ヤギの政治利用について
今回の騒動の発端
宮城2区で当選した衆議院議員鎌田さゆり氏が11月3日(土)に飼育していたヤギの、仙台メリーさんを最後まで責任もって寄り添い育てることが困難だとして里親に出す旨をツイッターに投降したことで大きな話題を呼びました。
今回の件の一番の問題は「浅はかさ」だったと私は考えています。
どのような「浅はかさ」が問題だったのかまとめてみたいと思います。
イントロダクション
鎌田さゆり議員は10月31日の衆院選挙で、宮城県2区から立憲民主党選出の議員として出馬し、自民党の秋葉けんや候補を571票差で破りました。
今回の選挙戦で頻繁に登場したのがヤギの仙台メリーさんでした。公示前の10月5日に辻立後の鎌田議員が仙台メリーさんにハグをしている写真を投稿したことを皮切りに、多数の写真をツイッターに投降。公示後の10月20日には枝野代表との3ショットを披露しました。
選挙から3日後の11月3日に、『投開票の夜、仙台メリーさんは鎌田のそばでずっと鎌田を見守ってくれていました。最後まで責任を持って寄り添い育てることは困難で栗駒の里親さんに育てていただくことに。今週(土) メリーさんは里親のもとに』というツイートをしました。
これを受けてネット上で「ヤギの政治利用ではないか」という声が殺到しました。
それに対し、鎌田議員は「選挙の道具などと、彼女にとって酷い中傷の表現はやめてください。」「使い捨てという表現は彼女にも失礼です。使い捨てならお世話しません。」「愛情を注いで飼育してくださる里親さんの元生きるのがベターと判断したから。」 「現実の様々なパターンを想定し先々を見通して備えておくことは悪いことでしょうか。」 などと反論をしました。
しかし、最初の投稿から16時間後に里親に出すことを取りやめ「一緒に暮らしていくこととなりました」とツイートし、考えを一変させました。
それを踏まえどこが「浅はか」だったのか、私が感じたことを書いていきたいと思います。
リテラシーのなさ
まず、リテラシーのなさがあげられます。
そもそも仙台メリーさんを里親に出すことについてツイートした場合、どんな反応がある
か想像できなかったところは非常に浅はかでした。結果としてニュース番組に取り上げられるほど世間の関心を集めたわけで、里親に出すということに関してネガティブな印象をあたえることを想像できなかったのはよろしくなかった。
国会議員としてリスクマネジメントができていないと言わざるを得ません。今後国会議員として活動していくに当たり、今回の軽率な行為をとる可能性もある人だと思われたことは想像に難しくありません。
また、批判のリプに対して猛烈に反論したところもリテラシーが低いと言わざるを得ません。本来であればスルーすべきところを反論してしまったのです。
しかもその返信が頓珍漢なところもよろしくありませんでした。
例えば
「選挙の道具などと、彼女にとって酷い中傷の表現はやめてください。」
という反論をしていますが、メリーさんに対しての中傷にはなっていない点。
また、
「使い捨てという表現は彼女にも失礼です。使い捨てならお世話しません。」
といっていますが、使い捨てであったらお世話しないというのは成り立たないので反論になっていません。選挙のために利用するような人でも選挙期間中はお世話するでしょう。これは全然理論的な反論になっていません。
ゆえに、かえって油に火を注いでしまっています。
また、その後、自分に好意的な意見の人にたいしてリプは返すのに批判的な意見に対しては無視しているところもよろしくありません。やるなら全員に対して無視を決め込むべきです。そういう点もリテラシーが低いと思わざるを得ません。
見通しが甘かったという発言
そもそも仙台メリーさんを飼うということは、生涯にわたって看取る覚悟があったかどうかというもの。本人は最初から里親に出すつもりであったとツイートしています。
ということはこの見通しの甘さというものは、ヤギを飼い続けることが難しいと判断したことだと思っているわけです。つまり、最初から選挙の期間限定で飼育するつもりであった。
手放す理由は飼育することが難しいがゆえに、里親を早い段階から見つけていました。という流れなわけです。しかし、飼える見通しがついたので、飼育することにし、そのことについて、見通しが甘かったと発言しています。
