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都立高の定員割れも近い(かも)
2025年度の都立高一般入試の応募倍率が過去最低の1.29倍だそうだ。
東京は私立校がたくさんあって選択肢が多いけれど、そこまで人気がないとは思っていなかったのでびっくり。
私の頃は、3~4倍くらいだと思う。
落ちる人のほうが多いのでみんな私立と併願し、どちらかといえば私立は滑り止めだった。
大学入試では筆箱を忘れた私は、私立高の入試の日、受験票を忘れた。
しかし、受験番号が「777」番だったのを覚えていたので、事務所で再発行してもらった。
そのとき「落ちた」と直感したけれど、なぜだか合格した。
これこそラッキー7である。
私にとっては、その私立高は滑り止めではなくて第一志望だったけれど、担任も親もよもや受かると思っていなかったので、喜びそこねた。
私の自己満足のために受けさせてくれただけで、本当に通うとなったらお金がない。
というわけで、あたかも当初から希望していたような顔をして都立高に進学した。
大学時代につきあった恋人が、地方の県立高校出身で、倍率が1.何倍だというのを聞いて、「全入じゃん!」と仲間たちと話のネタにした。
普段から、名のある進学校ということを妬んでいたと思われる。
ここぞとばかりだ。
言われた本人も笑っていたけれど、いま思うと申し訳ない。
というか、都立高もいま、そうなりつつあるらしい。
少子化ということなのか、迷わず私立に進める裕福な家庭が増えたということか。
いや、高校無償化の議論や、子供の貧困の話を聞くと、貧富の差が大きくなっただけなのかもしれない。
今日は、タグチさんの「名物教師」に便乗しようと思う。
私の通った都立高校は、別の高校の「女子部」として明治時代に創立された。
ちゃんとした高校となったのは大正時代で、当然ながら女子高だった。
戦災で丸焼けになったらしい。
再建された戦後まもなく共学になったという話だ。
その当時から、そこで古文を教えているという女性がいた。
当時の私には70歳くらいに見えたけれど、昔の大人は(子供も)いまよりうんと大人に見えたから、もっと若かったのだろう。
都立高だから当然定年もあると思うけれど、還暦前には全然見えなかった。
そして、何十年もどうして異動がなかったのかもわからない。
定年後の嘱託みたいな立場だったのか。
見事な銀髪で、終始、和服を召していた。
生徒に対してもものすごく丁寧な物腰で、教師と生徒という感じがしない。
この先生が源氏物語や古今和歌集の一節を諳んじていると、いまがいつの時代だか錯覚するような不思議な空間になった。
学校行事の準備のときには、真っ白な割烹着姿をしていた。
割烹着だけでなく、当人にも糊が効いているのか、アイロンを当てたのかと思うほどの凛々しい姿に、誰も逆らえない。
乱暴な言葉遣いもできない。
一方で、こういう人が生徒に尊厳を傷つけられれば、穏やかな笑みのままで和裁のものさしで打つかもしれないという雰囲気があった。
上品と威厳が同居している美しい銀髪女性。
グレーヘアへの憧れの源となった人である。
彼女とまったく逆に、いつも黒いゴム長を履いて麦わら帽子をかぶっている先生もいた。(授業中も)
40代くらいの男性で、この人も教師になってからずっとその高校にいるという話だ。
タグチさんも書かれているから、昔は公立校でも異動がなかったのかしら。
この先生がなぜゴム長を履いているかというと、忙しい教師の仕事の合間に構内の植栽や花の手入れをしたり、学校で野菜を作ったりしているからである。
トイレ掃除も好きで、普通の靴やサンダルに履き替える暇がないということらしい。
独身で、自宅に帰らず、学校に寝泊まりしているという噂だったが本当かどうか知らない。
漢文を教えていて、何かにつけて「これは中国の発音で言うと」と披露するので、そのうち日本語まで中国語に聞こえてきて、何を言っているのかわからなくなった。
話すときに唾がいっぱい飛んで、教科書にコーラ色のシミができた。
コカ・コーラは昔から苦手だ。
このほかにも、いまなら絶対アウト!というパワハラ的な昭和の先生も多かった。
体育教師が竹刀を持って廊下を歩いていたような時代だ。
その先生自体が、昭和の熱血教師が出てくる青春ドラマを見ながら育ったからか。
しかし、私はこの高校に悪印象はほとんどない。
なぜなら、教師とも学友とも深いつきあいをしていなかったからである。
親しくなりすぎなければ傷つけあうことも少ない。
事件の容疑者の近所の人が「挨拶もしてくれるし、良い人そうに見えた」というのと同じである。
関わりが浅ければ、「悪い人」になりにくい。
良くも悪くも、自主自律の校風だった。
みんな勝手に授業をさぼったりしているが、徒党を組んで悪さをするわけではない。
自主自律の精神をもとに、理不尽な校則を生徒会がバシバシ廃止していた。
親に無理をさせて第一志望の私立のお嬢様学校を選ばなくて良かったと思っている。
私がいた当時は私服だったが、いまは制服が復活している。
ホームページを見ると、めっちゃ可愛い。
校舎も建て替えられ、体育館にも冷暖房がついたとある。
そうでもしないと、生徒が集まらないのだろう。
全入も近い。
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今日は8時前に家を出て、確定申告書を提出してきた。
相談には整理券が必要で長い行列ができていたが、提出だけの私は開庁の8時30分ジャストに5分もかからず出すことができた。
そのあと、元夫が入選した絵を見に行ったり、100均を4軒回って、17時に帰宅。
スマホの歩数は25,000歩。
春用の薄いコートを羽織って行ったら汗だく。
つい、ソフトクリームを食べてしまった。
次の外出は、もうすこし寒い日がいい。
高校は、痴漢満載の超満員電車で1時間30分近くかかった。
春闘で鉄道のストライキのとき、部分的に線路を歩いて登校した記憶がある。
いまはストもないし、あっても線路内は立ち入らせないよね。
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