櫻猫忌
10月19日は彼の名前と愛した猫にあやかって「櫻猫忌(おうみょうき)」、とするのはどうだろうか。ソロも含めるとどちらも曲名ですね。太宰治のそれに引っ張られすぎですかね苦笑
故・櫻井敦司氏についてどうしても文章に残しておきたく。お別れから気持ちの整理がうまくできず文章を書こうと思って書き出すまでに1ヶ月。書き出してからまとまるまで1ヶ月強もかかってしまいました。本当は四十九日法要までにまとめたかったけど「バクチク現象」の前日であり、「THE DAY IN QUESTION」のその日の前日になってしまいました。タイトルはご子息に贈った言葉に肖って3文字だけにしますね。(2023/12/29、埋め込みを随時更新中。インスタはある限りBGMに言及している曲を設定していますのでどんな曲か知りたい時はぜひ音声ONでインスタを確認ください。基本的に歌詞位置もあわせてあります)
タイムラインの終わり-231019231024-
不吉な報せ。筆者は翌20日の公演に行く予定だった。X(旧Twitter)でこの報せを見たのはおそらく当日22時頃。嫌な予感がよぎった。LUNA SEAのRYUICHI氏やTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉氏のことあり、「ひょっとするともうステージに戻って来ないかもしれない」と。
そもそも彼は2019年に消化管出血でライブハウス公演4本を延期していた(延期分は完遂)。
コロナ禍以降も、コロナ罹患で2度開催延期があった。2022年の夏、3本の公演を延期した(延期分は完遂)。
2023年9月、2度目のコロナ罹患で1公演を開催見送りとした。一度は台風の影響で振り替えた公演だったが、こちらの延期開催は遂に果たされることはないまま幕引きとなってしまった。
こちらの名古屋公演のエピソードはまた後述。
そもそも体が弱っているのではないかとは正直疑っていた。筆者が知る限り2022年12月29日の日本武道館公演での「JUPITER」と2023年4月23日の宇都宮市文化会館 大ホール公演での「世界は闇で満ちている」で歌の入りを失敗していた。これまで筆者は18年ライブを断続的に見てきたが珍しいと感じていた。半年で2度もあったので少し心配していた。宇都宮では終演後に会場に救急車が来ておりその時も嫌な予感がよぎった(ちなみにこちらは客側の体調不良だった模様)。
そんな経緯もあり、2023年10月19日の夜半にもたらされた報せには悪い予感があり、覚悟を迫られた気分だった。
筆者はこの報せから約1時間後の15時過ぎ、都内の八丁堀で外出の仕事を終え帰宅の途中に同僚から「あっちゃんが・・・」という短いチャットが入り全てを察した。想定しうる最悪の結末だったのだろう、と。
正式に認識してしまうと家に帰れなくなると思い家に着くまであらゆるインターネットを遮断した。そして16時ごろ帰宅しiPhoneで答え合わせをした。察した通りの残酷な報せだった。人生で初めて膝から崩れ落ちた。涙が止まらなかった。小一時間立ち上がることができなかった。その日はなんとか気を紛らわそうと、やることも多かったため夜遅くまで残業してやりすごした。
親族を亡くした経験はあるし、ミュージシャンの訃報にも少なからず立ち会ってきた。
ただツアーに複数参加予定というようにアクティブもアクティブに推している最中に、というのは初めてだった。まして推し歴20年超だ。意味合いが違うし重みが違いすぎる。
この20年、BUCK-TICKは彼ららしいペースながら常にそこにいてくれた。コロナはあったが2年に一度くらいのペースで全国のホールやライブハウスを回ってくれていたし、12月29日の恒例ライブは第1回目のTHE DAY IN QUESTIONからの1度も欠かしていない(たぶん)。新作も2年に1度のペースで出し続けていた。20年のうち、現場が疎遠になってしまっていた時期はあったが彼らはいつでも続けてくれていて、いつでも会いに行ける場をつくってくれていた。そんなバンドのフロントマンがいなくなってしまった。
この国には人の死に際しては様々な表現がある。
「死去」「死亡」「逝去」「帰らぬ人となる」「旅立つ」「鬼籍に入る」・・・などなど、と。
死に際してのあいさつ文句もたくさんある。
「冥福を祈る」「どうぞ安らかに」「R.I.P.」・・・などなど、と。
彼の訃報に対峙して正直どの言葉も使い物にならなかった。筆者の心は櫻井敦司氏は「消失した」「無となった」という気持ちでただひたすら虚無だった。
