ポケモンのBWをやってください


大学生のときにオーケストラサークルにいた。
オケサークルは女性が多く、男性が少ない。同じパートの後輩に男子学生がいた。会話が続かないので、
「趣味は何」
と聞いたら
「ポケモンです」
と言われたので、DSを持っていたことを思い出し、
「じゃあわたしもやるから教えて」
と言ったのがポケモン ブラック・ホワイトの購入理由。
(後日、対戦でぼこぼこにされる。)



小学生のとき(1か月ほど)しかポケモンを触ったことがないわたしのポケモンに対する印象は
・悪の組織がいる(倒す)
・ライバルがいる(倒す)
・チャンピオンを倒して、世界一になる
ポケモンと言われて思い出すのは、HPが減るとバーが赤くなってピコンピコンとアラートがなること。
アラートがすきな人はいないと思いますが、御三家とかアイテムとかジムリーダーとかではなくて、そのアラートが嫌いだったことが強い。
だからポケモンのブラック・ホワイトを手に取ったときも
「ライバルを蹴散らしながら悪の組織を倒して世界一のポケモントレーナーになるゲーム」
だと思って買った。
ぜんぜん違った。



本作のディレクターである増田順一さんは
「このゲームによって、ポケットモンスターは革新的に生まれ変わる」
「ポケットモンスターは覚醒する」
「今までの作り方とは変え、そのように創りました」
とブログ(2010年4~6月)に記述しています。
また、本作にキャッチコピーをつけるなら
「ポケモンが変わった」
「子供も大人も楽しめるポケモン、完成」
と記述しています。(同ブログ7月)



以下に
「ライバルを蹴散らしながら悪の組織を倒して世界一のポケモントレーナーになるゲーム」
と思ってブラック・ホワイトを購入したわたしがショックを受けたことを書いていきます。


①「ライバル」がいない
ブラック・ホワイトでは故郷の隣家に住んでいるはずのライバルがいません。
いるのは「チェレン」くんと「ベル」ちゃんという幼馴染。
主人公を含めた3人はとても仲がいい。
チェレンくんは頭がよくて、強いポケモントレーナーになる! と息巻いている。
イメージカラーをつけるなら、赤と青。
「やっとトレーナーになれた……ここからはじまる!」なんて言う。
ベルちゃんは気持ちが優しくて、おっとりとした女の子。
黄色と黄緑を基調にデザインされている。
ピンクってかんじの女の子ではない。
「ほんと主人公たちと友達でよかった!」とか言う。
この3人で旅に出る。
1人で旅に出るものだと思っていたし、お隣さんとバトルをするものだと思っていた。
ライバルはいなくて、いるのは仲のいい友達で、
「みんなで一緒に1番道路に踏み出そうよ」
と言って3人で一緒に、ぴょこんと1番道路に出る。
かわいい。
そもそもセリフも漢字表記可能になっている。



②チェレンとベルが悩む
ポケモンというゲームに、なぜポケモンバトルをするのかという問いはなかった。
そういうものなのでバトルをする。
というか、レベル上げしないとゲームクリアできないのでバトルをする。
だから当たり前みたいにバトルをしていた。
でもブラック・ホワイトでは
「なぜ自分は旅に出るのか?」
とか
「ポケモンバトルっていいことなのか?」
「なぜ自分は主人公に勝つことができないのか?」
「強いポケモンがいいポケモンなら勝てない自分に価値はあるのか?」
みたいなことをチェレンくんとベルちゃんがずっと悩んでいるんですね。
ベルちゃんのお父さんが「女の子に旅は危険だからさせられない」って連れ戻しにきて
ベルちゃんが「親は親! 私は私!」と親を説得したりする。
なんかキャラクターの人生設定が濃い。
え? みたいな。
君たちそういうこと言っていいの?
この物語は破綻するんじゃないの?
だって強くなって勝つゲームなんでしょ?
とにかくチェレンくんとベルちゃんはずっと悩んでいる。
ライバルとはいつも新しい街のまえに立っている面倒な存在という先入観が完全に消える。



③Nくん
そういう混乱のなか、Nくんという男の子が出てきます。
この男の子は
「ポケモンは自由な存在で、人間がポケモンをボールに閉じ込め、連れまわして、バトルさせていることはすべて人間の自分勝手な行動だ」
みたいなこと聴衆の前で演説する。
ド正論と思った。
ド正論。
「チャンピオンを越えてすべてのトレーナーにポケモンを解放させる」
と言う。
ドン引きするわたし。
この男の子の言っていることは正しい。
でもポケモンというゲームでそれをやっていいのか?
ちゃんとたためるの?
大丈夫?
そんな気持ち。(完全にきれいにたたむ)


④イッシュ神話
ブラック・ホワイトの舞台になっているイッシュ地方には、伝説があって、
要は白い竜のポケモン(レシラム)と黒い竜のポケモン(ゼクロム)がいて、
それを従えることができる人間は英雄だ、人々を導く存在だ、という伝説。
Nくんは、聴衆に対して説得力のあることばを話すために、伝説のポケモンを探し、見つけ出し、自分自身が英雄になると言う。
自分自身が英雄になって、自分の発言を世界に認めさせたいと言う。
武力(ポケモンバトル)で世界を変えるのではなくて、英雄を利用して世界を変えるとか言い出す。
ド正論過ぎてビビるわたし。



