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【乳がん 治療の記録】#08 入院・手術のこと その2

11月19日(火) 手術1日後 青い尿

朝6時すぎ。
ようやく朝になったという安堵とともに、膀胱の激しい痛みが襲う。
破裂しそう!
検温に来た看護師さんにみてもらうも、ちゃんと採尿できてるという。
「先生が(ナースステーションに)いるので聞いてみますね」
そう言い残して外に出たまま、20分以上たっても戻ってこない。

だんだん呼吸まで苦しくなり、たまらずナースコールするが全然つながらない。
看護師さんたち、あっちでもこっちでも呼ばれて大忙しなのだ。

ようやくつながって、ことの次第を説明し、を2回繰り返し、担当の看護師さんが現れたのは、痛みを訴えてから40分を過ぎていた。

「じゃあ、管とりましょう」
ちょっとめんどくさそうに言われる。
え?さっきの「先生に聞いてみます」はどうなったのよ?!
うやむやのまま
「容器があるんですが、ここにお小水してみますか?」
と尿瓶を出される。
ベッドから起きてトイレに行っていいことになってるのは9時。
まだ8時になってない。
「じゃあ、やってみます」
「他の患者さんの採血があるので、一度ここ離れますね」
また出て行ってしまった。
次はいつ会えるのか・・・

尿瓶をもらったが、オシッコは出ない。
こんなにもれそうなのに、ベッドに横たわったままじゃ、一滴も出ない。

結局、予定より早くトイレに行かせてもらうことに。
介添してもらって立ち上がり、その場で足踏み。
よかった、立てる、助かった。

便座にしゃがんだら、あまりにもすんなり出た。
セットされた容器の中に400mm超。
しかもびっくり、青い尿!

あとで検索してわかったのだが、センチネルリンパ節の特定のために、乳房に青い色素を注射した影響だった。
乳輪付近も青くなってる。
あらかじめ教えてくれればいいのに。
びっくりするじゃん、オシッコ青いと。

「トイレに行くと、出るものなんですね」
看護師さんに言うと、ベッドに寝た状態では排尿できない患者さんは多いとのこと。
長期間寝たきりになったら、私の膀胱はどうなってしまうんだろう?

排尿できたら、うそのように元気になる。
病室に戻り、ケータイを見たら息子からLINEがきてる。
洗濯したよ!とベランダの物干しいっぱいにぶらさがった洗濯物の写真。
朝5時起きで洗濯して学校に行ったらしい。
素晴らしい。

LINEに返信しながら、遅い朝食にありつく。
肉詰めいなり。
箸でちぎらないと食べられない大きさなんだが、箸を持つ手の甲にまだ点滴の針がささったままなので、箸を動かすたびに痛い。
食事というのは、点滴しなくてもいい人がするもんなんだな。

このときいたのは前日手術だった患者だけの特別病室だが、4人のうち、向かいのベッドの2人はまだ食事ができない状態だ。
長い間管につながれたままで、どんなに辛いだろう。
斜向かいの、おなかを20cmも切ったという80歳くらいのおばあさん。
数日間点滴で過ごさなければならなくて、お腹がすいたのに、と残念がっていた。

昼には点滴もはずれ、元の病室に移動。
さっきのお婆さんも移動してきた。
大手術をしたのに、見舞いに来る人はいないみたい。
声が大きくて話好きなのでいろいろ聞こえてしまう。
全身麻酔が覚めたあと、せん妄で暴れてしまったのだとか。
申し訳なかったと何度も看護師さんを労う。
自分はかつてオペ室の看護師だったという。

向いのベッドには、乳がんの全摘、リンパ郭清をしたらしい年配の女性。
彼女もお見舞いに来る人がいない。
「気温がずいぶん下がったんですよ、退院されるときご家族の方迎えに来られますか?」
と聞く看護師さんに
「いいえ、一人です。大丈夫です、上着持って来てますので」
と答えていた。

年老いて大きな手術をして、見舞いも迎えも来る人がいない。
私もそうなるかもしれない。

午後、主治医が回診に来る。
傷口にはガーゼがあてられているので、どうなってるかわからないが、問題はないそう。
そういえば、痛み止め飲んでいないのに過ごせている。

夕方、左腕を上げてみたら、肩までは上げられる。
乳がん術後は、術側の腕が上がりにくくなるのを予防するために早期にリハビリを開始しなくちゃいけない。
プリントをもらったので、イラストのとおりに腕を前後に動かす練習をしてみる。
明日は理学療法士さんとのリハビリ。

11月20日(水) 手術2日後 お腹をこわす

昨日とは違って、驚くほどよく眠れた。
バナナクッションのおかげで寝返りもうてて快適だった。
ベッドは角度が付けられるので、腰の痛みも悪化しなかった。

寝返りを打ったせいだろうか、昨日より患部が腫れぼったい。
回診でみてもらうも、見た目は昨日より良いとのこと。
傷口のガーゼをとってもらい、患部があらわになる。
焼いたところ、ぐんと盛り上がってる。
さわるとひりひり、ブラジャーがすれてもひりひり。
表面はやけどしてないんだけど、内側はやけどしてるからだろう。