身も蓋もないが死後の世界なんてありはしないと、この時強く思った。祈る冥福なんて存在しないし、旅立つ先なんて当然ない。安らかな眠りでももちろんない。人の死とは無でしかないのだ、と。
無とは文字通り何もないのだ。彼の言葉を借りるなら
喪失感とも違う虚無感がいつまでも押し寄せた。ただ、沸々と湧き上がってくるのは悲しさよりも寂しさよりも感謝の気持ちだった。
と。たくさんの楽しい思い出が波打つように寄せては返していった。
▼ヴァレンタイン
少しだけ自分の思い出話を。
まだ深夜時代だったNACK5のラジオ番組「BEAT SHUFFLE」で、バレンタイン放送のエンディングに唐突に流れた「MY FUNNY VALENTINE」で射抜かれてから気付けば20年。
現場から遠ざかっていた時期もありましたが数えたら30回も行ってました。コロナ禍になってからも10回、2023年だけでも3回も行ってました。高校生の時に「THE DAY IN QUESTION」最前列自引きしたのもいい思い出です。ほっかむりやガーターの衝撃も、急に猫になりだした衝撃も、タイトルや詞表現の衝撃も、宇宙猫になったのちいつもゲラゲラ笑っていました。思い返すと全部ぜんぶ楽しい思い出ばかりでした。他の人なら「君はひとりじゃない」と言いそうなところを「誰もひとりね」と寄り添う言葉選びをしてくれるあなたが好きでした。
筆者にとっては20年、たくさんの楽しい夢に、愛情に、そして優しさにに感謝しても仕切れません。本当にありがとうございました。
そして何より自分は強く生きていかなくちゃな、と思った。
「異空-IZORA-」-余りに濃すぎた「死」の色-
思い返すと氏の最後のアルバムでありツアーとなった「異空-IZORA-」は余りに「死」の色が濃すぎたと思う。筆者自身、今年は色々あった中でその瘴気に当てられてしまっていた節すらある。
オープニングを飾る「SCARECROW」は
と結ぶ。初聞で「前作と打って変わってずいぶんと夢も希望もないやさぐれたB-Tだなぁ」と苦笑いしてしまった。続く、「ワルキューレの騎行」のエンディングは
だし、先行シングル曲の「太陽とイカロス」では
とし、そして大問題作「ヒズミ」では『何のため生きる』で幕を開け、衝撃音のあと落ちサビを迎え『次の電車が狂う』と歌いきり断末魔の叫びで幕を閉じる。
奇しくも収録順番的には最終オリジナル曲となってしまった「異空-IZORA-」のエンディング「名も無きわたし」の中盤では、『あなたと出会いました』そして『あなたとお別れきた』と告げる。
その上、ツアーでは『どうして生きているのかこの俺は』の「唄」がねじ込まれた。
FINALOの高崎は「残骸」に差し替えられたが、それも『戯言はお終いだ。絶望だけだ。俺はもう夢見ない明日が来る事』だ。
本編のクライマックスには「太陽とイカロス」からの「die」と言う繋ぎで、締めに置かれた「die」ではモノクロの大曼荼羅を延々と投影してみせ、ラストはスクリーンを真っ白にしてみせ捌けるという演出だった。
続くアンコールは後ろから「名も無きわたし」「ヒズミ」でその前は、『死んでいる。生きてもいるかうんざりする。もううんざり』から始まる前作のナンバー「凍える」。
ツアー2発目となる宇都宮と東京初日のみ行ったが、どこまでも「これでもか!」というくらいに死が色濃く表現されていて「重い、いくら何でも流石にこれは重すぎる」と思ったほどだ(でも一度じゃ納得いかなくて2回見に行っちゃってるんですけどね)。
こんなことを言うのは不謹慎とは分かりつつ、異空ツアーで、ある種の彼の表現の完成系を見てしまっていたのかもしれない、と訃報のあとに思い出を反芻するなかで感じてもしまった。
97年発表の「SEXY STREAM LINER」ごろから、彼の大きな詩表現テーマは「性(エロス)と死(タナトス)」に確立したように思う。
そして2009年発表の「memento mori」で「エロス」に相当するのは「性」ではなく「愛」に置き換えた、と言うふうに見ていた。
