コミュ障には世間話が難しい
これは他の誰でもない、世間話が苦手なわたし自身の話。
わたしは日頃から「にんげんの脳みそと言葉の間には、フィルターが挟まっているんじゃないか」と思っている。
言葉の源は脳みそで生み出され、フィルターを通すことでろ過される。発言してよいこと、悪いことがふるいにかけられ、言葉として精製されるのでは?と。
脳みそ>>フィルター>>言葉
こんなイメージ。
わたしの脳みそと言葉の中間に位置するフィルターはポンコツだ。
かなりフィルターの目が粗い。なんなら穴だらけ。
もしくはフィルターが筒状になっていて、原型のまま貫通しているのかもしれない。
これはおそらく、自分が主体だから。
相手を想っていないから起こること。
失言とはそうやって生まれるのだろう。
だから発言には、細心の注意を払わなければならない。
けれども発言内容を考えれば考えるほど、言葉がこんがらがってしまう。
それはまるで、人生初の編み物で失敗したときの毛糸玉のように。
放たれることが許されない言葉の源たちは、脳みその中で大渋滞を引き起こす。
いや、洪水かもしれない。
つまっている排水口に注がれ続けてあふれ出す、水道水のような。
相手は何を意図して発言しているのだろうか?
今の気持ちを言葉にしたら、どう思うだろう?
ああ、わたしのターンだ。
早く発言しなければ……!(アセアセ)
脳内で生まれた言葉の源は、さらに増殖を続ける。
こういうときは、何を言えばいいんだっけ?
(脳内辞書、高速パラパラパラパラパラパラ)
こちらの情報を開示すればいいのか?
感想を求められているんだろうか?
あれ?まって。
話の内容、なんだっけ?←
ぐるぐるぐるぐる。まさにメダパニ状態。
一寸先はパルプンテ。
こうなるともう手がつけられない。
気づけば、すでに意図せぬ言葉を放ったあと。
わたし「失言」
相手「……」
沈黙。
しまった。やってしまった。
誤解を招いたに違いない。
そんなつもりじゃなかったのに。
また相手を不快にさせてしまった。
どうしよう。
申し訳ない。
弁明しようか?
いやダメだ。さらに墓穴掘ってどうする自分。
ごめんなさいごめんなさい。
早くおうちに帰りたい。
なんてことを考えがち。
その点、ライティングの業務連絡は気がラクなものだ。
だって、やりとりがほぼ文字だから。わたしの言葉が相手に届く前に、推敲という名の人工フィルターが使えるんだもの。
一度出た言葉が取り消せる。これ、どちゃくそ助かる。
ときには原型のまま伝えなければ、相手に届かない言葉もあるだろう。だとしても、わたしの経験上「黙っていた方がよかった」と思うことが多すぎる。
「次こそは、要らぬ言葉を野放しになどしない。」
見慣れたいぬとのさんぽ道、そんなことを考えながら帰路についた。
結局何が言いたいのかというと、
「いぬとのさんぽ中、道行くにんげんに話かけられるのがつらい。」
コレだけっす。
そんなコミュ障のわたしは、今日も愛犬と会話するのであった。まる。