⑤Nくん
Nくんはポケモンと会話ができる。
コールドリーディング等ではなくて言語を介して会話ができる。
人間と同じレベルでポケモンと話す。
Nくんって、幼年期に森に捨てられていた(仮)のを、親を名乗る人間に拾われて、身体的虐待やネグレクトを受けていたポケモンと同じ部屋でずっと過ごしてきたんですね。
だからポケモンが人間を怖がっている声とか、怯えている声とかいっぱい聞いている。
そんなNくんがやっと部屋から出してもらえてほぼ初めて会話したと思われる外部の人間が(たまたま)主人公を含む幼馴染3人組。
主人公とバトルをしたNは
「そんなこと(主人公のことをスキ)を言うポケモンがいるのか?」
と負け際に驚いたように言う。
Nくんも主人公と同様にイッシュの各地を旅するなかで、ポケモンと人間が一緒に過ごしている様子とか、ポケモンと人間が仲良くしている風景を見て、ものすごく動揺する。
「キミたちのように、お互い向き合っているポケモンとトレーナーを、引き裂くことになるのは、すこし胸が痛むけどね。」
とか言う。
もうこれは全文を引用しないと伝わらないと思うので引用するんですけど、
「…キミに話したいことがある。キミと初めて出会ったカラクサタウンでのことだ。キミのポケモンから聞こえてきた声が、ボクには衝撃だった…。なぜならあのポケモンはキミのことを“スキ”といっていた…。“一緒にいたい”といっていたから。…ボクには理解できなかった。世界に人のことを好きなポケモンがいるだなんて。それまでそんなポケモンをボクは知らなかったからね…。それからも旅を続けるほどに気持ちは揺らいでいった…。心を通いあわせ助けあうポケモンと人ばかりだったから。」
とか言う。
マジで。
気が狂った。
ポケモンみたいな王道作品の悪役はそういう葛藤がないんじゃないのか?



⑥Nくん
白い竜のポケモンと黒い竜のポケモンがいて、それを従える英雄一人につきポケモン一人と考えると、
英雄は二人、必要になります。
Nくんは主人公よりも先に竜のポケモンに英雄として認められて、竜のポケモンをゲットする。
(どっちがどっちの色のポケモンをゲットするかはパッケージによる)
周りの大人(めちゃくちゃ責任のある立場の人)も
「Nを止めてくれ!」
(竜のポケモンに英雄として選ばれることでNとバトルをして、勝ってほしい)
とか主人公に哀願する。
それでも主人公は竜のポケモンに英雄として選んでもらえない。
主人公は大人に懇願されても英雄に選ばれないんですよ。
最終的には英雄に選ばれるのですが、「大人に懇願されても主人公の心は動かない」というワンクッションを挟むんですよ。



⑦アカシア
そういう思いがあるなかで、「アカシア」のMVを見ました。
ブラック・ホワイトはシリーズ作のなかでもシリアス色が強いので
・バリバリシリアスバトル感
ないしは
・自由と解放を象徴した華やかさ
の演出に使われるだろうと思っていました。
また、Nくんはずっと立ち絵で微笑んでいるので、
光のなかで笑っているNくん(BW2時空)や、レシラムと旅して空を飛ぶNくん(BW後)を想定していた。
初見のときは、音楽と映像を同時に摂取すると死亡する危険があったので、
音声をミュートして映像だけを見た。
チェレンくんとベルちゃんに挟まれて歩くトウコが、キョウヘイくんに変わるシーン。
歌詞を見なくてもポケモンとトレーナーの絆を全面に押し出していることが伝わってくる。
Nくんは出れるのか? ポケモンと人間の絆を全面に押し出した歌詞のようにお見受けするがNくんを当てはめて大丈夫なところがあるのか? 出るとしてもピンかな?(トウヤやトウコと対峙しているということは作中時間なので)と思っていたら、

びっくりしたように目を見開くトウコ。
深く沈みこむような面持ちのNくん。
BW特有のカットインを連想させる険しい目をしたトウヤ。

そういえばNくんの瞳にはハイライトの設定がなかったんだと瞬時に思い出して、
やっぱり彼ってブラック・ホワイトの作中時間では辛かったんだ、苦しかったんだ、人間としての生き方をする前の彼はこんなに厳しい思いを持っていたんだ、彼に救いがなかった時期って確かにあったんだと、すごく、悲しくて、つらい気持ちになって、それで、歌詞を見たら
「きみの命が揺れるとき」
と書いてあるわけです。
「きみの命が揺れるとき」
と書いてあるってことは作中で
「ボクには未来がみえる。絶対に勝つ」
って言ってるとき(主人公とのラストバトル)のNくんを描いているということです。
情緒がめちゃくちゃになって吐くほど泣いた。
Nくんの命があのとき揺れてた。
これ文字面だけで
「泣いたり笑ったりするとき きみの命が揺れるとき」
ポケモンバトルをベースにして読むと、ピンチとか瀬戸際とか、それこそHPバーが赤く光っている光景が浮かぶかもしれないのに、 
トウコ、N、トウヤ、アカネ、シルバー(有識者はここで死ぬ)、ミツル、ユウキ、ハルカ、グリーン、ヒビキ、レッド(全員死ぬ)と凄まじいスピードで繋げることで、
人生の分岐点とか、心が命じたことには誰にも逆らえないみたいな話にもっていっているのがもう、
マジか……。
ってなってしまいますわよ。
しまいましたわよ。


Nくんとの決着のつき方を知りたいひとはポケモンBWをやってください。
Nくんの人生をよろしくお願いします。

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