「死(タナトス)」については前述のとおりだ。補強するなら、母との死に対峙し生まれた「JUPITER」「さくら」という双子曲(いずれも91年発表)が、彼の「死」表現の原点かと思う。送り出す側のやるせなさ・遣り切れなさ・悲しみ・そして後悔の念といったものから端を発していると受け取っている。そしてそれは2020年代に入ってから、「忘却」(2020年発表「ABRADADABRA」収録)そして「恋」(2021年発表シングル「Go-Go BT TRAIN」c/w収録)という双子(と勝手に思っている)で一つの帰結を見せているような気がする。『忘れ去られていけばいい』(「忘却」)と送られる側の心情を吐露し、『1人で行くのさ ひとりきりだよ。降り出した雨に誰も 暗闇を歩く勇気はあるか。怖くなはいと私嘘を』(「恋」)と送る側の心情を見せた。彼を敬愛するタレント・ヒロシとのテレビでの対談で死について「怖いですよ笑」と語った。長きにわたり「死」と対峙し続け表現し続けてきた魔王の本当の気持ちだったのだろうと推察する。悲しくも自らがこんなにも早く迎えることになってしまったわけだが、その覚悟と次世代へのメッセージは十分すぎるほどの愛と優しさでとっくに届けられていたのだなと思い泣いた。
そして「胎内回帰」「太陽とイカロス」という双子(とこれまた勝手に思っている)で、戦争という一大テーマまで絡めた「自らの死との対峙」の表現にて完結しているように思う。
異空ツアーの話に戻る。大団円たるエンドロールには『ここでお別れしようよ悲しいことは何もないはず』『楽しい夢は終わる目蓋を閉じて永遠を感じて 肌に死というぬくもり』『さよなら すべてのものよ』と別れを告げる「die」が置かれ、曼荼羅に溶けていく。延長戦で「ヒズミ」でエロス(愛であり性)表現も完結し、結びは自然の摂理としての生命とは何たるかを「名も無きわたし」でまとめあげていた。これがラストツアーとなってしまったわけだが出来過ぎではないかと苦々しい気持ちだ。
死生観-上弦の月を食べる獅子-
曼荼羅もそうだが、彼の死生観の根ざすところは仏教だなと思う。
どこかの何かの記事で見たような気がするが「西洋的でキリスト教的な印象があるが、実際はめちゃくちゃオリエンタルで仏教的、かつラテンの色が濃い」と形容するものがあった。まさにその通りで宗教観については基教でも神道でもなく仏教だ。そういえば、彼は夢枕獏の仏教哲学小説ともいえる「上弦の月を食べる獅子」に影響受けて「SEXY STREAM LINER」の歌詞を書き上げていた。
「螺旋虫」はまんまそのまま小説内にでてくるギミックだし、「迦陵頻伽 Kalavinka」も仏教上における想像上の生物(こちらは「上弦の月〜」に出てきたかどうか定かではないが)だ。筆者もこれを知り「上限の月を〜」を読んだがまったくわからなかった苦笑。読み返す気力もなかったが近々再読しようと思う。というかSSLは梵字ばんばん使ってましたね、そういえば。
思えば、「エロスとタナトス」の表現が成立し始めた「SEXY STREAM LINER」は彼にとって「死」が渦巻く最中だった。96年に生死を一大テーマにあしらった「COSMOS」完成後にネパールで急性腹膜炎となり生死を彷徨った。そして「上弦の月〜」にも出会ったのだろう。そして作品が出たのちhide氏が鬼籍に入った。そして「人間にはさよならいつか来るじゃない この宇宙でもう一度会える日まで」と「BRAN-NEW LOVER」で歌に載せた。
美しき変遷-生から性、そして愛-
思い返すと初期から1人の人間の成長譚とも取れるような歌と詩の変遷を辿っているようだ。
「HURRY UP MODE」「SEXUAL×××××!」「SEVENTH HEAVEN」「ROMANESQUE」あたりは、10代特有の等身大の恋愛感。
「TABOO」で少し背伸びした歌謡、そしてゴス・耽美への憧れが表出。
「悪の華」でゴスの一定の形を整え、「狂った太陽」「殺シノ調べ」でゴスでアングラで宇宙的で卑猥でダーティーで死の影濃いBUCK-TICKが一定の完成を見せた。
そして「darker than darkness」「Six/Nine」でハードコアでメランコリーな彼らが出来上がった。
「COSMOS」で生死への表現に目覚め、「SEXY STREAM LINER」で「性と死(エロスとタナトス)」に確立。
「ONE LIFE,ONE DEATH」「極東I LOVE YOU」「天使のリボルバー」で戦争も交えながら同テーマを扱い、「memento mori」で彼らのエロスとタナロスは「愛と死」へと変容した。(「MonaLisa OVERDRIVE」「十三階は月光」・・・特に後者は特殊案件なのでこの際一旦横に置いておく苦笑)
続く「RAZZLE DAZZLE」「夢見る宇宙」「或いはアナーキー」「アトム 未来派 No.9」「No.0」「ABRACADABRA」は「生」というよりは「生命」「人生」について深く思いを馳せていたように思う。
