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#1 ずっと独りぼっちだったから

孤独すぎるのは寂しいけど嫌いではないし、できれば独りでいたいというわりと強めの願望が、私にはずっとあります。

就職したての頃、ひとり暮らしをしたくて一冊のノートに家賃の相場や1カ月に必要な生活費なんかを書き溜めて、意気揚々と親にプレゼンを試みたことがありました。
「これだけのデータが揃っていれば、さすがに反対できないだろう」と思える素晴らしい仕上がりだったにも関わらず、1ページも開かれずに一蹴されましたけど。

で、そんな過去をずっと引きずっていたのもあって、数年前に『離婚前提の別居』という名目で、念願のひとり暮らしをしてみました。

夫との仲は良好だし子どもたちのことも大好きですが、どうしても『独りになりたい願望』が強すぎて。

かれこれ10年近く離婚願望を抱き続けていて、夫にも5年くらい前から伝えています。

単に
『(母でも妻でもない)ひとりのヒトに戻りたい』
になりたい』
みたいな感覚で
これをうっかり誰かに話そうものなら「自分勝手の極み」と非難轟々で、世間ではそう思うのが一般的だということも分からなくはないのですが。
子ども達は(しぶしぶ)理解してくれています。

夫はというと、伝えた当時はとてもじゃないけど見ていられない精神状態だったので、この件はいったん保留に。
※このまま完全に忘れられてしまっては、ここまでの私の歩み寄りが無駄になりかねないので、まだ諦めていないことを意思表示するなど、時々ジャブを打って試行錯誤の最中です。


ところで、これほどまでの"独りでいたい願望"は、いつから芽生えたのだろう……
と振り返ると、やはり幼少期の過ごし方が影響しているように思います。

幼少期は団地のようなマンション住まいだったのですが、母は働いていて、同じマンション内で気兼ねなく遊べる幼馴染みは一人もいませんでした。
みんなは幼稚園で、私だけが保育園。
毎日、家に帰ってくる頃には日が沈んでいたし、土日もマンションの敷地で遊んだ記憶がほとんどなくて。なんなら、同世代のちびっこがどれくらい住んでいたのかも全く知りません。

3つ上の姉は当時小学生だったけれどあまり仲が良くなくて、そういえば家で遊んだ記憶もほとんどありません。

唯一、お向かいのマナブくんの家には(父から虐待もどきの躾を受けていたせいで)よくお世話になっていたけれど、小学校からは新居に引っ越したので学区も変わり、そんなわずかな人間関係さえもリセットされました。


小学生になるとさすがに近所にお友達ができたけれど、母は相変わらず働いていたので私は鍵っ子で。当時は今のように各学校に学童保育があったわけではないので、小学1年生のある日、隣の学校の学童保育に通うことになりました。

5〜6人の他校の同学年に囲まれることだけでもイヤだったのに、ひとりの男子から暗がりの小屋でキスを迫られたのが気持ち悪くて、3日目に、無断で学童を抜け出しました。

家まで優に30分以上かかる距離だったので、今思えば、学童の先生たちや親は相当焦ったんじゃないでしょうか。


そんなわけで、また鍵っ子に戻った私。

たまには友達と遊ぶこともあったけれど、記憶の半分以上は家でテレビをみたり、VHSが擦り切れるんじゃないかというほどディズニーやジブリのアニメを観たり、ピアノを弾いたりして気ままに過ごしていたので、わりとずっと独りぼっちを楽しんでいたかもしれません。

こうして幼少期を振り返ると、積極的に人付き合いをしてこなかった母に対しての憤りや恨みがゼロではないけれど、きっとあれはあれで、今の私を形成する要素のひとつにはなっているのだろうなと思えるようになりました。

かくいう今の私も子どもの学校行事は最低限しか行かないし、親同士の人付き合いを極度に嫌うので一人も近所に”ママ友”はおらず(自分自身はとてもラクですが)、子ども達に対しては「ごめん、母はこんなだけど、強く生きて」と多少なりとも後ろめたさは感じでいます。いちお。


そういえば、数年前に意を決してはじめたひとり暮らしはというと、開始から3カ月で終了しました。
ジモティとかでそこそこオシャレな家具や家電を揃え、お気に入りの空間に仕上がるまではとても楽しかったけれど、いざ完成して住みはじめると(というか、実際は一日も"住んで"はおらず、いずれも「滞在」のみでしたが)

完全な一人は寂しい

ということに、気づきました(笑)

そんな学びを得たあの日から約2年の月日が流れ、最近またひとり暮らし願望が芽生え始めているの私。次は、家族が住む場所と徒歩圏内で行き来できる場所にしようと思っています。


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