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会社を休んでしまった

会社を休んでしまった。
母が死んだとき以来のちょっと重めの落ち込み具合。
兄を死なせたときもひどかったが、それでも仕事には行っていた。
会社にいる時間は、何か別世界のように私に呼吸を促した。
介護中も、もし離職して24時間365日介護に専念していたら、私はもたなかっただろう。

でも、いまはその会社もうっとおしい。
リモートでマイクを通して話すならいいが、人に会いたくない。
人の話を聞きたくない。

安全なところにいる健康な人々で経済を回して、被災地にお金がいきわたるようにしましょうとか、正しすぎて、当たり前すぎて、もううんざりだ。

東日本大震災のときは、否応もなく自分がすべきことに取り囲まれていた。
まず、ぐちゃぐちゃになった家の中を片付けなきゃとか。
計画停電で闇になる二つの実家に行って、年寄りの安全に手を貸さなきゃとか。
緊急地震速報は、私の避難行動を促す事態であって、遠くの知らない誰かが無事に逃げられたかにやきもきするものではなかった。

私が何かをしたら劇的に事態が好転することなどない。
それはいつもそうなのだけれど、「自分がやらなくてもいいこと」「いまやらなくてもいいこと」に対してのエンジンのかけかた、待機のしかたが、私は下手くそなのだ。

年末で、会社において「私がやらなければならない」「私しかできない」業務が完了した。
いま、私のなすべきことが少なくて、それも仕事のモチベーションの低下につながっている。
去年、重ため業務が完了したとき、達成感はそれなりにあったものの、「はて、来年からはどうしよう」と思っていたが、そこに元日の地震のショックが加わった。

今日やる予定だった業務を、昨日やってしまったので、もう今日は何もやる気がしない。
手すきのときに作っていたマニュアルももう完成してしまった。
実務に役立ちそうでオンラインで受けられる講習、かつ無料のものは、あらかた受けてしまった。

いっそ仕事をやめて、被災地にお手伝いに行こうか。
でも、そうすると自分の生活費もないよな。
募金だって、かつてはコンビニやスーパーでのお釣りの小銭をちょくちょく箱に入れていたけれど、いまはほとんどキャッシュレスの暮らしだし、そもそもお札のお金を募金できるほどの経済的余裕はない。
養ってくれる夫も子供もない。
老後は年金だけでは到底暮らせないので、そもそも働けなくなったらボケないうちに死のうと思っているのだ。

くっそー!
やっぱりカネかよっ!
なのに、今日は仕事に行かなかった。
やっているふりをして会社にいれば、今日の時給はもらえたのに。
なにやってんだ、私。

冒頭の写真は、母の里の限界集落。
若い人はみないなくなって、もう数えるほどしか人は住んでいない。
ここに留まっていた一人暮らしの叔母も、一昨年死んでしまった。
誰もいなくなった古い家屋は、この地震で倒壊してしまったかもしれない。
名前は知らないけれど、顔だけ覚えのある近所のおばあさんとかどうしているんだろうか。

八代亜紀さんも亡くなってしまった。
みんな逝ってしまうんだな。

一番苦手なことは、人が亡くなった報に接すること。
知っている人だけじゃなくて、知らない人でも。
その数だけでも。
だったら死者数を告げるニュースなど見なければいいんだよと、また話は堂々巡り。

みんな、死なないでね。

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風待ち
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