東日本大震災を経た「夢見る宇宙」や、コロナ禍の真っ只中の「ABRACADABRA」はなおも「命」に対する向き合い方の重みが違うように思う。そしてたどり着いたのは再び「死」の深淵たる「異空-IZORA-」か。最終到達地点は『狂い咲く 花たちよ 今は咲き乱れよ 狂い咲く命共 乱れ 乱れ 乱れ』と「名も無きわたし」で生命を唄う。なんだか出来過ぎな気もするがなんて美しい変遷だろうか。
ヒズミ考-遠野遥氏へ-
さて「ヒズミ」はタナトスに対するエロス(愛であり性)の表現の完成形だと思う。その考察に入る前段として、晩年の彼の大問題衣装であるガーターベルトについて大真面目に考えたい。
はじめてガーターベルト姿を見せファンを騒然とさせたのは2017年の「アトム 未来派 No.0」ツアーの時だったと記憶している。確か「BOY septem peccata mortalia」で惜しげもなく絶対領域を見せつけ聴衆を困惑させていたはずだ(もちろん筆者も初見は宇宙猫状態だった)。筆者はアレは女性性の表現または両性的な表現なのだと勝手に解釈していた。
前作の「ABRACADABRA」の問題作「舞夢マイム」の❤︎パートは明らかに登場人物女性だった。
「アトム未来派No.9」の「THE SEASIDE STORY」も紛れもなく女性視点の唄だ。
ただ今年に入って「異空-IZORA-」絡みのインタビュー(確か会報)でその解釈は否定された。アレは「女性の容姿に憧れ実際に行動をする男性、を表現している」と本人が発言した。アレは複雑なジェンダー感の表現であった。ただ、そうと知ると「ヒズミ」は解釈しやすい。
そしてそうなると氏の子息であり芥川賞作家である遠野遥先生(ここは敢えて彼が用いた敬称でいく)の存在の意味が変わってくる。遠野先生が文壇にデビューしたのは2019年初出の「改良」だ。
未読の方にはぜひ読んでいただきたいが、そのテーマはまさに「ヒズミ」だ。「ヒズミ」は我が息子へ宛てた父親なりのアンサーに思えてならない。そしてそもそもの「改良」を初めて読んだ時、「これは側にいてくれなかった父親への当て付けなのでは・・・」と筆者は思ってしまった。続く「破局」も同様の感想だった。さらに続く「教育」にも同じ感想を持った。「浮遊」でようやくそうは思わなくなったが。勝手に先生の初期3部作と見ているが、いずれもしつこいほどストレートな性表現の応酬が延々かつ淡々と続く。先生の出自とその父親の表舞台での姿をよく知る筆者には「そばにいてくれず、舞台の上でどこまでも過激な卑猥さを余すことなく見せ続け、ジェンダーに切り込む装いまでし始めた父親」を相手取った呪詛のように思えてならなかったのだ。
一方で「表現者としての憧れ」も強く感じたし、追いつきたい対等になりたいという思いも勝手に感じた。つまりは「父親に甘えたい気持ちや構ってほしい気持ち」があまりにもロマンティックに表出されているようにしか見えなかった。まさに『どうにもならないROMANESQUE』だなと書きながら苦笑いだ。さておき、筆者がここにその感想を書くにはそれなりに理由がある。父親たる櫻井敦司は「ヒズミ」以外にもアンサーソングを投げかけていたように思うからだ。
遠野先生と彼の関係性が公表されたのは、2020年に遠野先生が直木賞を受賞したタイミング。「ABRACADABRA」の発売とほぼ同タイミングだったと記憶している。安直だなと我ながらに思うが、血縁を知り文藝春秋での対談を読み、先生の文章をいくつか読んでしまったあと「ABRACADABRA」中心に彼のいくつかの歌詞の意味が変わって見えてしまうようになった。
具体的には「URAHARAJUKU」と「忘却」は遠野先生に宛てた唄に聞こえてならなかった。そして東海あたりの地方紙のコラムでどなたかが書いていたのだが「RAZZLE DAZZLE」収録の「Solaris」もだ。
「忘却」の一節『忘れ去られていけばいい』が彼の最大の愛情表現なのではないかと思った。「僕(=父親)のことはいいから、あなたはあなたの人生を大事にね」という。
そう思うと近しい表現は過去にもいくつかあった。「ONE LIFE,ONE DEATH」収録の「FLAME」のラストも『花が咲き乱れるように 花が死んでいくように 俺が咲き乱れるように 君は生きていけばいい』だ。ラストナンバー「名も無きわたし」もいわずもがな。櫻井敦司は常に「僕のことはいいから」と優しさを向けていてくれたと思う。