繰り返しますが、見通しの甘さは、飼えると思っていて、飼えなかったことではなく、 飼えないと思っていたが、実は飼えたという点についてだということを間違えないように。
そのうえで、飼えそうにないから里親に出します。でもやっぱり飼えそうなので自分で飼います。
ってすごく自分勝手じゃないかと個人的には思うわけです。
飼えるのであれば、最初から里親にだすなんていうなってことですよ。
里親に出す前に、自分で飼える方法を必死で探して、そのうえで里親に出す判断に至ったのであれば、仕方ない部分もあると思うんですよ。当初の見通しが甘かったんだなって思うんです。 それをたった16時間で飼うことにしましたって、初めに、どうしたら飼うことができるのかという気持ちの本気度が足らないんじゃないですか。飼えるのであれば初めから里親に出すことをスタートにするなってことですよ。スタートの時点で間違っているのではないですか。
政治利用ではないという主張
鎌田議員は、ヤギは事務所横の草刈りのために飼っていたもので、政治利用ではなくあくまで草刈り用の助っ人だと言っています。
これについては真っ向から反論したいと思います。
その理由は、
まずメリーさんを鎌田事務所の所長として広告塔的に存在を発信していたこと。
そして、選挙活動の場にメリーさんを積極的に連れて行ったこと。
何より、やぎを抱えながら「おもしろいことをやっていると思っていただくのをきっかけに政策にも耳を傾けてもらったら」
という発言。
これらについて、 何をもって政治利用ではないというのか。
政治利用ではないというのは、一例として、鎌田さゆり事務所の隣でヤギを飼っていて、メディアが勝手にヤギにフォーカスして「鎌田事務所ではヤギを飼っていす。」って報道していた場合のことを指すのでしょう。
積極的に選挙活動にヤギを連れて行って、枝野代表と3ショットとって、面白いことやってるなって耳を傾けてもらうってゴリゴリ選挙活動だと思うし、ゴリゴリ利用してるやろって思うんですよ。
それを選挙利用してないってそんなの通じませんよ。愛情を持って育てていたかもしれません。それはそうだとしましょう。でも、それとこれとは話が別なのですよ。愛情持って育てていても、選挙に利用したのならそれは選挙利用なのですよ。それを鎌田議員はわかっていないのです。愛情持って育てていたのだから選挙利用ではないと思っているのです。その程度の認識しかないのですよ。
動物愛護の見識
鎌田議員は「使い捨てならお世話しません。」っていってますが、それは動物を捨てる人にも当てはまるわけですよ。愛情持っていれば許されるのかって話です。そういう点がお花畑なのですよ。
極論いうと、多頭飼育崩壊していたとしてもそこに愛情があればいいのか。動物愛護というと動物を愛しているか否かにフォーカスが当たりがちですが、そうではないのですよ。自分が好きかではなく、動物をどれだけ幸せにできるかというところが非常に重要なのです。
そういう意味では鎌田議員は、動物を愛しているから、メリーさんを愛しているからいいと思っている節が否めません。
まとめ
鎌田議員は、選挙にメリーさんを連れまわさず、事務所横の土地の除草をさせてあくまで、除草用のヤギという位置づけから発展させるべきではなかったんだと個人的には考えます。
おそらく除草用のヤギであれば、選挙後に里親に出しても批判は出なかったと思います。
しかし、彼女は私の娘とまでいって、選挙に連れまわし、 NHK電波に乗せ、枝野代表と3ショットをとり、挙句に選挙利用ではないといった。
最大の問題はそこだと思います。 ほかの批判は考え方の違いで済む話かもしれません。
しかし、選挙利用したのに、していないという点は認識の違いではないのです。
一番本人がわかっているはずです。
もしわかっていないとしたら、非常に厄介だなと思います。
というか、除草用のヤギを仙台メリーさんという広告塔にすることのメリットとデメリットをしっかり把握すべきでした。
さらにいうと、そのヤギを里親に出すことと、それをツイッターにつぶやくことのメリットデメリットを把握するべきでした。
そのうえで、ヤギを選挙に用いるということへのリスクヘッジを行うべきであり、本当の意味での政治利用ができていなかったことが問題なわけです。
本人は里親に出さないことで、問題は収束していると思っているようですが、本質はそこではない。
この点をしっかり反省して修正しないと、同様の問題が起こる可能性があります。
おしまい。