朝食後、2日ぶりのシャワー。
お風呂に入るとこんなにスッキリするんだ!というぐらい気持ちが良かった。
愛用の化粧水をたっぷりつける。
今私のQOLを保ってくれるのはこれだけ。
そういえば、夫が差し入れてくれたパンがどういうわけか、口に運べない。毎日パンとコーヒーがないと生きていけないはずなのに。
質素な病院の和食が、今の自分のバイブとは合うようだ。

リハビリ室に向かう廊下はひんやりしていた。
昨日より気温は7℃下がったそうだ。
外は雨。
廊下側の部屋にいるから、外の変化に気づきにくい。

リハビリ室にはすでに2人の外来患者さんがいた。
私と同い年くらいの女性。
座って机の上で手をゆっくり前に出す練習をしている。
なんの手術をしたのだろう?
もう一人は70代後半とおぼしきお婆さん。
仰向けになって足のリハビリを受けていたが、若い療法士の男性に、昔の恋愛話を夢中で語ってる。
「それで私、妊娠しちゃったのよ、そしたら、誰の子だってなって!」
彼は淡々と相槌を打って、彼女の足を伸ばしたり縮めたり。
いったいここはどこなんだ?

リハビリではまず、手術した左側の肩甲骨と肩をほぐしてもらった。
めちゃくちゃ凝っていたので、すごく気持ちがいい。
無傷の右より左の方が調子がよくなったみたい。
腕は問題なく頭の上まで上げられた。
昨日は傷が開いてしまうんじゃないかと恐る恐る腕を動かしていたが、理学療法士さんいわく、傷が開く前に痛みがくるから大丈夫だって。

腕を上げるともちろんワキの切り傷がつっぱるし、胸筋に力がかかると乳房が痛むが、日常生活は問題なさそう。
「お仕事は何をされてますか?」
職業を聞かれるたび、臨機応変に会社員だとかミュージシャンだとか言うんだけど、今回は鍵盤を弾く、と言ってみた。
というのも、某ミュージシャンが乳がんの再建手術の影響で一時期ピアノが弾けなくなったと聞いていたから。
幸い、その心配はなさそうだ。

ラジオ波でよかった。
回復が早いかもしれない。
コリも取れてよい気分になり、昼食は完食。
自分は元気になったと錯覚して、昨日の差し入れのパンも口に運ぶ。
幸せ。

するとまもなく、激しい腹痛が。
体がくの字に曲がってしまう。
慌ててトイレにかけこむ。
その後は何回トイレにこもっただろう?
体中の水分がみな外に出てしまったんじゃかいかと思うくらいお腹を下した。

きっと点滴された抗生剤のせい。
普通にカゼで処方されるフロモックスのような抗生剤でも私は激しくお腹を壊してしまう。

整腸薬がほしくてナースステーションに行ったが、看護師さんがいない。
またか。
廊下をうろうろする私に清掃の方が声をかけてくれて、看護師さんに伝えてくれるという。
が、1時間待っても整腸薬はこない。
またナースステーションに行って、今度は自分でお願いするも、やはり持って来てくれない。

すっかり弱ってるところに、夫が息子を伴って見舞いに現れた。
夫はダウンジャケットを着ている。
入院した日は暖かすぎて20℃あったが、今日は10℃を切っているのだ。

「こんな狭いとこにいるの?!」
と息子。
個室にいるとでも思ったのか?
二人とも外とは温度が違いすぎる病室にいるのが耐えられない様子で、見舞い時間は10分で終了。
息子はピアノのレッスンがあるから、と行ってしまった。

私のベッドは静まり返ったが、昨夜から隣のベッドがちょっと賑やか。
スペイン語と思われる外国語を話す女性が緊急入院してきたのだ。
彼女は全く日本語を話さないので、看護師さんたちがカタコト英語で一生懸命。
同時にスマホの翻訳機能にしゃべらせるので、私も英語の勉強になる。
「ガスは出ましたか?」
「食事は全部食べられましたか?」
看護師さんたち、シンプルなやりとりもなんだか楽しそう。
「飲み終わった薬のカラ、捨てないで置いておいてくださいね」
はうまく翻訳できないみたいで、くすりのカラ、くすりのカラ、と日本語で何度も説明していた。
私もどう言えばいいのか、思わず検索。
彼女のご主人もスペイン語話者だが、妻よりは日本語が話せる。
明日の退院時間には仕事で来られないが、会計は朝仕事前に来て済ますことなど、事務の人と調整しては、妻に説明していた。

私も明日は退院。おなかは治るのか?
夕飯は美味しそうだったが、お茶だけしか口にできない。
4回お願いしてようやく手に入れた整腸薬を流し込む。