「URAHARA-JUKU」は『今夜はもうおうちにおかえり 夢の中で夢見ればいいさ』だ。最初はトー横キッズのようなものへの大人からの心配ソングみたいな捉え方をしていたが、遠野先生は2019年のTDIQ(国立代々木第一体育館で開催)の際、原宿のトイレで何かよからぬことがあったという。先生のエッセイか何かで見かけた。何があったか知らないが、なんとなくそこを繋げてしまった。そうすると過激なまでの性表現も辞さず表現の世界につっこんでくる子息に対して呼びかけているように思えてならなかった。父親たる子供への心配心というか親心のようなものは「文藝春秋」の対談でも顕れている。これを読んだから余計にそう聞こえてしまった。
そして「Solaris」。
遠野先生は奇しくも筆者と同年代。「RAZZLE DAZZLE」が世に出た2010年、筆者は成人を迎え、先生は慶應義塾大学に入学した年のはず。今日でいうところの新成人を迎えた年に「小さな小さな君はやがて空になり 大きな大きな愛で僕を包むよ」という詩が世に出た。これは地方紙のコラムから受け売りだが、納得してしまった。
素顔に還る魔王-母親の呼称-
この文章もクライマックスが近いが、もう一つ彼の表現について。「母親像」の完結について。
最初に具体を伴う母親像が登場したのはおそらく「JUPITER」。『母に似た光』の一節で登場したと思う。初登場は『母』だったがその言葉遣いは移り変わる。そののち「極東I LOVE YOU」の「Long Distance Call」で『ママ』が登場し、「空蝉」で一度『母が笑ってる』と『母』が再登場するが『ママ』も登場する、「或いはアナーキー」の問題作「無題」のライブの語りでは『ママ』と連呼し、「No.0」の「ゲルニカの夜」でも『ママ』と呼んだ。そして「異空-IZORA-」では遂に『おかあさん』に到達した(「ヒズミ」「Campanella 花束を君に」)。実際のところは知らないが家で母親の呼称はたぶんそうだっただろう。父親表現についても思いつく限り「無題」でも『パパ』連呼の次は「異空」の『おとうさん』だ。晩年に至って等身大の言葉が出てきたのかな、と思う。出過ぎた好奇心だとは思うが敢えて書く。遠野先生はどうだったのだろうか。
改めてこの段に出した全ての唄が「エロスとタナトス」に絡み、戦争が混じる。
・・・自分で書いておいてなんですけどやっぱり完結してしまっていたのかな。
未完のままも辛いけど、完成してしまっていたのならそれはそれでやっぱり寂しいよ、あっちゃん。
「ゲルニカの夜」の題材になった群馬ローカルの戦争題材映画「時計は生きていた」、どうにかして必ず見ます。
もう少しあなたを紐解くためにも、好きな映画として挙げていた寺山修司の「田園に死す」も、未だに結局見れてないのでこれを機にいい加減ちゃんと見ますね。
忘却の彼方-絶界のほとり-
これもまたどこかの紙面で彼とも関連づけて書かれたものだが永六輔氏の言葉を引いて「人間は二度死ぬ」という。一つは物理的な死、もう一つは忘れられた時に迎える死。DIR EN GREYのToshiya氏も、故・IKUZONE(Dragon Ash)氏との過去のやり取りで故・hide氏も絡めながら永六輔氏の言葉を扱った話がブログにあった。
ただ申し訳ないとは思いつつ、こればかりは私は受け止め方が違う。人は二度死ぬ理論について送る側の気持ちとしてもよく理解できるが、少なくとも彼は忘れられることを常に望んでいたと思う。それは決してネガティブな意味ではなく、前述したように「僕のことはいいから、あなたはあなたの人生を生きて」という意味で。
奇しくも彼の生前ラストナンバーとなった「天使のリボルバー」収録の「絶界」の結びは
だ。座り込みながらもこれを歌いきったという。そして彼は魔界へ帰ってしまった。正真正銘の最期のステージ・KT zeppYOKOHAMAにいたFISH TANKer’sへ直接届けられた最後のメッセージ。再掲する、彼は常に「僕のことはいいから、あなたはあなたの人生を生きて」と歌い、キザったらしさを微塵も匂わせずに愛を伝えてくれていた。
・・・いやいや、やっぱり出来過ぎ。
おかしいだろ櫻井敦司。
カッコ良すぎるだろ櫻井敦司。
ふざけてんな櫻井敦司。
いくらなんでも「(愛しの)ロックスター」が過ぎるだろう櫻井敦司。
誰が忘れてやるか!というか忘れられるわけないだろう。20年を越す思い出はあまりに重い。嫌でも絶対に忘れられないから!
