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ビジネスパーソンが「会わない演劇」に打ちのめされた理由(劇団ノーミーツ「門外不出モラトリアム」観劇ネタバレなしレポート)

 話題のZoom演劇「劇団ノーミーツ」のオンライン公演「門外不出モラトリアム 」の千穐楽を観劇して、人間の持つ創造性の凄みにいい意味で打ちのめされました。SNSフィードをみると、おそらく普段演劇を観ないだろうな、と思われるビジネスパーソンが数多く反応していて、その影響度は、ジャンルを大きく超えて、今の世の中のありようを象徴するものになったと感じています。

 ちなみに、僕自身はちょっとだけかじったこともある程度に演劇好きなのですが、演劇好きの視点でも、一般ビジネスパーソンの視点でも、なんの誇張もなく衝撃の体験でした。その衝撃の理由は、ひとえに「古典的な産業のパラダイムを大きくひっくり返した」ことにあり、「革命」と評しても遜色ない事件だったように思います。

テクノロジーで演劇の構造をひっくり返した「会わない演劇」

 そもそも、演劇というものは、構造として、商業的に成功するのが難しいものとされています。特に場所代は、本番の小屋代のみならずリハーサルや稽古場にもかかります。そして会場規模の制約があるので、かかったコストを回収するには、それなりに高めのチケット単価を設定し、できるだけ満員になるようお客さんを入れるしかない。それでも赤黒収支トントンにするのが精一杯で、なかなか劇団員のギャラにまで行き届かない。役者は、なかなか演劇1本では食えないと言われるわけですが、理由はその構造にあります。

 しかし、劇団ノーミーツの千穐楽は、ストリーミングコンテンツとしては強気な2,500円という価格設定で1,400人を動員しました。もちろんいろんなコストはかかっているはずなので単純には言えませんが、1,400人キャパの会場を借りたときのコストを考えたら、驚異的な利益率をあげたであろうことは想像にかたくありません。おそらくシステムの上限人数制約もあるので「売切」にしていましたが、理論上はオンラインは無制限に集客できるわけで、そのメリットをフルに生かしたわけです。

 さて、細かいこのあたりの話は他の通な方もたくさん語っているので割愛するとして、重要なのは「儲からない」と関係者みんなが信じ込んでいたモデルを「直接近距離で逢えない」「お客さんを物理的に集められない」という制約条件を乗り越えた上で、ひっくり返したことです。僕がノーミーツの公演を「革命」と呼んだ理由もそこにあります。

 そして劇団ノーミーツの成功要因は「役者の技量」「良質な脚本や演出」というクオリティある基礎の上に、きちんと「テクノロジー」を理解し使いこなしたことにあります。むしろテクノロジーが役者やシナリオの持つ潜在的な力を引き出したとも言える内容でした。

 ではテクノロジーを駆使して、潜在能力を引き出す結果、生まれるものはなんでしょう。答えは「イノベーション」です。ノーミーツは、演劇界に、イノベーションをもたらした。その瞬間に立ち会ったことに、多くの人たちが興奮を隠せないのです。

 たくさんの(普段は演劇から縁遠そうな)ビジネスパーソンは「ノーミーツは、演劇界にイノベーションをもたらした。」そのことを直感的に感じ取り、社会に立ち向かうその態度に、最大限の共感と賛辞を示しているわけです。

古典的産業に訪れる「激しい分化」

 今、さまざまな産業に「制約」が押し寄せていますが、一方でそれを乗り越え、あるいは逆手にとって、新しい実験を行なっている人がたくさんあらわれています。その実験に不可欠な武器が「テクノロジー」であり、それぞれの手法で、テクノロジーを乗りこなして、新しい価値を生み出そうとしている人たちがたくさん僕の周辺にはいます。

 一方で、その制約をネガティブに受け取り、特に何もアクションできていない方もきっと少なくはないわけです。きっと今後の世の中は「新しい価値を生み出そうとし続ける人」と「古い価値観に縛られ続ける人」との分化が、ますます進んでいくものと思われます。

 そしてこの「新しい価値を生み出そうとする人」と「古い価値観に縛られ続ける人」の多くが含まれるのが、たとえば演劇のような「古典的な産業」です。

 古典的産業は、業界の慣習や常識に縛られ続ける人の絶対数の多さと、その中の人たちが持っている権力基盤の強さゆえに「古典的」なわけですが、一方でその「古典的性質」が強ければ強いほど、ひっくり返したときには大きなイノベーションとなって世の中に大きな影響を与えます。ホテル産業に対するairbnbやタクシー産業に対するUber、ITベンダーに対するクラウドビジネス、出版・テレビ・広告などマスメディア産業に対する新興メディアの台頭などは、この10年くらいでそれを示した好例です。

目の前のことを面白がった帰結がイノベーション

 一方で面白いのは、ノーミーツの関係者はきっと「イノベーションを起こした!」という感覚はあまりなくて(特に役者さんは)、目の前にある自分の仕事を、いつも通り全力でのぞむという、いわば「普通のこと」を真摯に成し遂げたように映ることです。プロデュースサイドの人間はもしかしたら「革命を起こす!」って思ってたかもしれないけど、現場の空気はきっとそんな意識高いものでもなく、ただただ「今しかつくれない面白い作品をつくりあげよう」というある種の高揚感に満ちたものだったのだろうと推察されます。

 よく考えたらairbnbだって「ホテル代高いし、友達感覚で安く宿取れるといいよね、アパートにエアベッドと朝ごはんあれば十分じゃない?」からはじまってるし、Uberだって「タップひとつでタクシー呼べたら面白くない?」って感覚ではじまっているわけで、スマートフォンというテクノロジーを使ってその「これ面白いよね」を実現した結果、こうなったわけです。

 そういう「目の前のことを面白がって乗りこなしていく」その積み重ねが、新しい価値づくりの根本なんだよなあということにも、あらためて気付かされたのです。

 この手の状況でいちばん悪手なのは「斜に構えて」「何もしないで」「受け身に徹して」「やりすごそうとする」態度なのかもしれないなと痛感したのでした。また「意識高くあろう」と必死になることも、もしかしたらある種の逃避行動になるのかもなあというのも思ったのです。**常に高揚感を持って、自分の持っている価値をいかしながら、目の前の今できることに真摯に取り組む。その姿勢こそが、他者に驚きと感動をきっと与えるのです。

 イノベーションって、起こそうとして起こせるものではないのかもしれません。むしろイノベーションなんて言葉を意識せずに動き回っている人が、結果イノベーションを産んじゃうものなのです。**

 きっとこれからの世の中は、ノーミーツのような現象に出くわしたときに、激しく共感して心震わされて、それを着火剤にして自分の行動に転化していく人と、ただやり過ごす人とに分かれていくのかもしれない。その分岐点を目撃したような気がしました。そういう意味で僕は、ノーミーツのカーテンコールをみながら、今自分たちが時代の分かれ目に立っていることを、あらためて実感したのです。

 ちなみに5/28木曜日15〜16時に、この劇団ノーミーツの主宰・プロデューサーの広屋佑規さんをゲストにオンラインイベントを開催します。この辺の話もちょっとだけ突っ込んで話せるといいなあ。ご興味ある方はぜひPeatixよりご予約ください!

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