中学時代の部活②
前回の続きです。
前回は1年生の夏頃までを書いたのですが、今回は2年生からの話をしようと思います。
春から冬までの流れを理解してやっと毎日の練習に慣れていき、ついに後輩ができました。私の代の2倍以上の人数が入部してくれました(その後、女子だけでも4人減り男子も何人か辞めた気がします笑)
2年の春頃は800をメインに市内の大会や記録会に出ていました。毎回同じタイムしか出ず、後輩にも抜かされるんでは無いかと冷や冷やしながら走っていました。そこからなんとか夏までに2度、ベストを更新することができ、トラックシーズン前からタイムを10秒ほど縮めることができていました。
練習に不満はありませんでしたが、これからどうしたらいいのかと悩むことが1つありました。
先輩が居なくなってしまう、ということです。男子は学年ごとでいつも固まっていて、女子は女子で固まっていました。1年女子はそこで固まっている感じでしたが当時、2、3年の女子は少なかったのでそこで固まってというか私がずっと女子の先輩の輪の中に入れてもらっている状態でした。
これから1人になってしまう、と思い男子とも話すようにしていきました。元々仲が悪かった訳ではないですし、毎年誰かと同じクラスになってたので、アップのときや大会の空き時間に男子と話すようにしていました。
この年の夏にはみんなでプールに行き、それを1人がツイートしたことで、学校の友だちから陸上部仲良いんだねと言われることが増えました。
先輩や後輩からもこの学年は仲が良いと認知されるようになり、他の学年は学年内にいくつかのグループができていましたが、私の学年は人数が少なかったこともあり、全員で1グループという感じで特にいざこざも無く、居心地がよかったです。
練習面に戻りますが、駅伝が終わったあとから調子が上がらなくなります。
12月に足首を捻挫、復帰戦になった年明けの3kmのロードレースでは1年前と比べて1分近く遅くなっていました。
3月の初めに地元の駅伝大会があり、3km弱の距離を走りましたが更に1分遅くなりました。
この時は分かっていませんでしたが、年明けからぬけぬけ病になっていたのではないかと思います。(中3のとき、当時駒澤の工藤さんの走りを箱根駅伝で見て、高校に入ってから自分が同じ状況だったことを思い出しました)
ぬけぬけ病だったかもしれない当時の症状についてはまた別で書きたいと思います。
それまでは400mのインターバルは90秒前後で走れていたのに、年明け以降、100秒以上かかってしまうということもしょっちゅうあり、退部や引退時期を早めることを考えていました。
ここで2年生での話は終わりです。
最後まで見ていただきありがとうございました!
よければまたご覧ください!