信仰と洗脳の違いとは

人が宗教を信じるのは、「そこに居場所を求めるから」です。

例えばイエス・キリストが在世中に支持されたのは、ユダヤ教が掲げる選民主義によって居場所を失くしていた人々に「平等主義」を掲げた事でそれから排斥されていた人々に居場所を創った功績があるからとも言えます。

大元を辿れば、ユダヤ教もバビロン捕囚という国難で民族の国難で国家という居場所を脅かされていた点に起因します。

現代においてもキリスト教圏国家では教会が一つのコミュニティとして形成されていたり、社会との接点が見つけられがない故に孤独を癒す場所として新興宗教が利用されているケースもままあります。

続いて洗脳とは、「宗教がその居場所に縛り上げる為の手段」です。

これは居場所を提供する側がそのシステムを維持するために創りだした方便にしか過ぎません。

具体的な洗脳手段を幾つか挙げてみると

オウム真理教の薬物(LSD)を利用した幻覚作用による洗脳身体・精神的な苦行を通じて神仏に依存させる手法閉塞したコミュニティに閉じ込めてそこで至高とされる結論へと誘導するマインドコントロール…etc

ちなみにブッダは苦行そのものを否定していますし、仏に縋る事を良しとするような考えとは正反対に有る自力本願の精神を肯定していますし、キリスト教そのものもイエスの死後にパウロという彼の弟子が独自に体系化した宗教なので、開祖自身の意思と教義そのものの内容には多かれ少なかれ齟齬があると考えてもいいでしょう。

つまり、宗教とは人々に居場所を提供するための手段であり、

洗脳とは居場所を提供する側がそのシステムを維持するために作り上げた手段なのです。

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