話を戻す。彼はたびたび優しさを望み、歌い続けた。
「JUPITER」では『どれほど悔やみ続けたら 一度は優しくなれるかな』と。「Brilliant」では「優しい人になれたんだね』と慈しんだ。「愛の葬列」では歌詞にはないがライブでは『あなたは優しい・・・』と連呼し歌に入った。そして「ヒズミ」で『こんなはずじゃ 優しくなりたい』と願った。
あなたは誰よりも優しかったよ。十分すぎる優しさと愛情を届けてくれていましたよ。最期の最期までどこまでも優しい人なんだろうかと思う。
2007年9月・横浜の港で開催されたフェス「ON PARADE」終盤で「こういう時はいつも時間がない。言葉はいらない、愛しているぜBaby!」と言ってくれましたね。
一生忘れられない、愛と優しさに満ち溢れた誰よりも何よりもカッコいいMCでした。多分これを超える MCには生涯出会えないと思います、例のあまりに衝撃的すぎる謎素材のほっかむりと合わせて。
▼「名古屋が待っている」
もう一つ彼の優しいエピソードを。
今年6月、名古屋公演を台風で諦め、延期分も自身のコロナで断念。再延期は叶わなかった。
前出のToshiya氏に「なかなか名古屋に行けませんね」と溢していたそう。本人も中々行けなかった事実に申し訳なさが募っていたという。
その思いは「異空-IZORA- FINALO」の群馬音楽センターでも発露させていた。「Boogie Woogie」の曲入り「名古屋で待っている」とコールし、「あの子が待っている」の原詞の曲中にも差し込んでいましたね。
名古屋で待ちわび叶わなかった方々にもこの思いはどうか届いていて欲しいと思うばかりだ。23年12月、GLAYはポートメッセ名古屋公演で「生きがい」の途中に
「JUPITER」を挟んだという。彼の遺憾が少しは晴れただろうかと思いを馳せてしまう。
さて完全に余談だが、台風で多くのエンタメが延期中止など余儀なくされた6月のあの日、実は筆者も名古屋にいた。Toshiya氏のいるDIRENGREYのツアーファイナルを見るために。
あの日は諦めかけながら東京から北陸新幹線周りの金沢経由で名古屋入りという強行軍をした。その日にこんなエピソードもあったとは、なんとも数奇な縁だなと思ってしまった。そういえばあの日は満月だか満月に近い日で、名鉄の先頭車両から綺麗な月を眺めて宿に向かったことをよく覚えている。
結びにー猫を見つめるガラスの瞳ー
最期に唯一のソロアルバムとなった「愛の惑星」のラストナンバー、大好きな猫にちなんだこの曲の結びをお借りします。
湿っぽくしてしまいましたが、ただまぁ「猫」っつったら九州・鍋島のアレよろしく化けて出るもんです。100万回生きるヤツもいるし。大体「何万回でも生きる。化けて出るわ」って自分で歌っちゃってたし。
なので、いつでもお待ちしておりますね、足8本の例の姿でも。
・・・というか今書きながら気付きましたけど、猫が好きで夏目漱石も好きだから「名も無きわたし」だったんですか?だとしたら、本当にどこまでも愛猫家ですね(苦笑)
憎まれ口はここまでにして、今はただ末長くあなたの愛情と優しさが多くの人に届くよう、願うばかりです。
名も無いわたしにも、もし何かで出来ることがあるのならば、幾らでも、時間でもなんでも差し出せるものはある限り差し出しますから。
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---the trains start running again at December29th
あまりの動きの速さに脳が追いつかなかった。訃報から1ヶ月も経たずに・・・でも嬉しかった。我らが「BT-TRAIN」はもう運行再開する。本当に夢は続くんですね、どこまでも。
で、コレは
っていうことでいいんですよね、今井さん。