にする段階で消えただけなのかもしれない。
それでも、そこから何かを感じてしまっている私は、きっとどこかおかしいのであろう。

私は、「SOPHIAの旗は降ろさない」などという言葉は、微塵も信じていない。
確かに、きっかけを作ったのは、松岡だったのだろうが、そこに旗があろうがなかろうが、5人の気持ちが同じ方向を向いた瞬間が一致したから、SOPHIAは再び動き出したのだ。
そして、仮にSOPHIAが「解散」して、その場所に「SOPHIA」という看板がかけられていなかったとしても、私はずっとSOPHIAが大好きだし、そこが、私の帰る場所だ。


「スーパーヒーロー」
そうか。松岡は、そうありたいのか。
私は、SOPHIAとともに生きてきて、「モヤモヤ」を言葉にし、蹴り飛ばし、一緒に涙し、遠い空の向こうの憧れを見つめ、そうやって等身大の人間を表現してきた松岡の言葉に、心を動かされてきた。
リスナーがアーティストに何かを求めるなんて、そもそも筋違いなのだろうが、私がSOPHIAに、松岡に求めているのは、生身の、弱くて強い人間の姿だ。

そういう意味では、獅子に翼Ⅴでもあった「ベクトル」の話を、私は未だに飲み込み切れずにいる。
私たちリスナーのために何かを返したい、という思いは理解する。ありがたい。
だけれど、彼らは、松岡は、20代の頃からずっとそうだったと思っている。
松岡自身は、それこそ「ALIVE」「マテリアル」の頃、自分に向いた曲を書いていたのかもしれない。
そうだろう。あれは、彼自身の心の叫びだったはずだ。
でもそれは、何よりも真っすぐに、私の、私たちの心に刺さった。
ベクトルは、こちらに向いているのだと思っていた。
だからこそ、25年以上も、バカみたいに懲りずにSOPHIAファンを続けているのだ。


そして、モヤモヤついでに。
これ以上なく直球で切り込んでくれた、獅子翼Ⅴのゲストのお話。
私は、学生たちとのコラボやトークは、悪くはなかったと思っている。
ああいう子たちを見て、純粋にただただかわいいとしか思えない歳になってしまった自分を嘆きつつ、でも、ダンスも、コーラスも、ステージに華を添えてくれたと思っている。
一方で、山本氏については、割り切れなさを拭うことはできない。
結局、彼の動画も見たけれど、その思いはあまり変わらなかった。
たぶんこれが、最初に勘違いしたフクちゃんだったら、また違う感想だったろう。
そこから思うに、このモヤモヤは、トークの長さ云々よりも、これまでのSOPHIAとの関係がまるで見えないところから発していると思う。
こういう時にいつも思うのは、彼らの言うこと全てに同意しなければならないということは、断じてない、ということ。
だから、こちらがどのように受け止めていようが、構わないのだ。


あの頃のように、彼らがメンバー旅行に行くこともないかもしれないし、あの頃のように、彼らが頻繁かつきめ細かくツアーを回ることもないかもしれない。
この何十年かで、SOPHIAも、松岡も、私たちも、立つ場所も、見る景色も、びっくりするほど変わった。
それは、あの頃想像もしていなかったことだけれど、好ましいものとして受け入れるべきものなのだと思っている。

それでも、SOPHIAはSOPHIAであり続けてくれているし、5人それぞれがそれぞれの色を出し続けている。
そんな彼らを、ずっと見ていたい。
もう、彼らに頼らなくても生きていけるのかもしれない。
でも、彼らに支えられた10代の私がいたのは間違いないし、その上に、今の私がある。
だから、願わくばできる限り長く、彼らとともに、歩んでいきたい。
松岡が言うことに、疑問を持ったり、心を動かされたり、きっとこれからも忙しいだろう。
でも、そんな未来が見える今が、私は、とても愛おしい。


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あたか@青空自卑感
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